7:指先

 ぼんやりとプラットフォームを発車する列車を眺めていた。
 列車がボォーっという汽笛の音とともに徐々に遠ざかっていく。
 車体が見えなくなり、レールを擦る車輪の音も段々と小さくなる。石炭の吐く白い煙が消え去る頃には、列車がついさっきまでプラットフォームにいたという痕跡は跡形もなくなっていた。
 なんとはなしにベンチに腰を下ろして溜め息をつく。
 荷物は大きな旅行用リュックサックのみ。連れのものと合わせて足元に置いてある。ニューヨークでは、手荷物は絶対に身体から離してはいけないといわれていたけれど、こんな田舎ならば少しくらい気を抜いても大丈夫だろう。現に、プラットフォームには他に誰の姿もないのだから、荷物を盗られる心配はない。
 今、プラットフォームにいるのは彼女のみ。
 連れはこれから向かう目的地への道を訊きに駅長室へいっている。
 駅全体の人数で考えても、今この駅にいるのは3人だけということになる。もしかしたら、無人駅かもしれない、と危惧していただけに人がいただけでも儲けものかもしれない。
 そもそも、この駅で降車した客が自分達を含めて三人しかいなかったのだから、そのもう一人が改札を出てどこかへ向かった今、駅構内に三人しかいないというのは妥当な答えだ。
 線路の向こう側には切り立った山々が聳えている。樹々が繁り、深い森に覆われた山ではなく、岩と崖とで構成される荒々しい山だ。反対に、改札を抜けた先に見えるのは一面の砂。赤茶けた砂と岩がごろごろしていて、他の生命見当たらない。
 まさしく、“デッドロック”の名にふさわしい。
 田舎だとは聞いていたけれど、これは想像以上だ。色々と覚悟しておいたほうがいいかもしれない。
 そういえば、先程改札を抜けていったひとは、どうしてあんなにも急いでいたのだろうか。こんな場所では急がなくても何も逃げていきそうにないというのに。どことなく、あのベラ・ザングラーに似ていた気もするが、きっと気のせいだろう。こんな田舎に彼ほどの有名人が来るとも思えない。
 彼が戻って来たらどう思ったか訊いてみようか。と思い、直ぐに考え直す。
 彼なら、一通り彼女の思考に付き合って相槌を打った後で、『でも、ありえないね』と否定するだろう。そして、『何でもおもしろければいいって考えるのが、君の長所であり短所だね』と諭すに違いない。
 ――意外と頭堅いのよね。
 と、彼女は小さく笑みを洩らす。
 「何一人で笑っているんだい?」
 声のした方向を見やれば、彼が駅長室から出て、こちらにやってきていた。
 「何かおもしろいことでもあった?」
 「いいえ、別に。何にもないわ」
 「そう?」
 「ねぇ、それより――どうだったの?」
 手持ちの地図はやけにアバウトで、駅と目的地は一本道で繋がれていた。けれども、駅からはどこまでいっても一面の砂漠が広がっているようにしか見えず、途中に目的地となっている街があるようには見えなかった。
 「徒歩一時間」
 「え?」
 「だから、ここから一本道をひたすら徒歩で一時間。他の交通手段はナシ。残念なことにどうやらその地図は間違っていないらしい」
 「まぁ……」
 覚悟しておいたとはいえ、徒歩一時間は若干反則な気もした。だが、この場所のことを考えれば、徒歩一時間ですむだけマシなのかもしれない。場合によっては、3、4時間ほどあるかされても不思議はなさそうなところだ。
 「……先に、戻っていてもいいんだよ」
 「?」
 「夕方、反対側の路線がくるらしいから、それに乗ればニューヨークにまで戻れる」
 過保護。
 と、思わず口をつきそうになった言葉を彼女はかろうじて呑み込むことに成功した。
 もうとっくに子供でもなければ、特別に身体が弱いということもないのに。
 “年下”でかつ“女性”であるだけで、彼にとっては庇護対象になるのだろう。
 「私は、そんなにか弱くありません」
 「でも」
 「そんなことより、お仕事でしょう?お・し・ご・と!こんなことでめげてなんかいられないわ!」
 「いや、僕がめげそうなんだが……」
 「ユージーン!」
 「ごめんなさい」
 はぁ。と、諦めたかのように溜め息をつくと、彼は苦笑し、荷物を手に取った。
 「それじゃあ、行こうか」
 「えぇ」
 彼女もそれを追うように、荷物を手にして立ち上がる。
 改札の外は砂漠。
 一本道とはいっても、舗装も不充分な道ともいえないものが、うねりながら延びているだけで、それがどこまで続くのかは想像がつかない。
 半歩ほど先を歩く彼との間合いを詰めると、そっとその指先を絡ませる。握るでもなく、触れるか触れないかの距離で。
 「パトリシア?」
 彼の問には応えず、彼女はただ静かに微笑んだ。
 何も知らない土地であっても、決して迷わないよう。
 この先に何もなくても、このあたたかさだけは忘れてしまわないよう。







たわごと