ミストフェリーズは教会の上でくんと小さく鳴き、伸びをした。 「やぁ、スキンブル。ご機嫌いかが?」 「上々だね」 振り向きもせずにいうと、真後ろの天窓から、ひょこっと黄土色の猫が顔を出した。 「おかえり、スキンブル。何時帰ってきたんだい?」 「ついさっき。今デュトさまに挨拶してきたところさ。ついでにマンカスにも会いたかったんだけど……万年苦労性の我らがリーダーは今も街の見回り中かな?」 「マンカス?下にいなかったの?」 「うん。少なくとも教会の敷地内にはいないと思うよ。デュトさまも知らないみたいだったし」 「見回りは……今日は午前で終えて戻ってるよ。僕、その時のマンカスに会ってるもん」 あれ、早いね。おかえりなさい。何かあったの? いや、午後からバブと出かける約束をしていたから。 ふぅん、そう。相変わらず、バブが一番なんだから。 普段、余り一緒にいてやれないから。 兄馬鹿。 そんな会話をし、笑いあったことをミストフェリーズははっきりと覚えている。 「ってことは、まだバブと出かけてるのかな?」 経緯を話すと、スキンブルが訊いた。 でもね、とミスとフェリーズは庭の片隅を指差す。 「あそこに見えるは、僕らの可愛い小さな姫君だと思うんだけどなぁ」 言われ、ミストフェリーズの指した場所へと視線を向けると、黄色掛かった子猫が一人でとぼとぼと歩いてくる。 確かに、それはシラバブだった。 あの、マンカストラップが子猫を――それもよりにもよってシラバブ――を一人で出歩かせるなんて、ありえない。 何か余程の事があったのか、それとも―― 「バブ!」 ミストフェリーズは立ち上がると、子猫を大きな声で呼ぶ。 呼ばれたことに気がついたのか、彼女は辺りをキョロキョロと見回し首を傾げ、ふと、視線を上げ、こちらを見る。 「ミストにぃ……」 答えるように、小さく手を振ってやると、途端、シラバブの表情が花のように明るくなる。 「ねぇ、ちょっとココまで昇ってこない?いい人に会わせてあげよう」 「いいひと?バブの知ってるひと?」 「うん、君も僕もよく知ってる」 「?お兄ちゃん?」 「……“おねぇちゃん”ではないねぇ……」 ちょっと、ミスト! とスキンブルシャンクスは小声でミストフェリーズに囁く。 「――絶対、シラバブは誤解してると思うんだけど」 因みに、立ち位置の関係でスキンブルシャンクスからシラバブの姿は見えるが、シラバブからスキンブルシャンクスは見えていない。 「バブにとって“お兄ちゃん”っていうのは、イコールマンカスなんじゃないの?」 マズイよ、とスキンブルシャンクスは言う。 もし、自分をマンカストラップだと思ってシラバブがやってきたら……後が、怖い。色々な意味で。 「僕は一言も“マンカスがいる”とも、“お兄ちゃんがいる”とも言ってないよ。大丈夫、バブにとっては君も僕も“お兄ちゃん”だから」 「違うよ、ミスト。“お兄ちゃん”はマンカスだけ」 「なんで?僕らはともかく、タガーとかランパスとか……他のみんなも…?」 「タガーは“タガーにぃ”ランパスは“ランパスおじちゃん”、ミストは“ミストにぃ”。ギルとカーバはそれぞれ“ギルにぃ”“カーバにぃ”で傑作なのはタンブル の“ブル兄”。因みにぼくだけ何故か“にぃ”が付かずにそのまま“スキンブル”」 「……」 何で、そんなに知ってるの? と喉もとまで出かかった言葉をミストフェリーズはかろうじて飲み込むことに成功した。 「まぁ……大丈夫、だとは思うけど」 そうこうしている内に、とんとんとんと軽快な足音が聞こえてくる。シラバブが階段梯子を上ってくる音だ。 ミストフェリーズとスキンブルシャンクスは思わず顔を見合わせた。 「ミストにぃ」 可愛らしい声と共に、クリーム色の小さな子猫が顔を出す。 「バブ……」 ミストフェリーズの声など聞こえていないかのように、シラバブは辺りをきょろきょろと見回す。その視線が、ある一点でふと止まった。 マズい……。 スキンブルシャンクスの背筋を冷たいものが走る。 今迄のパターンから察するに、この後は大抵大泣きだ。 ほんの数瞬だけ、時間の流れが止まったような気がした。 シラバブの形のよい唇が小さく震える。 ――くるか……? 「あぁぁぁぁ!!スキンブルだぁぁ!!!!」 ――はい? * * * 結果は、スキンブルシャンクスの予想していたものとは大分かけ離れていた。寧ろ、正反対だったといってもいい。 「ねぇ、スキンブル。何時帰ってきたの?」 「つ、ついさっき」 「お仕事どうだった?」 「いや、中々どうして順調に快適で」 「今度は前よりももっと長くいられるんでしょ?」 「え、あ、まぁ…ね」 何か、おいしいところ取りなんじゃない? ミストフェリーズは人知れず小さく溜息を付く。 久方ぶりにスキンブルシャンクスに会えたことがよっぽど嬉しかったのか、シラバブはずっとスキンブルシャンクスに引っ付きっぱなしだ。 