16:夜風 |
暗闇の中を彼はひとりで歩いていた。 時折、少し離れた場所にある十三使徒の野営地の喧騒が風にのって運ばれてくる。その程度の距離しか野営地とは離れていない。ある意味、ひとりとは到底いい難いのだが、それでも彼はひとりだった。少なくとも、彼自身はそう思いたかった。 然程寒さを感じる季節ではないが、夜になると流石に冷える。荒野なのだから尚更だ。 吹く風は冷たく、小さな砂塵を撒き散らしながらどこかへと消えていく。 オーフェンは立ち止まり、風の吹き抜けていく方向を見つめた。その先には聖域がある。 フェンリルの森は何年も――何百年もかけて衰退した。 今彼が歩いている場所も昔は森の一部だったはずだ。 (昔の話だ) と、オーフェンはひとりごちる。 つまるところ、一連の動きは昔からの流れの中で起こっているにすぎない。 昔、ドラゴン種族が神々と争って、大陸にやってきて。 そして現在、大陸は昔のことが原因で滅ぼされようとしている。 (現在、ここにいるのは昔の奴らじゃないのにな) もっとも、永きを生きる神々にとってそんなことは些細な問題なのだろう。 「オーフェン」 ふいに後ろから声がした。 そこには金髪碧眼の少女が立っている。最早身体の一部となっていたディープドラゴンの子供が頭の上にいないことに違和感を覚え、そしてすぐに気付く――いなくてあたりまえだ。あの黒い毛玉は今や巨大な黒狼なのだから。 「どうしたの?何かあった?考えごと?」 「いや」 そんなことはない。 と、否定しようとして、それは無理だということにすぐに思いいたる。 この娘相手に隠し事だなんて、上手くできたためしがないのだから。 「そうだな、考えてたよ、色々」 「そっか」 意外なことにクリーオウはそれ以上きいてこなかった。らしくない反応だ。 (“らしい”って何だよ) じゃじゃ馬。 破天荒。 お節介。 思えば、ここのところ彼女らしい反応はすっかりなりをひそめている。 (“らしい”って思ってたのが間違いだったかもな) それは確かに彼女の一部ではあったのだろうけれど。彼女をそれだけで語れるはずがない。 別人のようになった彼女を認めたくないだけかもしれない。 「なぁ、クリーオウ」 「ん?」 「変わらないものって何だろうな」 「変わらないもの?」 クリーオウは少し考えるように首を傾げる。 「オーフェンが貧乏ってことじゃない?」 「それは半分以上おまえらのせいだという自覚はないのか」 「『原因がわかっているのに対処できないものは愚か者だ』ってお父様がいってたわよ、昔」 「俺は本当に一度おまえの親父さんに会ってみたかったぞ」 もっとも、会えたところでエラい目にあうのだろうことは想像に難くない。 オーフェンが溜め息をつくのと、クリーオウが再び口を開いたのは殆ど同時だった。 「ひとはみんなひとりだってことじゃないかな」 それが先程の問の答えだということに気付くのには、少し時間がかかった。 「――随分、悲観的なこたえだな」 「そう?」 クリーオウはオーフェンにくるりと背を向けると、二歩、三歩と足を進めた。 「だって、物じゃないんだから接着剤でくっつけたりとかできないし」 さも当然。と、クリーオウは言わんばかりだ。 「わたしはわたし。生まれてから死ぬまでわたし以外のものになんかなれないわよ」 「そりやぁ……まぁ、そうなんだが」 クリーオウは立ち止まり夜空を見上げる。つられるようにオーフェンも上を仰いだ。 「でもね、だから他人の手をとることができるのよ」 「――」 「みんな一緒だったら、誰かの手をとる必要なんてないじゃない?あたしはそれってすごく寂しいと思う」 ――前言撤回。 (やっぱり、こいつはこいつだ) そうだな。と、オーフェンは呟いた。 「世の中みんなおまえみたいのがうじゃうじゃしてたら大変だわな」 「どういう意味よ?」 「そのまんまだ」 「なんか馬鹿にされてる気がするわ」 と、むくれるクリーオウにオーフェンは微笑いかける。 「それより、おまえは?おまえこそ、何かあったんじゃないのか?」 「ん?――うん。ううん」 クリーオウは曖昧に頷き――そして即座に首を左右に振った。 「なんでもない」 「なんでもなくないだろう」 「ん、でも。なんか、やっぱりいいや。大丈夫。片付いたみたい」 「おい」 「また何かあったら話すから」 大丈夫。 と、繰り返しクリーオウはいう。 そう言われると、それ以上は何も言えなかった。 本人が大丈夫だというのだから大丈夫なのだろう。 そう納得するしかない。 (府に落ちねぇけどな) それでも、それが彼女の出した結論ならば彼に変えることはできない。 ならば、とことんまでつきあうだけだ。 「戻ろう、オーフェン」 「あぁ」 こたえ、二人はその場を後にする。 彼らが立ち去った後の荒野には、夜風がいつまでも流れていた。 |
たわごと |