ぽつん、ぽつんと振り出した雨が頬に当たる。
 逃げ出したい、とジェミマは思った。
 けれど彼女のプライドがそれを許さない。
 胃がちりちりする。
 心臓を鷲?みされたような気分。
 何でこんなにも居心地の悪さを感じなければならないんだろう。
 「ねぇ……どうして黙ってるのよ」
 あぁ、そうだ。
 「ねぇってば!!」
 初めてなのだ。彼女とこんなにも長い間対峙したのは。
 苦々しげにジェミマは小さく舌打ちをする。
 まともに会話をしようとした自分が馬鹿だったのかもしれない。
 よくよく考えてみれば、彼女に何かを求めるなんてどうかしている。
 「――――……何をそんなにも焦っているの?」
 「――!」
 彼女の言葉にジェミマは息を呑む。
 「それとも恐いのかしら?」
 「こわくなんかっ……!」
 嫌だ、とジェミマは思う。
 「そう、ならやはり焦っているんだわ」
 訳が判らない。
 「――……勝手に決めつけないでよ……っ!」
 わからないけれど……
 「そんなに、自分の居場所が失くなるのが嫌?」
 「!?」
 「誰かに居場所を取られるのはそんなに嫌なの?」
 自分の心を見透かされているようで
 「正解、かしら?」
 「だったら、何だっていうの?」
 不快、だ。
 「それのどこが悪いのよ!?」
 気持ち悪い。
 「私はなにも悪くないわ!!」
 そうね、と彼女は意外にもそういった。
 「貴女は何も悪くないわ」
 「……」
 「じゃぁ、一体誰が悪いの?」
 「――……?!」
 ジェミマは咄嗟に何事かを言おうと口を開いたが、言葉は何も出てこなかった。
 「どうして、自分から新しい場所を探そうとしないの?」
 自分は確かに悪くはない。
 でも、他の誰が悪いわけでもない。
 一人で勝手に拗ねて、飛び出してきた。
 「変わるのはそんなに嫌?」
 悪いのは――――?
 「うるさいっ!!」
 反射的にそう叫んでいた。
 「……そうよ、恐いわよ。だったら何?独りが恐くて何がいけないの?」
 もう、何も聞きたくない。
 「あんたに何がわかるのよ」
 誰にも、何も理解る筈がない。
 「いいえ、あなたにはわかるはずね、そんなになってまで此処にしがみついて生きているあ なたには。そうでしょう、ねぇ?」 
 わかってほしいとも思わない。
 「今の台詞、そっくりそのまま返すわよ。どうしてこの街から出て行かないの、グリザベラ?」
 「――……さぁ、なんでかしらね」
 自分でもわからない、とでもいうように彼女は肩を竦める。
 「でも、大事なのはどうして私が出て行かないのか、じゃなくて、どうしてあなたたちが私をほんとうに追い出さないのか、ということじゃないかしら?」
 「……!?」
 ちがう、とジェミマは呟く。
 「ちがう……そうじゃなくて……それは詭弁よ」
 「そうかしら?」
 「追い出したって出て行かないのは自由よ。あなたは出て行かなかったんだわ」
 「なら、あなたも同じね」
 そうくることは、あまりにも自然だった。
 ジェミマは何も言い返さなかった。
 反論しても仕方がない。いや、反論のしようがない。
 恐らく、いえば言うほど、言葉は意味を持たなくなる。
 「…………やっぱり」
 虚しくなるだけだ。
 「私も、堕ちるのかしら?」
 「そうなりたい?」
 ジェミマは静かに首を左右に振る。
 「ごめんだわ」
 でも、と彼女は続けた。
 「あなたと同じなら、そういうことでしょう?」
 「本当にそう思っていて?」
 「……」
 もう、つかれた。
 「あなたによく似た子を知っているわ」
 「それが?」
 「でも、あなたはその子じゃないでしょう?」
 「当たり前じゃない」
 「私と同じ状態にあっても、あなたは私じゃないわ」
 私と……と彼女は訊いてくる。
 「あなたが、私とは違うと思っているうちは、私のようにはならないわ」
 「――……」
 いきなさい、と彼女は小声で囁く。
 「此処はあなたのような子が来るべき場所ではないわ」
 視線だけで右奥の裏路地を一瞥し、彼女は言う。
 「赤線内にいることを彼等が知ったら心配するでしょう」
 五感を鋭く張り巡らせると、その奥から気配が三つほど近づいてくる。
 「間違えて、これ以上奥へと行かないよう、気をつけて」
 「グリザベラ……」
 「早く」
 ジェミマはきゅっと唇を硬く結び、眉根を寄せる。
 「やっぱり、あなたは嫌いよ」
 「そりゃぁ、どうも」
 彼女に背を向けると、ジェミマは後ろを振り向きもせずに駆け出す。
 彼女が柔らかく微笑んでいたことをジェミマは知らない。


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猫CDを初めて聞いたときのメモが出てきたんですが、ジェミマとボンバルリーナとディミータを混同してたらしく、ジェミマの年齢が28とかいうことになっててびっくりです。