スリー・ケー

 もし、世界でいきているのが、わたしと、あともうひとりしかいなくなってしまったら、
 そのひとはわたしをすこしは気にかけてくれるのだろうか。

 「ジェミマ!」
 凛としたソプラノに答えるように彼女は気だるげに振り向いた。
 「ジェリー……タント」
 どうしたの?といつものように訊いてみる。だが、その声は普段よりも格段に憂いを帯びていた。
 「これからジェニーおばさんのところにいくんだけど……一緒にいかない?」
 何をしに?とは敢えて聞かなかった。どうせ目的なんぞあってないようなものだ。お茶をしに、といえばお茶をしながら世間話を。お料理を習いに、といえば、料理を教わりながらお喋りを。お裁縫を――……。とにかく、どうせ何と答えられようが、やることはさして変わらない。
 それが嫌だとか悪いというわけではない。ジェミマ自身、お茶も料理も裁縫も好きだし、何よりもお喋りは大好きだ。
 「――今日は、パス」
 ジェミマにしては珍しい答えにジェリーロラムとタントミールが目を見張る。
 「用事があるの」
 二人の反応をみて、ジェミマは急いで付け足した。
 「そう……」
 少し、納得がいかないというような顔をした二人だったが、お互いの顔を見合わせると、笑顔に戻り、ジェミマに「用事が終わって、よかったら来て」というと、仲良くジェニエニドッツの住処の方向へ駆け出していった。
 二人の背を見送ると、ジェミマは再びとぼとぼと一人で道を歩き出した。
 一瞬、ジェニエニドッツのところで楽しそうにみんながお茶会をしている光景が頭に浮かび、今すぐにでも「冗談よ」といって二人を追いかけたい衝動にも駆られはしたが、立ち止まり、かるくかぶりをふると、それを頭の中から追い出した。
 やはり、今はあそこにはいけない。
 いや、いってはいけない。
 あの、あたたかい灯りの中には自分はいてはいけないのだ。
 「……」
 きっと、顔をあげると、ジェミマは走り出す。
 どこへ行こうとも考えない。ただ、このまま此処にいることだけは耐えがたかった。

 *   *   *

 結局、此処に来ちゃうんだけどさ……。

 古びた教会の前にジェミマはいた。建物からはかなり年季が入っていることが感じられるが、よくよく見ると、きれいに手入れされている。人間たちが未だに使っている証拠だ。

 別に、来たくて来たわけじゃないんだから。
 たまたま、通りかかっただけよ。

 人間が使っている建物を住処にしているからといって此処に住んでいる猫達が人間に飼われているわけではない。どちらもお互いを干渉しない。お互いの目がある以上、何もかも黙認というわけにはいかなかったが、その分のメリットだって勿論あった。
 此処を住処にしている猫は平均四匹。たまに気まぐれで増えたり減ったりする。まずはデュトロノミー。あとはマンカストラップとシラバブ、ミストフェリーズ。大体いつもいるのはこのくらいだ。
 そして――少し前まではジェミマも此処で生活していた。

 恐る恐るジェミマは扉に近づく。

 ついでよ、ついで。折角来たんだもの。

 近所まで来て長老に挨拶しないのはいささか無礼であろう、とジェミマは勝手に理屈をつけた。
 今の時間だと、デュトロノミー以外は教会内には誰もいないはずだ。マンカストラップは見回りの時間だし、シラバブはきっとどこかで誰かと遊んでいる。ミストフェリーズはそもそも昼間のうちにどこで活動しているのかはわからない。少なくとも、ジェミマは此処にいた間、ミストフェリーズを昼間、教会内で見たことがなかった。そも、彼の行動パターンを把握しているのはタガーくらいなものだろうが。
 キィイ……と音を立てて扉を薄く開ける。
 「――でね、お兄ちゃん」
 聞こえてきた声にジェミマは思わず息を呑んだ。
 ――シラバブ。
 小さい、可愛らしいクリーム色の仔猫が楽しそうに兄猫とじゃれている。それを、ほほえましそうに長老が見ている。
そこから先の会話はよく聞こえなかったが、それで充分だ。
 来るんじゃなかった。
 我ながら馬鹿なことをしたものだ。何も、あんなものを見たくていったのではない。
 つい、忘れてしまっていた。
 もう、自分の場所はあそこにはないのだ。
 自分の馬鹿さ加減に嫌気がさしてくる。
 自嘲すると、ジェミマはゆっくりとその場を後にした。
 別段、どこへといこうというわけでもない。
 寝床へ帰る気もしなかったし、みんながいるような場所に行く気も毛頭なかった。
 どこでもいい。
 どこでもいいから、ここではないどこかへ――。




next>>








また続きます。
続きモノばかりになってしまって申し訳ありません。