9:腕輪

 月の綺麗な夜だった。
 秋口の空に煌々と輝く月。それに小さな虫の声が絶妙の音楽を添える。
 「いい月だ」
 マンゴジェリーは呟いた。
 「そうは思わないかね、ランペルティーザ君」
 「えぇ、とっても」
 相棒の言葉に彼は満足そうに頷いた。
 「それで、首尾はどうだね、ランペルティーザ君?」
 「上々よ、マンゴジェリー隊長」
 マンゴジェリーははためく仕事着をそのままに、夜空を仰ぐ。おもむろに利き手の人差し指をぺろっと舐めるとそれを虚空へと翳した。
 風向きは北東。風力は3、雲量は2。
 絶好の泥棒日和だ。
 よし。と心の中で気合いを入れて、キっと本日の獲物となる洋館を睨みつける。
 洋館は黙して、ただ圧倒的な存在感でそこに存在する。
 闇夜に浮かぶ洋館と猫二匹。
 大海原に小さな船一つで漕ぎ出すときの気持ちというのは、今のマンゴジェリーの心意気をとことんまで大きくしたものと似ているのかもしれない。
 いざ行かん、まだ見ぬ最果ての地へ――!
 「ねぇ、ところでさぁ」
 と、マンゴジェリーの意気込みに相棒が横から水をさす。
 「いつまで探検家ごっこしてればいいの?」

*   *   *

 洋館の中を物色しながら、「はぁ。」とマンゴジェリーは溜め息をついた。
 「なによ、マンゴ。風邪?」
 「いや」
 「拾い食いでもした?」
 「……してねぇよ」
 この相棒は一体どういう目で自分を見ているのだろうか。
 「じゃあ何よ?」
 「――夢がないなぁと」
 「やだ、まださっきのこと気にしてたの!?」
 気にしてたもくそも大いに気にしている。現在進行形だ。
 「大事なのは夢じゃなくて、タイミングよ、タ・イ・ミ・ン・グ。チャンスは逃しちゃダメなのよ?」
 それはそうなのだが。
 「おまえには浪漫とゆーものが欠如している!」
 「いいわよ、別に。浪漫よりも目の前のお宝よ――あ、このブローチ可愛い」
 果たしてマンゴジェリーの話を聞いているのかいないのか。マンゴジェリーへの応えもそこそこに、ランペルティーザは目についたものを袋に詰めていく。
 「それにしても……よく見つけたなぁ、こんなところ」
 「でしょ?あたしも、我ながらよく見つけたと思うの」
 洋館は街外れの裏山の中にひっそりと建っていた。
 裏山自体はずっと昔から――マンゴジェリー達が産まれよりも遥かに前からそこにあった。山というよりも丘といったほうが相応しいような、なだらかな山だ。裾野の部分の雑木林は仔猫達の良い遊び場になっている。裏山は、街の皆にとって馴染み深い――自分の庭のような場所だった。
 だから、ランペルティーザが今日の昼間に『裏山ですごい家をみつけた』と言ったときは驚いた。そんなものは今まで見たことがなかったからだ。
 けれども、半信半疑でランペルティーザに連れられて、林立する樹々の中をやってきてみれば、そこには立派な洋館が。
 見慣れた原っぱを通り抜け、滅多に行かない方向へと足をむけ向けると、見覚えのない小川(というよりも、湧き水がちょろちょろと流れているようなものだ)に出た。それを超えて、更に樹々の間を通り抜けると、少し拓けた場所にでる――その家は、そこにあった。時間が止まったかのようにそこに佇んで。実際、その家と周りだけいつとは知れないどこか他の世界、他の時間から切り取られてきたような、そんな空気を纏っていた。
 「そういえば、おまえ一人でここを見つけたのか?」
 「うん。なんかフラフラしてたら見つけた」
 「マンカスが聞いたら怒るぞ……」
 「だから、その前にマンゴを連れて来たんじゃない」
 近いうちに、この場所のことはマンカストラップに報告しなければならないだろう。そうなれば、誰が、何時、どうやって、見つけたのかも話さなければならない。
 「ね、マンゴと二人で見つけたってことにしておいてよ」
 「ダメ」
 「えぇぇっ!?なんでよぅ!?」
 「ダメなもんはダメ。ランペルが一人で見つけたんだろ」
 「ケチぃぃ」
 ランペルティーザがちょっと目を離した隙にいなくなるなんていうことは日常茶飯事だ。だが、最近特にその頻度は高い。更に色々と退屈しているお年頃なのか、『危ないから行ってはダメ』という場所に限って行きたがる。ここらで少し我らが鬼リーダーにこっぴどく叱って貰うべきだろう。マンゴジェリーが叱っても全く説得力がないので、他人任せになってしまうが仕方ない。
 つーか、乗せられるオレもオレだよなぁ。
 『探検しにいこう!探検!!』とのランペルティーザの言葉に気前よく頷いてしまったのは他ならぬマンゴジェリー自身で。そのくせ、当のランペルティーザときたら、『いつまで探検家ごっこしてればいいの?』ときたもんだ。
 なんだか悲しくなってきた。
 恨めしそうにランペルティーザを見やれば、彼女は嬉々として家主の宝石箱を漁っている。気に入ったデザインだったのか、その中から腕輪を一つ取り出して眺め、窓から差し込む月明かりに翳してみたりしている。
 マンゴジェリーは再び溜め息をつくと、なんとはなしに書き物机に飛び乗った。そこには、古びた革の表紙の本が無造作に置いてある。開いてみると、どうやら日記のようだった。傷みが激しく、かすれてよくわからないが、日付と天気、風向きと雲量、そして方角が大まかに書いてある――航海日誌だろうか。
 「ねぇねぇマンゴ!」
 相棒の声に振り返れば、ランペルティーザは先程の腕輪をちゃっかり腕にはめ、こちらに突き出してくる。太目のシンプルな腕輪だ。ゴールドの環にはまった深い青色の宝石がよく映える。
 「似合う?」
 「あー、はいはい。似合う、似合う」
 「もう!ちゃんと応えてよ!!」
 「今ちょっと忙しいんだよ」
 「ヒドい!あんまりヒドいと、ダンボールに詰めて川流しにしちゃんだから!!」
 「あんまり騒ぐと家の人間にみつかるぞー」
 と、自分で言って、何かがおかしいことに気がついた。
 この屋敷には、人の気配がない。
 無人になって久しい家独特の、がらんとした寂しい空気がそこかしこに潜んでいる。その割には掃除は行き届いていて、床には埃一つ落ちていない。
 束の間の留守――例えば、旅行にいったとか――そういう表現がしっくりする。もっとも、束の間が永遠になってしまうような可能性も充分に含まれているような。
 マンゴジェリーがそこまで考えたところで、ふいにキイィィと、軋んだ音を立てて扉が動いた。
 「なぁ、ランペル……この家、人間住んでるのか?」
 「さぁ?昼間は多分誰もいなかったよ?でも、あんまり中までよく見えなかった。暗くて」
 「暗くて?昼間なのに?」
 「そう。昼間なのに……」
 ランペルティーザも気付いたのか、はたと口をつぐむ。
 二人して口を閉じると、異様な程に辺りはしんとした。さっきまでにぎやかに鳴いていた虫達の声もいつの間にかぴたりと止んでいる。秋風が外の樹々の間を通り抜けぬけて行く音も、窓ガラスを揺らして行く音も聞こえない。
 ただ――
 「誰もいないなら、この足音は一体何なんだろうなぁ、ランペルティーザ君」
 「さぁ、何なんでしょうねぇ、マンゴジェリー隊長」
 ひたひたと子供が歩くような足音が、屋敷の中を何かを探すように動き回っている。距離は――近い、とても。
 足音はしばらく廊下を歩き回り(一部屋一部屋確認しているのかもしれない)、やがてマンゴジェリー達のいる部屋の前で止まった。
 『…………』
 音もなく扉が動く。
 そこに佇んでいたのは――
 『ぅ……きゃあぁぁぁぁぁっっ!!!』
 間抜けな泥棒二人はそれの姿も確認せずに、パニックを起こして逃げ出した。

