思い出 |
「あら」 といったのはボンバルリーナで、 「まぁ……」 と呟いたのはジェリーロラム。 道端でばったりと出くわした彼女たちは、お互いにお互いの連れをみやった。 オレンジ色の毛並みと剃刀色の瞳の彼女は「フッ」と鼻先で哂い、 赤茶のベルベットのような手触りを持った、紅茶色の瞳の彼女は不愉快気に眉根を寄せ、 『行きましょう』 とタイミングを見計らったかのようにそれぞれの同伴者たちに声をかけた。 * * * 「――タントはカーバのことが好きなのかしら?」 ジェミマが漏らした呟きに、タントミールは思わず紅茶を吹き出しそうになった。 「……どっ…こをどうやったら、そんなことになるのよ?」 咳き込みながらタントミールは聞き返した。さっきの拍子で紅茶が変なところに入ってしまったせいか、非常に苦しげだ。 「いい、ジェミマ。タントにはちゃんとギルという彼氏だか舎弟だかよくわかんないけど――とにかく、一応思い人未然形がいるんだから、そんなこといっちゃダメよ」 まだ咳をしているタントミールの変わりに答えたのはジェリーロラムだ。 「じぁあ、ディミがギルを好きなのかしら?」 「それも何だか違うと思うわ」 少し考え込むようにジェリーロラムは顎に手をやる。 「ディミは、色気より食気なヤローに興味はないっていっていたもの」 「あんたら好き放題よくも言ってくれるわね……」 恨めしげにタントミールは呟いた。 これでは、自分もギルバートもあんまりだ。 「でも……間違ってはないでしょう?」 「――……」 間違ってはいない。間違ってはいないのだが、正しくもない。 開き直ると、タントミールはお茶請けのスコーンを一つ手に取った。 「まぁ、少なくとも、私はカーバを恋愛対象として見たことはないし、ディミータもギルのことはアウト・オブ・眼中でしょうね」 その答えにジェミマはまた少し首を傾げ、何かを思いついたかのように、笑顔で両手をぱちんと合わせた。 「じゃあ、マンカスがタントを好きなんだわ」 これに思わず吹き出しそうになったのはジェリーロラムで、口元を手で押さえ、必死に笑いを堪えている。 「――ジェミマ、ジェム……」 痛むこめかみをしきりに押さえながら、タントミールは重い溜息をついた。 「あんた、のーみそ大丈夫?」 「もちろんよ」 「だったら、なんでそうなるのよ!?」 「だってわかんないんだもん!!」 しぎゃー。とジェミマは今にもタントミールを威嚇しそうな勢いだ。 「だって、タントとディミがお互いを嫌いあう理由が見当つかないんだもの。これはオトコの影がちらついてるとしかおもえないわ!!」 「別に嫌ってないわよ」 本格的にタントミールは頭が痛くなってきた。 「四角関係がもつれにもつれて、そこに絡んでくる第三の男!更に過去の因縁と隠された真実がよじれによじれておこる殺人事件と、偶然重なる怪事件、これミステリーの基本!!」 ダンッとジェミマはテーブルを叩く。 「……あなた、最近変な本読んだでしょ?」 「ていうか、勝手に殺さないで欲しいわ」 何でもかんでも色恋沙汰にこじつけてしまうあたりが、ジェミマのまだ幼いところだ、とタントミールは思った。 「――でも、タント。私もその辺が気になるわ」 ジェリーロラムもきいてくる。 全てわかった上で彼女はわざと聞いてくるのだからタチが悪い。 何でもかんでも色恋沙汰に結び付けたくなるのは、幾つになっても変わらないものらしい、とタントミールは思いなおした。 別に、彼女と仲が悪いのはそんなことが理由ではない。 もっと、他にきちんとした理由があるのだが、タントミールはそれを他の誰にも話したことがなかった。 それはきっと彼女の方も同じだろう。 ずっと昔の出来事。 タントミールはそれを誰にも話す気にはなれなかった。 * * * すべてがわずらわしかった。 飼い猫である所為もあるのだろうが、タントミールは幼い頃から他人と関わることが苦手だった。 此処は長老を頂点としたいわゆるヒエラルキー社会で、一種の封建制度に近しいものがある。 それが良い、悪いは別として、タントミールは好きになれなかった。 嫌でも、誰かと関わらなくてはいけない。 集会やら何やらが催される回数も決して少なくなく、それらに出席することはタントミールには億劫だった。何かと理由をつけては丁寧に断ってきた。 その為、街の大人からの受けはお世辞にも良いといえたものではなく、同世代の子たちからも敬遠されていたといってもいい。 飼い猫であるから――何せ、血統書つきで買われたのだ――滅多に外へ出してもらえるはずもなく、次第に、此処の住人との交流も減っていった。 それでも、若干名時たま顔を出してくるモノ好きが此処にはいるらしく、それに対してはタントミールも何も言わなかった。 どうせ長老のいいつけだろう、程度の気持ちで思っていたが、嫌ではなかった。 