「っつーか、もうサイアク!!何なのよ、此処は!!」 キーッ!!とランペルティーザは地団駄を踏んだ。 「寒いし、暗いし、汚いし……!!ゴミの分別もされてないいなんて最低!!」 二の腕を擦りながら、目の前を歩く相方についていく。心なしか、彼は緊張しているようだった。 「ねぇ、マンゴ!此処は一体何なのよ?」 「静かに」 しっ!とマンゴジェリーは人差し指を口元に当て、もう一方の手でランペルティーザの口を塞いだ。 「ランプ……此処では大声で名前を呼んで欲しくないなぁ」 「ふぁんへよ……!」 “何でよ”といったつもりが単語にならなかった。 「というか、そもそも大声を出さないで欲しいなぁ」 「っ……だからなんでよ!」 とマンゴジェリーの手を押しのけ、言われたとおりに小声で訊く。 「“赤線”の中だからに決まってるだろうよ」 「だから、アカセンって一体何よ?」 ジェリーロラムにひっぱて行かれそうになったマンゴジェリーにくっついてきただけのランペルティーザは、実のところ全く事情が飲み込めていない。ただ、“ジェミマがいなくなった”ということだけが彼女の知っている全てだ。 「お前、“赤線”知らないっけ?」 「来てすぐにマンゴが『そのうちわかる』っていったのことと、マンクから『赤線にだけは絶対に近づくな』って言われただけよ。後は知らない」 「お前……たったそれだけのことでよく今まで此処に近づかなかったな……」 マンゴジェリーが半ば感心したように呟く。確かに、ランペルティーザが“赤線”に近づかなかったことは奇跡に近い。好奇心なら、雌猫連中の誰よりも旺盛だし、なにより怖いもの知らずで、楽観主義だ。ジェミマよりもランペルティーザの方が“赤線”に近づく可能性は高いように見える。 「そう?」 だが、本人はマンゴジェリーの言ったことの方が不可解とでも言いたげに首を傾げた。「だって……」と言葉を続ける。 「“赤線”に近づいたらどうするの?って面白がってマンクに言ったら、“冗談でもそういうことをする子はきらいだ”っていったんだもん。あたし、マンクに嫌われたくなかったし」 「…………あ、そ」 恨むぜ、リーダー……。と、マンゴジェリーが心の中で漢泣きしていることをランペルティーザは知る由もない。 「で?アカセンって何?」 「帰ってから教えてやる」 「やーよ。私は今知りたいの。だって、ジェミマは知ってるんでしょ?だから、きっと此処に来たんだわ」 「多分、知らないと思うぞ……」 「ジェミマが知ってて、あたしが知らないなんて不公平だわ!人類皆ブラザー!!」 「オレら猫だって……」 「とにかく!」 教えてくれるまで動かない。とランペルティーザは路地裏の壁に寄りかかりむくれてしまう。 「じゃなかったら……マンゴを放っぽっといて、あたし一人でジェミマを探す」 「それはダメ」 「なんでよ!?」 「ダメっていったらダメなんだよ!」 「どうして!?」 「ダメなもんはダメだ。ぜーったいにダメ!!」 「このっ……×××!!」 ちょっと下品な言葉で挑発してみたが、マンゴジェリーは無反応だ。これだけやればいつもならとっくにマンゴジェリーの方が折れるか、でなければ、挑発に乗って勝手にボロを出してくれるのに。 思った以上に手強いわ……。 ランペルティーザは内心で舌打ちすると、今度は下手に切り出してみた。 「あのね、マンゴ……あたしはジェミマが心配なの。ジェミマはこんな――なんかもう、暗いわ汚いわ寒いわ――どうしようもないところに一人でいるんでしょう?此処がどんなところか知りたいの。ジェミマが一人でいても安全なところ?――大丈夫なら、あたしは少しくらいジェミマに独りでいられる時間を作ってあげてもいいと思うの」 「――…………だったら、俺ら総出で探しにきたりしないわな」 「じゃぁ!?」 「だぁぁぁぁ!もう、わかったよ!!」 しぎゃー!と雄たけびでも上げられそうな勢いでマンゴジェリーはいうと、ランペルティーザの首根っこを引っつかんで駆け出した。 「なぁにすんのよ!」 