「マンカス!!」
 綺麗なソプラノが凛と響いた。
 「ジェリーロラム……」
 よく見知った雌猫が此方に駆け寄ってくる。
 酷く、慌てているようだった。
 「どうした、ジェリー?」
 「“どうした”じゃないわよ!今、あなたが話してた女性って……」
 予測通りのジェリーロラムの言葉にマンカストラップは苦笑し、肯定の返事をする。
 「やっぱり……」
 何事かを考え込むかのように、ジェリーロラムは口元に手を当てると、沈黙し、マンカストラップをじっと見つめてきた。
 「ジェリー?」
 「――何か、されたの?」
 相変わらず、ジェリーロラムは鋭い。
 マンカストラップは「別に」と短く返したが、それで彼女が騙されてくれたとは思えなかった。
 現に、不審そうに瞳を覗きこんでくる。
 「ジェリー、この体制は少しキツイ」
 マンカストラップはジェリーロラムの背の高さに合わせ、仰け反るような形になっていた。
 ジェリーロラムは直ぐに「ごめんなさい」と短く謝罪し、傍らへと避ける。
 そして、ふと思いついたかのようにマンカストラップを睨んだ。
 「ちょっと、話を逸らさないで」
 まぁ……。とジェリーロラムは続ける。
 「何も変な事されてないなら、それでいいけど」
 「ジェリー、俺は子猫じゃないんだが」
 「あら、同じよ」
 ジェリーロラムは腰に手を当て、軽く胸を張る。
 「いくつになったって、年下は年下でしょ?どんなにガタイが良くなって、リーダーになろうとも、あなたは私の可愛いマンカスのままよ」
 台詞に多少引っかかる単語があるにはあったが、ジェリーロラムの言い分がわからないわけでもなかった。
 だからといって、いつまでも年下、子供扱いされていたのでは堪ったものでもないが。
 マンカストラップとジェリーロラムの年は一つしか変わらない。大雑把な年齢概念の彼等においては、ほぼ同い年といっていいだろう。だが、きっと、そういって反論してみたところで彼女には通じない。
 苦笑し、マンカストラップは肩をすくめる。
 「本当に何もされてないよ、ジェリー。特に何を言われたわけでもない」
 それでもまだ、ジェリーロラムは心配そうにマンカストラップを見ていたが、駄目押し的にマンカストラップが「大丈夫」というと、諦めたかのように小さく溜息をついた。
 「ん、わかった」
 そういって笑顔を見せると、ジェリーロラムはマンカストラップの頭を軽く叩く。
 自分よりも背の低い彼女にそうされることは、何だか妙な気分だったが、嫌ではなかった。
 「私はこれからジェニーおばさんの所に行くんだけど……マンカスは?」
 一緒にいく?とジェリーロラムの言葉はその意味を含んでいた。恐らく、彼女なりの気遣いだろう。
 「いや……俺は」
 そこから先が出てこなかった。
 何と言おうかマンカストラップが迷っていると、ジェリーロラムは再び溜息を付いた。
 「もう少し、嘘を覚えなさいな」
 「……」
 「気が向いたら、いつでも来て。おばさんもきっと喜ぶ」
 じゃぁね。というとジェリーロラムは足早に去っていく。
 マンカストラップはなんとも言えぬ表情で、彼女の行ってしまった方向を見つめていた。

*   *   *

 多分、それは本当に偶然だったのだろう。
 ジェリーロラムはその日、いつもの通り、お昼少し過ぎからジェニエニドッツの所にいく予定だった。
 別段、約束をしていたわけではない。
 ただ、普段から劇場での稽古の無い時は、決まってジェニエニドッツの所に行ってしまう。
 彼女の所で特に何をするというわけではない。
 ただ、お喋りをしたり、お茶を飲んだり、時には裁縫や、料理などを教えてもらう。そんな時間が好きなのだ。
 幼い頃に両親を亡くしたジェリーロラムにとって――否、この町の猫の殆どの――母親代わりであるジェニエニドッツ。
 いくつになっても、やはり彼女には甘えてしまう。
 どこか、安心させられる。
 自分がどんなになっても受け入れてくれるのではないか。
 そんな気分になってしまう。
 だからというわけではないが、ジェリーロラムはジェニエニドッツが大好きだった。
 それは、恐らくこの町の猫全員の共通の思いだろう。
 なので、今日も今日とて、いつも通りジェニエニドッツのもとへ赴こうとしていた。
 けれども、本当に――自分でも何故かはわからないが――たまたま、気まぐれをおこした。
 いつもとは違う道を選んだのだ。
 その道はジェニエニドッツの所に行くには少し遠回りになってしまうので、普段は余り使わない道だった。
 こっちに行ってみよう……。
 深い意味など何もない。何となく、選んだに過ぎない。
 そして、その選んだ道で彼を見つけた。
 暫く会っていなかった可愛い『弟』を見つけた嬉しさで、ジェリーロラムは急いで駆け出した。
 そして、何やら彼が誰かと話しこんでいること
 話し相手が彼女の毛嫌いする相手であること
 ――彼の様子がおかしいことに気付いたのだ。

 どうしたんだろう……。
 「――ェリー……ジェリーロラム!」
 ふと、自分を呼ぶ声で急に現実に引き戻された。
 「あ……」
 ジェミマとタントミールが心配そうに此方を見つめている。
 「どうしたの、ジェリー?」
 「どこか調子でも悪いの?」
 二人の問に、ジェリーロラムは首を左右に振って答える。
 「そんなことないわ」
 笑顔をむけると、彼女たちも軽く微笑んでくれる。
 だが、ジェリーロラムの表情は、再び翳ってしまった。
 先程からジェミマ達とお喋りをしてはいるが、まったく内容が頭に入ってこない。
 会話がつまらない、とかそういうことではない。
 ただ、ふとした瞬間に、先程の彼が見せた表情が浮かんでしまう。
 彼と、あの彼女の間に何かがあったことは確かなのだ。
 そして、その事が彼にあんな表情をさせたことも。
 けれど、彼は絶対に話してはくれないだろう。
 ……心配する権利も与えてくれないのね。
 他人の事はこれでもかというほど世話を焼くくせに。
 自分には全然関係のないことでも我が事のように喜び、共に悩み、悲しんでくれるというのに。
 彼自身のことには立ち入る隙を全く与えてくれない。
 それが、彼なりの周りへの配慮だとはわかってはいるのだが……。
 「おばさん」
 急にタントミールが口を開いた。
 「私達、今日はおいとまします」
 言いながら、席を立つと、ジェミマに「ほら、行くよ」と声をかけ、戸口へと歩いていく。
 ジェミマは何が何だか分からないという表情をしながらも、とりあえず、急いでタントミールの後を追った。
 「また、来ます」
 タントミールの言葉にジェニエニドッツは笑顔で「あぁ」と手を振る。
 「あ……待って、タント、ジェミマ…」
 「ジェリー」
 立ち上がったジェリーロラムをタントミールは言葉で制す。
 「少し、色々と整理しなよ」
 「……!」
 それだけ言うと、タントミールは優雅にジェニエニドッツに向かって一礼し、出て行った。
 「……あっ…と……ありがとう、おばさん」
 ジェミマもジェニエニドッツに礼を述べ、タントミールに続こうとする。去り際に、ジェリーロラムの横を通ると、ジェミマは「また後でね」と囁いた。
 慌しく、二つの足音が去っていくまで、ジェリーロラムは戸口を見つめたままだった。


>>next







あぁ、すみません、かなり長いです、コレ。
兄貴とジェリー……というより兄貴に夢見すぎ。