本意ではないだろうとわかっていたけれど、それでもそれはあたたかかったから。 「――何度きてもらっても、私は外へは出られないのよ?」 「知ってるよ」 と彼は言った。 「出してもらえないんだから、仕方がない。飼い猫はそういうものだってきいた」 「来ても無駄なのよ。わかっててもどうしてくるの?」 「君が外へでられないなら、こっちが来るしかないじゃないか」 あんた、馬鹿?といいたくなるのを我慢すると、かわいらしい雌猫が口を開いた。 「悪いわね。この子はこういう性格なのよ……会話が噛み合わなくても耐えてね」 「ジェリーの要領がよすぎるだけだ」 どっちも変。とは口に出しては言わず、タントミールは苦笑を浮かべるだけだった。 大体いつも来るのはこの二人で、後はたまに減ったり増えたりした。 もう一人、いつもやってくる鮮やかなオレンジ色の綺麗な猫がいたが、タントミールは彼女とは一度も口をきいたことがなかった。 彼女は、いつも彼らと一緒にやってきては、タントミールと彼らが話すのを、静かに聴いているだけだった。 ただ、不思議とそれは不快なものではなかったのを覚えている。 何度目かの冬が過ぎたときに、タントミールは一度だけ自分から家の敷地の外へと出た。 タントミールが飼われていたのは、広い庭のついている家だったので、彼女が知っている世界は、家の中と、庭、それからたまに連れられて行くトリマーのところくらいだったし、基本的にはそれで充分だった。 外へ出てみた理由は単純で、彼らがいつもどこからやってくるのかを知りたかったから。塀を越えてやってくるのはいつも見えるが、その前は見たことがない。 猫好きの主人は家の敷地に他の猫がやってくるのを歓迎はしたが、自分の猫が他所へ出かけて行ってしまうのは快く思わなかったようだ。タントミールもそれはわかっていたから、自分から出て行こうとはしなかった。 それでも、何度もやってくる彼らをみて、外の世界に興味を持った。 彼女の主人たちは最近引越しをすることに決まったらしい。期限まではわからなかったが、きっと遠くないうちだ。そのことがタントミールの気持ちに拍車をかけた。 彼らがやってきた時と、気持ちよさそうに家の住人が午睡をしているときが重なるのを狙って切り出した。 「今日は、わたしも連れてって」 「いいよ」 拒否されるかもしれないと思っていただけに、あっさりそういわれたことに少しだけ驚いた。 小さく開いた窓の隙間から器用に身体を滑らせて外へ出る。 塀を飛び越え、着地した瞬間に、道を歩いてきた人間に踏みつけられそうになった。 「タント!」 大丈夫?と彼らは口々に聞いてくる。それに半分上の空で答えながら、タントミールは立ち上がった。 あの人間とすれ違った瞬間に妙な違和感があった。 鼻の奥に纏わりついてくるような重い臭い。恐らく、人間では感じ取れないくらいの微かなものだが、猫にはそれすらもはっきりとわかる。 確かにどこかで一度嗅いだことのあるものだったが、名前が思い出せなかった。 嫌な予感がする。 「タント、外は危ないから気をつけて」 「えぇ」 話しかけられ、それを頭から追い出す。 初めての外だ。 最初で最後になるかもしれない可能性もあるのだから、とタントミールは自分に言い聞かせ、とりあえずは“今”を楽しむ事に集中した。 冬の夕暮れは早く、陽が傾いたと思うとすぐに真っ暗になる。 流石に暗くなる前に帰らないと大変なことになるだろうからと、彼らに別れの挨拶をしようとていたときに、周りの異変にようやく気付いた。 いつもはすとんと落ちる陽が今日はやけに長い。それどころか、一部分がまるで真昼のように赤々と輝いている。 「何……?」 彼らが騒ぎ始めるのに若干遅れて、人間たちがざわつきだした。遠くからはサイレンの鳴り響く音が聞こえてくる。 「火事じゃない?」 と誰かが言った。 「だろうね」 そんなやりとりをタントミールは遠くのことのように聞いていた。 「……わたしの、家」 呟くなりタントミールは見物に出かける人間の合い間を縫って駆け出した。 後ろからは何だか彼らの喚いている声が聞こえたが、そんなものはタントミールの耳には届いていなかった。 放火、というのが人間たちのだした結論だった。 冬の空気と乾燥した庭の木々が火の勢いを強め、建物はほぼ全焼。敷地が広かった所為か他の民家に被害が出なかったことだけが幸いだ。 家の住人は、一人は搬送先の病院で、後の二人はそれぞれ一階と二階で亡くなった。 犯人は未だに捕まっていなかったが、そんなことはどうでもよかった。 人間たちは必死になって犯人探しの最中だというが、タントミールにはそれが誰だかわかっていた。 多分、外に出たときに自分を踏みつけそうになったあの人間だ。 今考えれば、あのときの臭いはきっとガソリンか何か――とにかく油系のもの、だったのだろう。 