「移動して落ち着いたら話す!それでもいいだろう」 走りながらっていってよね……。といおうとしてランペルティーザは舌を噛みそうになった。 「ぎゃあぎゃあ騒ぎすぎて見物客が増えてきてんだよ……」 やべぇ、しくじったかも。と彼がぽつりと呟いたのをランペルティーザは聞き逃さなかった。 「何を?」 「あとで」 「全部“あとで”じゃない!」 「ごちゃごちゃ言ってる暇があったら……」 マンゴジェリーが言うのと、後ろから奇異なざわめきが聞こえてくるのはほぼ同時だった。 「走れ!」 掛け声と同時に心の準備も何もなしに逃げ出せたのは、きっと泥棒二人組みだからこそ出来たことだろう。 * * * 「神様、仏様、それとジーザス!!オレは今この瞬間に感謝します……日頃の行い良くてよかった……」 「それ、大袈裟――……巻いたみたいね」 古びた廃ビルの二階。敗れたカーテンの隙間から外を見ていたランペルティーザは、追いかけてきていた奴らがいなくなるのを確認すると、小さな溜息をついた。 「さて――さぁ、観念してぜぇえんぶ吐いてもらいましょーか」 「お前は悪役か!?」 「その前に。なんでこんな場所を知ってたわけ?」 マンゴジェリー曰く“見物客”に追い掛け回された二人は、今にも崩れそうな廃ビルの二階に逃げ込んだ。以前は誰かの住居だったのだろうか、簡素なベッドと簡単な水回りはあるが、どれも全てボロボロだった。 問題なのは、このビルの一階部分は完全に閉鎖されていて、基本的には誰も入って来れないようになっているということだ。しかし、マンゴジェリーはというと、破れたフェンスの隙間をすり抜け、錆びて崩れかけたダクトの蓋を外すと、そこからいとも簡単に中へと入ってしまった。これは、明らかに以前から知っていないとできないことだ。 「――――えへっ」 「かわいこぶんないでよ、気持ち悪い」 「……それは企業秘密なのだ」 「変な語尾もやめて――まぁ、いいわ」 ふん!とランペルテイィーザは小さな胸を反らした。 「とにかく、マンゴの知ってることはぜーんぶ話してもらいますからね。約束でしょ?」 「…………わかったよ」 オレだって、全部知ってるわけじゃないからな。と前置きして、明らかに渋々と言った面持ちでマンゴジェリーは話し出した。 * * * ぽつん、ぽつんと窓ガラスに雨の当たる音がし始めた。 「此処が“赤線”って呼ばれるようになったのは意外とつい最近なんだよ。まぁ、それまでも、立ち入り禁止だったことに変わりはないけれどな。初めは、野良たちのスラムってだけだったらしい」 ランペルティーザはマンゴジェリーの話を、彼女にしては珍しく、大人しく聞いていた。 「それが、いつからかこうなったってわけ。こうってどう?とか聞くなよ。平たく言えば無法地帯だ」 「何でもアリ、ってこと?」 「大体そんな感じ」 「それだと、ただ“危ない”っていうのがわかっただけで、どうしてここまで厳しくするのかがわかんないんだけどー」 例えば、ちびっこに「どうして道路で遊んじゃいけないの?」ときかれて「危ないからよ」と答えるのと、さして変わらない。「なんで」の部分が全く説明になっていないのだ。この理屈が通じるのは三歳児までだろう。 「――……言わなきゃダメ?」 「ダメ」 ランペルティーザは容赦がない。 マンゴジェリーは「うっ」と呻いて三歩ほど距離を置いてから、ぼそぼそと何かを呟いた。 「なーに?聞こえない」 「……しゅ……ほう……い、だからなんだよ」 耳を澄ませてみてもマンゴジェリーの声を全て聞き取ることは難しかった。 「はっきり言ってよね!」 「だから……!……い……んごう……ちた…、だからなんだってば」 「聞こえないっていてるでしょ!!……もう!」 ツカツカツカと、ランペルティーザは歩み寄ると、「ほら、も一回」と耳を彼の口元に寄せた。 「だーかーら……!」 「喚かないで!」 「スミマセン」 ふぅ。とマンゴジェリーが深呼吸をする。彼の吐息が耳にかかり、何だかくすぐったい。 