「はいはい、よろしいですかね、御両人」 ミストフェリーズは頃合を見計らって声をかけ、さり気なくシラバブをスキンブルシャンクスから引っぺがす。 その隙にしっかりとスキンブルシャンクスの耳に「後で/マンカス」と囁くことをミストフェリーズは忘れなかった。 スキンブルシャンクスの顔色が瞬時に変わる。ミストフェリーズはそれを見て軽く――少々意地の悪い――笑みを洩らした。 「ミストにぃ?」 きょとんとした表情で此方を見上げてくるシラバブにミストフェリーズは微笑み返す。 「バブ、訊きたいことがあるんだけどね」 「なぁに?」 「マンカスがどこにいるか知ってるかな?」 マンカストラップの名を出した途端、シラバブの表情に翳が差す。 「バブ?」 「……知らない」 「へ?」 「バブ、知らないの」 「知らないって……」 ミストフェリーズはちらりとスキンブルシャンクスの表情を窺った。スキンブルシャンクスは無言で頷き返して来る。 「あのさ、バブ。知らないってどういうこと?」 ミストフェリーズに代わり、スキンブルシャンクスが訊く。 「んっとね……『先に教会に帰ってろ』って言われたの。だから、バブ途中から一人で帰って来たの」 えらい?とシラバブは笑顔できいてくる。えらいね、と短く返すと、スキンブルシャンクスはそのまま何事かを考えるかのように口元に手を当て押し黙ってしまう。 「ねぇ、バブ……なんでマンカスは君にそんなこといったの?」 「……わかんない」 いつもなら、ありえないはずのこと。 シラバブの表情が再び曇る。 「バブ?」 「――お兄ちゃん……」 きゅっとシラバブは両の手を硬く握り締める。 「バブのこときらいになっちゃったのかなぁ……」 ……ありえない。 例え天地がひっくり返ろうとも、全世界が凍結しようとも、それだけはありえない。 ミストフェリーズはそう思った。 タンブルとカッサが破局するくらいありえない……。とも。 「あのね、バブ」 軽い溜息と共にミストフェリーズはシラバブに言う。 「嫌いだから、遠ざけるって言う考えは安直だよ。好きな人だからこそ、遠くにいって欲しいと思うことだってあるんだ」 「――よく、わかんない」 「大丈夫、そのうちわかる」 例え、今わからなくても振り返ってみたときに解ればそれでいい。 あんなこともあったね、こんなこともあったね……その思いはきっと、財産になる。 「少なくとも、マンカスがバブを嫌いになるってことはないよ」 「そうかなぁ……」 「うん、絶対」 ミストフェリーズが笑顔を見せると、シラバブもつられてやわらかく微笑んだ。 あ、そうだ。とシラバブはふと何かを思いついたかのように言う。 「ねぇ、新しいひときた?」 「新しいひと?いや、僕は知らないな……スキンブルは?」 問われ、スキンブルシャンクスは首を左右に振る。 それも当然だ、彼はついさっき仕事から帰ってきたばかりなのだから。 「さっき、初めてのひとを見たから……そのひと、明日の舞踏会に来るといいなぁ」 「どんなひと?」 シラバブは、少し考え込むような仕草をしてから――彼女なりに――言葉を選んで話だす。 「……かなしいひと、だと思う」 「悲しいひと?」 「多分、すごくやさしいひと。やさしくて、あったかくて……すごく、きれいなひと。でも、きっと、すごくすごくさみしくて……だから、かなしいひと」 シラバブの理論展開は今ひとつよく分からなかったが、何となく、言いたいことだけはわかった。 だが、妙だ。 新参者はここ暫くこの街にはやってきていない。稀に、流れ者などはやってくるが。今いる面子の中ではミストフェリーズ自身が一番の新参者だ。 ミストフェリーズは自分がこの街に来た時のことを思い出してみる。 あの時は確か、街の領域に入る前からタガーにおちょくられ、入ったら入ったでマンカストラップに警戒された。 けれど、ここ何日間か二人のそんな素振りは全く見たこともない。 ――僕だけ例外だったりして。 「バブ」 スキンブルシャンクスが訊く。 「そのひとに会ったのって、何処?」 「んっと……ユーレー屋敷の近く」 「それって、マンカスと別れる前のこと?それとも後?」 「……前、かな?そのひとをみたら、すぐにお兄ちゃんが「帰れ」っていったから……」 びみょー。とシラバブは言う。 再び黙り込んでしまったスキンブルシャンクスに、ミストフェリーズが声をかけようとした瞬間、彼の方が先に「ミスト」と口を開いた。 「マンカスを探そう」 |
>>next 何となく、ミストとスキンブルに呼ばれた気がしました。おかしいな、出す予定はなかったのに(オイ)。 タガーとマンカスがセットならミストとスキンブルかなぁって。 余談ですが、直前まで”ユーレー屋敷”を”二丁目の田中さん家”とするか悩みました。田中さんって……誰だろう? |