「“もし、それを思っただけで罪となるならば、私は何種類もの犯罪を犯している”」
 的確だね、とミストフェリーズは呟いた。
 「この偉人は客観的に自己分析をできる人間だったんだと思うよ」
 「何の話だ」
 ランパスキャットは呆れたように返す。
 「そのまんまさ」
 ぱたんと手にしていた本を閉じると、ミストフェリーズは外に目を向ける。
この小さな客人は少し前にいきなりやってきては、勝手に一番日当たりにいい場所に陣取り、優雅に本を読み出した。
 埃っぽい廃工場の二階に猫二匹。
 別段特に何をしているわけでもなかったから、ランパスキャットとしても客がくるのは構わないが、こういうことは少しやめてほしい。
 「――おまえ、それ以前に文字が読めるのか?」
 「まぁね。意外でもないでしょ?」
 「あぁ」
 実際、この街で人間の創った文字を読める猫というのは少なくはない。ランパスキャット自身ですら一応は読める。
 「この街に来て僕が一番最初に驚いたのはね、この街の皆の識字率の高さなんだよ」
 いや、厳密には知能の高さ、かな。とミストフェリーズは言う。
 「猫が言葉を持つのはどこでも当たり前だ。ある程度の社会を構成している街というのもいくつか見てきた。でもね、此処ほどしっかりと統制がとれている場所は初めてだね。しかも、仔猫を除いて全員がある程度の知識を……知能をもっている」
 「何が言いたい?」
 「さぁ」
 さて、この黒猫はどこまで、何を、知っているのだろう。
 ミスト……。とランパスキャットが口を開きかけた瞬間、彼が先に呟いた。
 「……ジェミマ」
 「は?」
 一瞬、何を言おうとしていたのかも忘れ、ランパスキャットは訊き返す。
 「ジェミマがどうかしたのか?」
 ミストフェリーズはランパスキャットを手招きすると、窓の外を指差す。
 「ほら、あそこ……いったい一人で何処にいくつもりなんだろうね」
 「……」
 見ると、ジェミマは一人とぼとぼと街の外れの方へと歩いていく。
 「あのさ、ランパス」
 「あぁ」
 「僕の記憶が正しければ、あのまま歩いていくと中々どうして面倒な場所に辿りつくと思うんだけど」
 「だろうな」
 「追っかけなくていいの?」
 「もうそういう歳でもないだろう」
 「でも……」
 マズイよ、とミストフェリーズは言う。
 「一度痛い目にあうのも学習のうちではないかと思うが」
 「限度があるでしょ」
 このまま歩いていくと、間違いなく、隣街との境に出る。いや、正しくは、隣街でも此方の街の領域でもない無法地帯に、だ。
 昼間から禄でもない連中たちがたむろし、彼らに因縁をつけられるなんて日常茶飯事。それで済めばいい方だ。
その中でも“赤線”と呼ばれるような地域に足を踏み入れたが最後。マトモに出てこられる確率は殆どゼロに近い。
 「君が行かないなら僕が止めに行くけど」
 ミストフェリーズが不快気に眉を寄せる。
 「誰も行かないなんて言っていないさ」
 何のためにこんな古びた廃工場を寝床にしているのか。
 単に、そこに誰かが間違っても行かないように見張る為だ。
 「じゃあ……」
 「ミスト、お前は……そうだな、タガーか、マンゴを連れてこい。いなければ誰でもいい。但し、女は連れてくるなよ……いや、ディミとリーナなら構わないが」
 「わかった」
 「それと……マンカスにはできれば言うな」
 どうして?とミストフェリーズは首を傾げる。
 どうせ、黙っていても何れ彼には知られてしまうのだ。おまけに、彼はこの街の中でも一、二を争うくらいに強い。判断力もある。こういう場合に彼を呼ばないというランパスキャットの言い分が理解できなかった。
 「どうしても、だ。やむを得ない場合は仕方がないが……できればそれは最後の手段にして欲しい」
 不承不承うなずくと、ミストフェリーズはひらりと窓から外へと出る。
 ランパスキャットは深々と溜息をつくと、自らも寝床を後にし、ジェミマの後を追った。




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そして、やっぱりまた長いのです。
冒頭でミストが引用しているのはゲーテの言葉ですが、だからって私がゲーテ好きとかそんなことはないです。
むしろ、ゲーテの作品に触れたことはほぼ皆無です(のばら、くらい)。