「……」 あれから一晩。未だに此処から動けない。 何度か彼らが様子を見に来たようだったが、あまりよく覚えていない。 ふと視界の端に鮮やかなオレンジ色が移った。いつの間にそこにいたのだろう、例の彼女がひっそりと傍らに腰を下ろしていた。 「全部、なくなったのね」 「えぇ」 「――……いつまでここにいるの?」 「さぁ」 わからないわ。とタントミールは首を振った。 その言葉がどこか彼女の癪に障ったのか、彼女は眉根を寄せた。 「ちょっと、あんた……」 「また――家を失くしたわ」 彼女の言葉を遮って、タントミールは話しだした。 「一度目は、生まれてすぐ。母親から引き離されてペットショップっていうの?そこに連れて行かれた。二度目は、そこから買われていくとき。一緒のケージに入ってたひとが、『おめでとう』っていってくれた。買ってくれたのは、一昨昨日までの私の飼い主。私がいうのも何だけど……良い人間であり、良い飼い主だったと思う」 そこで一つ溜息をつくと、タントミールは先を続けた。 「だから、これで家を失くすのは三度目」 「――……」 「でも、これでおしまい。もう何もないもの」 そういい終わるか終わらないかのうちに、強い衝撃が来た。一瞬何が起こったのかがわからず、目の前が真っ暗になる。 「……くそったれ!」 殴られた、否、はたかれたのだと気付くまでに少し時間がかかった。 * * * 「――ント、タント?」 呼ばれ、タントミールは現実に戻ってきた。 「スコーンと睨めっこしててそんなに楽しい?」 「ジェム、あんたとはいつかきちんと話をつけようね」 タントミールがそういうと、ジェミマは可愛らしい笑顔を引きつらせた。 「まぁ、それはともかく」 一瞬で話題をすり替えると、ジェミマは性懲りもなく、タントミールに訊いた。 「結局、タントは誰が好きで、ディミは誰が好きで、そこにどうやってカーバとギルとマンカスが絡んでくるのかしら?」 「あんたさぁ……単純でいいわぁ」 結局、あの後、ディミータとは何となく険悪なまま今に至る。 野良になって、此処のみんなにも随分となじんだ頃に聞いた話では、タントミールが一晩だと思っていた時間は実は三日で、その間に彼らがやってきては何かと話しかけ、あまつ食べ物まで置いていってくれたらしいが、全く記憶がなかった。ありがたいと思うと同時に、恥ずかしかった。 最初の内はそっとしておいた彼らも、一日たち、二日たち、三日目に痺れを切らした。 これはもう、がつんと誰かがいくしかないということになって、名乗り出たのがディミータだった、らしい。 良くも悪くも、ディミータが文字通りかれらの“最終兵器”だったのだ。 今になってみればあのことに対する不快感などは欠片もないし、恨んでもいなかったが、素直に感謝の意を示すことはタントミールのプライドが許さなかった。それは、きっと彼女のほうも同様だろう。 それまで会話をしたこともなかったのに、どうして?と、本人に聞いてもきっと理由は教えてくれないだろうから、その相方に一度だけ、訊いてみたところ 『“命懸けで喧嘩できる相手が欲しかった”とかわけわかんないこといってたわよ』 と教えてくれた。 確かにわけがわからなかったが、とりあえず、彼女がそう思って行動してくれたのだから、その通りにしてやろうと、タントミールは決めた。 だからこそ、未だに売られた喧嘩は全て買っている。ただそれだけの理由なのだが、それがどういうわけかジェミマにかかれば“四角関係+@の果てに女の修羅場”ということになってしまうのだから笑える。 「で、どうなの?」 ジェミマには邪気がないから困ったものだ。 「そうねぇ……」 そのままのことをいっても面白くないので、タントミールは少し、このお気楽思春期娘をからかってやることにした。 「実は、マンカスがギルのことを好きで、だからギルの恋人の私がディミータから恨まれてるのよ」 この一言が、後々新たな修羅場の幕開けになることをタントミールは知らない。 |
三周年記念に行ったアンケートで頂いたネタ「タントミールとディミータの話」です。 捏造加減が半端内ことになってしまったのですが、こんなものでよろしかったでしょうか……。 好きだ好きだといっている割には、ディミを書いたことないなぁ、と思いながらちまちま進めていったら、いつのまにかタントがメインにすえられていたという……ミステリー。 タントとディミは二幕頭の威嚇が好きだなぁとかぼんやり考えながら捏造してました。 貴重なネタをどうもありがとうございました! 2006年10月15日加筆。 加筆してもしてもしたりないです(マテ)。 ディミはきっとリーナには勝てないし、ジェリーには怖くて喧嘩売れないし、カッサじゃ喧嘩にならないんだとおもう。 だから、タント(オイ)。 |