Before Masquerade


 「ねぇ、お兄ちゃん」
 シラバブが訊いた。
 「ねぇ、お兄ちゃん。明日の舞踏会にはバブも行っていいんでしょう?」
 もう何度目になるだろう。
 最近、シラバブは何度も何度も繰り返し、同じ質問をしてくる。
 シラバブにとって明日は初めての舞踏会だ。年上の他の猫達から色々と話を聞いて、どれほど楽しみにしているかは容易に想像がつく。
 なので、この質問が繰り出されるたびに、マンカストラップは微笑んで、「あぁ、そうだよ」と答えてやっているのだ。
 シラバブは「やったぁ」というと、可愛らしい笑顔を見せる。
 「ジェリーおねぇちゃんや、タガーにぃからお話きいて、バブずっと楽しみにしてたんだから」
 ふと、視線を移すと、前方に影がいた。
 「はやく明日にならないかなぁ……ねぇ、お兄ちゃん」
 痩せて、お世辞にも綺麗とは言い難い毛並み
 「お兄ちゃん?」
 ボロボロの毛皮を纏い、虚ろな、けれどどこか強い眼差しで此方を見つめている。
 「マンカスお兄ちゃん?」
 マンカストラップはきつく彼女を睨みつけた。
 「……バブ」
 何故、彼女が?
 「先に、教会に帰ってろ」
 「え?どうして?」
 「いいから、帰ってろ。すぐに行くから」
 シラバブは一瞬寂しそうな表情を見せたが、すぐに「はぁい」というと、駆け出した。
 ……怒らせてしまったかもしれない。
 だが、仕方がない。
 お姫様のご機嫌お伺いはひとまずは後だ。
 それよりも、目の前の彼女の方が今は問題だ。
 二人は黙ってお互いの瞳を見据えたまま、じっと動かずにいた。
 それは、もしかしたらほんの一瞬の出来事だったかもしれない。
 けれども、マンカストラップには永遠のことのように感じられたし、恐らくは彼女も同様だろう。
 「――久しぶりね」
 先に口を開いたのは彼女だった。
 「元気そうで何よりだわ。……もっとも、私の方はそんなに久しぶりでもないのだけれど」
 言って、彼女は苦笑した。
 その様は力無く、儚げで、今にも消え入りそうだった。
 マンカストラップは眉間に皺を寄せ、彼女に訊いた。
 「何故、此処に?」
 「あら、ご挨拶ね」
 彼女は、こんなふうな笑い方をする女性だっただろうか。
 皆から中傷され、蔑まれ、奈落の底まで堕ちていった彼女を知らないわけではない。
 寧ろ、マンカストラップが直接彼女と関わったのは、落ちぶれた後の彼女の方が多いわけで……。
 でも、それでも、記憶の中の彼女はいつもあの頃のままだった。
 「私が陽の下を歩いてはいけないかしら?」
 誰からも愛され
 誰をも愛していた
 彼女が最も輝いていた、あの頃のまま。
 「そういう問題じゃない!!」
 だからこそ、余計に瞳を逸らしたくなる。
 「貴女が此処にいることが他の連中にバレたらどうするつもりだ?」
 もう、戻れないのだと。
 過ぎてしまった時間は巻き戻せないのだと。
 「……バラすの?」
 「!?」
 幸せな思い出は、所詮、記憶の中にしか存在しないのだと思い知らされてしまう。
 「貴方が言いふらしたりしなければ問題ないわ、マンカストラップ」
 「――……」
 マンカストラップはそういうと黙り込んでしまう。
 彼女はそんなマンカストラップを見て微笑むだけだ。
 わかっているのだ。自分にそんなことが出来るわけがないと。
 彼のことを一番よく知っているのは――あのひねくれモノの親友を除いては――他でもない彼女なのだから。
 彼女に言われるまでも無く、マンカストラップは彼女のことを不特定多数の誰かに言いふらすつもりなどさらさらなかった。否、できない。
 リーダーとしての立場上の問題もあるが、それ以前に彼の性格上の問題としてそのようなことをすることはできなかった。
 我知らず、哂いを洩らす。
 「……最低だな」
 それは自分自身に向けられたものだったが、彼女は彼の言葉をそうはとらなかったらしい。
 知っていることでしょう?と聞き返してくる。
 マンカストラップはその問には答えなかった。
 話さなくてはならないことがある。
 リーダーとして、他の皆の害になるような存在は排除する。
 皆から忌み嫌われ、疎まれている彼女はその場にいるだけで争いの元だ。
 そうならないように、事前に手を打つ。
 それが、自分の役目だ。
 だが、話したくない。
 伝えたくない。
 言えば、彼女はきっと傷付くだろう、
 けれど、彼女はきっとそれを受け入れてしまう。
 何事も無かったかのように、寂しそうに微笑んで、それで御仕舞いだ。
 そんなことは、はっきりいって御免だ。
 今迄、散々な対応をしてきて今更だとも思う。
 けれど、彼女のことは嫌いではない。
 偽善といわれようが、何といわれようが、嫌いではない相手を無暗に傷つけることなどしたくは無かった。
 「……俺、は…」
 マンカストラップは口を噤み、途中で言葉を切る。
 ふと、彼女と視線が交わった。
 先を促すように彼女は優しく微笑む。
 どうして…………。
 「――何故、貴女は此処にいるんだ?」
 マンカストラップの口を付いたのは、先程言いかけていたのとは全く違う言葉だった。
 何故、こんなになってまで、此処に執着する?
 皆から疎まれ、蔑まれ、拒絶されても、
 それでも……。
 「どうして……!!」
 彼女はただ黙ってマンカストラップを見つめていた。
 それから、自分が何を言ったのか、余りよく覚えていない。
 ただ、恐らくは酷く子供じみたことを言ってしまったのだろうと思う。
 脈略も何もなく、溢れ出て来る言葉を、感情を全て吐き出してしまったのだろう。
 「……多分、貴方と同じよ、マンク」
 ぽつんと、彼女は小さく呟いた。
 「!?」
 一瞬、ドクンと心臓が撥ねる音が聞こえた気がした。
 「そろそろ行くわ」
 瞳を伏せ、彼女は再び微笑む。
 彼女の言葉で気がついたが、此方に近づいてくる他の猫の気配があった。
 「話してくれて有難う、嬉しかった」
 「待て!」
 立ち去ろうとする彼女をマンカストラップは呼び止める。
 「……明日の舞踏会には来るな」
 これが、せめてものこと。
 「それは警告かしら?」
 ずるい、と思う。
 「いいや……」
 結局は、自分が傷付かないようにしか動けない。
 「忠告だ」
 けれど、誰も傷つけたくない。
 仲間も、彼女も。
 「それはどうも」
 彼女はくるりと背を向け、そのまま駆け出した。
 「グリザベラ!!」
 もう一度呼び止めてみるが、彼女はもう振り向かなかった。
 彼女の名前を声には出さずに反芻する。
 彼女も、誇り高きジェリクルの一人。
 マンカストラップが守るべき仲間の一人だ。


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……ついに書いてしまいました……。
しかも続きます。すみません。