「すっかりお茶が冷めちまったね」
 淹れ直そう。と、ジェニエニドッツはティーポットを取ると、再び紅茶を入れ始めた。
 「……おばさん」
 「なんだい?」
 「――なんでもない」
 ジェリーロラムは軽く頭を振り、瞳を伏せる。
 ジェニエニドッツは何も聞いてこない。
 ただ、黙って普段と変わらぬ優しい笑みをくれる。
 それが、無性に嬉しかった。
 溜息と共にジェリーロラムは再び口を開いた。
 「……身体が二つほしいわ」
 「なんだい、急に?」
 歳かなぁ……。と呟き、コテンとテーブルに突っ伏す。
 「――グリザベラに会ったわ」
 瞳をジェニエニドッツと合わせずに、ジェリーロラムは告げた。
 ジェニエニドッツは、やや間を置いてから「そうかい」と応える。その声はいつもと何ら変わりの無いものだった。
 「正確には、会ったのは私じゃなくてマンカスだけどね。私が見たのはあの女性の後姿だけ。――ねぇ、おばさん」
 一つ、きいても?
 ジェリーロラムがジェニエニドッツを見ると、ジェニエニドッツは頷いてくれる。
 「……グリザベラはマンカスと何の関係があるの?」
 「どうして、それを私に?」
 「おばさんとグリザベラは昔仲が良かったって聞いたから」
 ジェニエニドッツは苦笑し、ガスだね?と訊いてきた。
 ジェリーロラムは素直に頷く。隠したって無駄なのだ。
 この街には彼女を含めてその時代を知るものは五人しかいない。
 まずは長老、オールドデュトロノミー。そして、今目の前にいる陽気で優しい彼女に、この街一番の金持ち――だが、ジェリーロラムは生憎彼とはそんなに親しくは無い――。
 後はあの娼婦と、ジェリーロラムの師であり、父親代わりでもある劇場猫――ガスだけだ。
 オールドデュトロノミーは多くを語らない。お喋り好きなジェニエニドッツも、意外と自らの過去のことについては滅多に触れない。そうすると消去法で必然的にガスが残る。
 「確かに、私が昔グリザベラと仲が良かったのは事実さ」
 訥々と、ジェニエニドッツは話し始めた。
 「私と同世代の雌猫っていったらグリザベラしかいなかったしね。雄猫を含めたって同世代と呼べるようなのはジョンとガスしかいなかった……私達が仲良くなるのは必然みたいなもんだった」
 ジェニエニドッツは珍しく瞳を伏せて話す。
 「けど……それも昔の話だ」
 あの日、全てが終わってしまった。
 「だから、今の私にはグリザベラが何を考えているのかなんて全然わからない。マンカスとのことも、ね」
 わるいね。とジェニエニドッツは寂しそうに微笑んだ。
 ジェリーロラムは慌てて首を左右に振る。
 「……好きだったの?」
 「――仲が良かったっていったろう?私達は四人しかいなかったんだ。『好き』とかそういう次元の問題じゃないね」
 その感覚はジェリーロラムには少し理解し難いものだった。
 自分には、同世代の仲間が沢山いる。寂しい時、困った時、迷った時、いつも傍に誰か居てくれた。
 けれど、ジェニエニドッツには――。
 「……どんなに、愛していても憎むことってできるのかしら?」
 それは、本当に唐突に口を突いた言葉だった。
 ジェニエニドッツは一瞬目を見張ったが、すぐに微笑むと、ジェリーロラムの疑問に答える。
 「――誰よりも愛していたからこそ、誰よりも憎むことができたんだよ」
 訊いてはいけないことだったかもしれない。そう思うと、少し、胸が痛んだ。
 私の勘違いかもしれないけどね、と前置きをすると、ジェニエニドッツは再び口を開いた。
 「グリザベラが、というよりもマンカスがグリザベラを気にしてるようにみえるんだよ」
 「!?」
 今、何て……。
 「気のせいかもしれないけど……何となく、ね。根拠も何もないけども……。長いこと街の“おばさん”をやってる勘かね」
 「おばさん……」
 ジェリーロラムも薄々それは感付いていた。
 だからこそ、触れなかった。
 禁忌として無意識に彼から遠ざけることにより、均衡を図らなければ、きっと……。
 壊れていたのは、彼の方だろう。
 「それは言わないで」
 「あぁ、わかってる」
 彼は、優しいから。
 「……マンカスは、優しいから」
 だから、誰よりも強い。
 「そうだね」
 だから、誰よりも脆い。 
 多分、此処にいる誰よりも。
 「……ごめんなさい」
 「あんたが謝る必要なんてどこにもないよ」
 ジェニエニドッツは笑いながら、子猫の頃によくしてくれたように頭を撫でてくれる。
 不思議と、落ち着く。もうそんな歳でもないというのに。何だか嬉しいような、気恥ずかしいような……。そんな気分だ。
 素直にそれを口に出すと、ジェニエニドッツは笑う。
 「いくつになっても、変わらないもんだってあるんだよ。私が何年“おばさん”をやってると思ってるんだい?」
 その言葉が嬉しくて、ジェリーロラムの表情も自然と緩んだ。
 「ありがとう、おばさん」

*   *   *

 ジェリーロラムが帰り一人になると、ジェニエニドッツはがらんとした部屋で軽く溜息をついた。
 ずっと子供だ子供だと思っていた彼女がいつの間にか自分で物事を考え、解決していこうとする大人になっていた。
 あんなに小さかった子がねぇ……。
 時間は確実に過ぎていく。
 今こうしている間にもゆっくりと。
 ジェリーロラムだけではない。
 ジェニエニドッツが子猫の頃からずっと見守ってきた子供達、マンカストラップもラム・タム・タガーも……みんな、それぞれ大人になっていく。
 我が子同然の彼等の成長は嬉しいと同時に寂しいものでもある。
 彼等が何だか、手の届かないどこか遠くへ行ってしまうような気がして……。
 だからこそ、先程のように時たま頼ってきてくれると嬉しい。力になってあげたい、両手離しでそう思う。
 私もまだまだだねぇ……。
 小さく苦笑を溢した瞬間、本日何度目かの来客を告げるベルが鳴った。
 ジェニエニドッツは無言で立ち上がり、扉に向かう。
 「おや、久しぶりじゃないかい」
 扉を開けると、見慣れた――いやに毛並みの艶と恰幅のよい――黒猫が佇んでいた。
 「今日は本当にお客さんの多い日だ」 


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……好きなんです、ジェニエニドッツ。
私的にはデュトロノミーではなく、ジェニエニドッツの方が猫たちの全てを知っているというか…。
デュトロノミーが知っているのは”猫”のことであり、この街で現在進行形で生活してる若猫たちのことを知り尽くしてるのはやっぱりおばさん……ジェニエニドッツかなと。