13:道標

 霊界空港の発着ロビーは概ねいつも暇である。
 仮にも霊界に暇という単語はどうかと思われるが(悲しいことだが、死者は今この瞬間にも世界のどこかで発生しているからだ)、それでも暇であることに変わりはない。
 もう一度いおう。
 暇である。
 物凄く暇である。
 「暇ですねぇ」
 エンジェルは書類の整理をしながら呟いた。
 書類とはいっても、最近は殆どが電磁的方法によって処理された情報が大半を占めるので、紙に記載されたものは数がぐっと減っている。おかげで、始めたばかりの紙の整理は早くも終わりがみえていた。
 「何言ってるの。アタシ達が『ヒマ〜、ヒマ〜』言ってちゃ仕方ないでしょ。アタシ達は役人なんだから、ちゃっちゃと働く!」
 対するデビルは、そう言いながらも爪の手入れをしている。
 「説得力ありませんよ、デビル」
 言われた瞬間、手元が狂って、デビルは爪の甘皮を剥きすぎてしまった。鈍い痛みに顔をしかめると、手入れ道具を仕舞う。
 「……まぁ、暇なことはいいことよね」
 「まったくです」
 霊界空港が暇だということは、世界は今日も順調だということだ。此処が忙しくなるときは、世の中はロクなことになっていない。
 通常、死は残酷で悲しくて優しい。全ての生命に平等に訪れる。そして、それが満遍なく世界中に散布されている。
 偏りのある人為的な死は起こらない。
 人為的であろうとなかろうと、死は悲劇であり理不尽で、平等である。何れにしろ確率の問題でしかないのだ。
 それでも、不測の死は格別だ。人為的な作為によってもたらされたものなら尚更――あってはならないと思う。
 霊界空港が忙しいということは、そういうことだ。
 あるべきでない死が蔓延している。
 「いつまで続くんでしょうね」
 「いつまででも続いて欲しいわよ」
 忙しくなるのは年に一度。
 光の国行き707便が発着する日だけで充分だ。
 そして、できるならば、それは清々しい忙しさであってほしい。
 「まぁ、それはそうなんですけど。そうじゃなくて」
 「何よ?」
 それはそうなんだけどそうじゃない。
 何が“それ”にあたるのかが不明瞭だったので、デビルは聞き返した。
 エンジェルはどういったものか、と苦笑する。
 「ええと、だからあれですよ、つまり――……ぼくたちはいつまでこうしているのかなぁ、と」
 禅問答のような応えにデビルは首を傾げかけ、そして不意に理解した。
 つまり、いつまで霊界空港役人をし続けるのだろうか――いつまで、人間を送り続けるのだろうか。そう彼は訊いているのだ。
 デビルは一度深く呼吸をすると、呆れたように呟いた。
 「上から移動命令がくるまでじゃないの?」
 「あー、栄転の辞令だったら嬉しいですねぇ」
 デビルは応えを誤魔化した。
 移動命令がこようが、栄転の辞令がこようが、変わらない。
 生まれた人間は必ず死ぬ。
 この世に人間が、生命が、存在する限り、死はなくならない。
 そして、人間でない彼等は、彼等が彼等であり続ける限り、人間を送り続けなければならない。
 “いつまで”というくくりはない。
 “いつまででも”だ。
 それは、彼等が望むと望まないとに関係はない。
 「――……いつまで続くのかしらねぇ」
 そしてまた、通り一遍の、上辺だけのやりとりが繰り返される。

 唐突にポーンと、甲高い音が響いて、来客を知らせるランプが点灯した。
 「あら、お客さんよ」
 「本当だ――ちょっと、みてきますね」
 エンジェルはそういって席を立った。わざわざ彼が様子をみにいかなくても、件の三人組が迎えにいってくれるというのに――マメなヤツだ。
 「粗相のないようにするのよ」
 エンジェルの後ろ姿が出入り口の外へと消えるのを見送ると、デビルは溜め息をついた。
 ひとが来るなら、少しは片付けなければならない。
 そう思い、作業机の上を整理しようとして、もう一度溜め息をつく。机の上の書類達は先程全てエンジェルが処理し終えていたのだ。
 行き場をなくしてしまった手で頬杖をつき、所在なさげに視線をロビーへと廻す。人気のないロビーは、相変わらず閑散とした印象を与えるだけだ。
 ロビーを見渡して、視線を戻そうとした瞬間、視界の端で何かが煌めいた。はっとして、それが何だか確かめるべく、そちらを向く。けれども、そこには何もない。
 「……おかしいわねぇ」
 と、思わず言葉が口をついてしまう。確かに、何かが光ったような気がしたのだけれど。
 気のせいだったのだろうか。
 そう思ったそばから、またも視界の端が光った。
今度は先程よりも余程素早く反応したにも関わらず、振り向いたときには既にそれは消えている。
 ――一体、
 何なのだろうか。と、訝る暇もなく、視界が不意に影った。
 「ちょっと、」
 いい加減にしてほしい。悪戯だろうか――だったら、一度きつく言わないと。と、考えながら顔を上げ、デビルは口を噤んだ。
 壁一面を覆う窓の外には、真っ白な光の国行き707便ロケットが滑りこんできたところだった。純白の船体は何度見ても美しい。音もなく船が入港するさまは、白い大きな鳥が舞い降りてくるようだ。
 そうか……もうそんな時期なのか。
 光の国行き707便ロケットを見るのはこれが二度目だが、入港するのをみたのは初めてだ。
 ロケットがゆっくりと発着場に入っていくのを、デビルは声もなく見つめていた。
 船体が見えなくなると、デビルは詰めていた息をそっと吐き出した。
 まったく、今日は何て日だろう。
 気付かなかった自分も相当間抜けだが、今さっきまで話題にしていたものをまさか目の当たりにするなんて。
 不思議なこともあるものだ。
 光の国行き707便ロケット――さしずめ、これは不思議の集大成だろう。死者を光の国へと導くロケット。文字通り、光の国への道標だ。最も、それは形だけのものにすぎない。船はどこへでも連れて行ってくれるけれど、そこが本当に光に満ち溢れているのかどうかは、本人次第だろう。
 おそらく、導とすべきものは、もっと他の――例えば、あの、
 デビルの思考を打ち破るかのように、出入り口の向こうがざわめきだした。どうやら、先程到着した客をつれてエンジェル達が戻ってきたらしい。
 この前、光の国行き707便がやってきたときはえらい騒ぎだった。今回は何事もないように祈りながら、どこかで何かを期待している。それは、やはりあの少女の影響が大きいだろう。
 「……まぁ、それも悪くないわよね」
 あの子は今も元気でいるのだろうか。
 多分、あの子のようなものが世界には、ひとには必要なのだろう。
 あの子が笑うと、少しだけ、世界がやさしくなるような――そんな気がする。
 それは、彼等にだって例外ではない。

 ピコ

 懐かしい名前を胸の裡で呟く。
 これから始まる何かへの期待をこめて、デビルは客を出迎えた。







たわごと