そう思ったのも、束の間で、マンゴジェリーの次の言葉で、ランペルティーザの思考は一瞬完全に停止した。 「ばいしゅんごうほうちたい」 「“赤線”ってのは売春合法地帯なんだよ」 は?と間抜けにも聞き返したつもりだったが、それすらも声にならなかったようだ。 「売春だけじゃない。“赤線”で手に入らないものはない。その気になれば、金も薬も女も地位も名誉も……命さえも手に入る。文字通りの意味で無法地帯なんだ」 マンゴジェリーがしきりに“赤線”のことを話してくれているのはわかったが、ランペルティーザはそれを恐らく半分も理解していなかった。 「そんな所がマトモな場所なわけないってのはわかるだろう?だから、俺たちは“赤線”には絶対に入っちゃダメだって言い続けてたんだよ。此処で何か起こったら、誰かが何かしてやれる可能性なんて本当に低いんだ。どんなに悪いことをしてもそれを裁く法がない。自分の判断で来たんだから、何が起こっても自己責任にされるのさ。身包み剥がされようが、ボコボコにされようが……次の日の朝にその辺で冷たく転がってても、だ」 「――……もし……あたしが、此処にきていたら?」 「さぁ……」 わからないな。とマンゴジェリーはいう。 「ただ、そうさせないために、俺たちはやってきたつもりだった。ランパスがどうしてあんな街外れを寝床にしてると思う?マンカスがどうして毎日あんな頻繁に――それも、広範囲で見回りをしてると思う?どうして、タガーがわざわざ“赤線”にパイプを持ち続けてるんだと思う?――……全部、此処に街のみんなを入れないためだよ。だから、正直、ジェミマが此処へ入ったっていうのを聞いたときは本当に驚いた」 ジェミマが男の子ならまだわからなくもないんだけど。とマンゴジェリーは続ける。 「どうして?」 「男には、実は俺らもそこまで厳しくは言わないんだ。勿論、最低限のことは言うけれど」 「だから、どうして?」 「――……いや、まぁ……下の悩みは自己責任ということで」 「ナニソレ?シタ?」 「いや、人外魔境に陥らない程度にだったら、やっぱり浪漫を追い求めるのは必要かなぁって」 「ごめん、ぜんっぜんわかんない」 「――そのまま育てよ」 マンゴジェリーのいうことはさっぱりわからなかったが、ランペルティーザはとりあえず、そう?とだけ返しておいた。 ランペルティーザはそっと煤汚れたカーテンをめくると、雨が滲みこんでいく埃まみれのアスファルトの道を眺めた。 「――いやなかんじ」 漠然と、虚ろなものがこみあげる。 「……ねぇ、あたしってそんなに友達甲斐ないかなぁ」 「はぁ?」 「だって――……友達だと思ってたもん」 「悪い。何のことだかさっぱりわかんねぇ」 「この鈍!」 察してよ!と怒鳴りつけると、ランペルティーザはぷぅっと脹れてしまった。 「だってね、あたし、ジェミマがこんなところに来た理由が全然わかんない。ほとんど毎日顔合わせてたのによ?昨日も普通にバイバイしたのよ?それとも、あたし、何か見落としてる?」 それとも、とランペルティーザは続けた。 「友達だと思ってったのは、あたしだけ?」 「さぁな。自分で考えろ」 「――冷たいのね」 「“そんなことない!ジェミマもランプのことをちゃんと友達だと思ってるヨ!”……とか言って欲しいか?」 「気持ち悪いからやめて」 はぁ。とランペルティーザはわざとらしく溜息をつくと、肩をすくめた。 「マンゴとシリアスな会話しよーとしたあたしが馬鹿だったわ。…………さ、いきましょ」 「……なんだかとても侮辱された気分なんですがそれはきのせいでしょーかランペルティーザ?」 「さぁね。自分で考えれば」 いーだ、と白い歯を見せると、ランペルティーザはぴょんと器用に排気口へと飛び乗った。 「――……はやく、見つけなきゃ」 「そうだな」 マンゴジェリーも「よいせ」と昇ってくる。 早く、見つけて、訊かなくちゃ。 |
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