*   *   *

 「本当よ!本当にあったし、本当に何かいたんだから!!」
 「誰も嘘だとはいってない、ランプ」
 「口でいってなくても目がいってるもん!ね、マンゴ」
 「そうだぞ、マンカス!オレたちが信用できないのかよ!」
 「そういう台詞は普段から信用できるような行動をしてからいってくれ……」
 翌日、まだお日様の高いうちに、マンゴジェリーとランペルティーザはマンカストラップを連れて、件の洋館へと赴いた。
 リーダーには色々と報告しなければならないことがあったし、何よりももう暗くなってからは行きたくない。しかしま昨日のことは気になるし……ということを総括した結果だ。
 「ここよ!」
 ランペルティーザは木立の間を抜けると、ぴょんと得意気に原っぱに立ち、マンカストラップに胸をはる。
 「ここよ――って……ランプ、ここには何もないぞ」
 「へ?」
 いわれ、振り返れば、そこにはただ原っぱが広がるだけだ。
 洋館があった痕跡は何もない。あれだけ大きな建物だ。壊したとしても一日では無理だし、仮にそうだとしても、その残骸が少しくらいはその辺に転がっているだろう。
 「道、間違えたかな、あたし?」
 「いんや。合ってる」
 昨日つけた目印は道々にはちゃんとあった。
 おかしいなぁ。と泥棒二人がしきりに首を傾げていると、背後から昨日の気配に負けず劣らずの空気が流れてきた。
 「さて、二人とも。覚悟はできているだろうな」
 この時ほど、マンカストラップの笑顔を恐いと思ったことはない。

 二人そろってリーダーに絞られて、家路につくころには日はもう暮れかかっていた。真っ赤に染まった街をとぼとぼと並んで歩く。
 「結局何だったんだろうねぇ」
 「さぁ……」
 あの後、一通り裏山を駆けずり回って探したが、あの洋館は見つからなかった。
 「世の中にはな、わけわかんないほうがいいことが沢山あるんだよ」
 「そうかもね」
 ランペルティーザはあっさりと頷く。
 「でもでも。楽しかったね!ちょっとこわかったけど!」
 「そうだなぁ」
 「またやろうね!」
 いや。それはちょっと勘弁。
 と、いえないところが悲しいマンゴジェリー、大泥棒(自称)。
 しかし、この相棒と一緒にいれば、嫌でも不思議体験の方から飛び込んでくるに違いない。
 きっと、世界には不思議なことのほうが多くて、わからないほうがいいことが沢山あるのだろう。あの洋館はきっとそんな中の一つだ。
 「さ。早く帰ろう、マンゴ」
 ランペルティーザが夕陽に翳した腕がきらりと光る。慌てていたのでその場に置いてきてしまった荷物たちも、洋館と一緒に消えてしまったが、彼女の腕にはまった腕輪はそのままだった。
 腕輪は何も語らない。ただ、ランペルティーザの腕で静かに日の光を反射して輝いている。
 あの洋館が何で、あそこにいたのは何なのか。そして、洋館はどこから来てどこへ行ったのか。
 真相は、きっとこの腕輪だけが知っている。







たわごと