さて。時間は少しだけ遡り。

 突然やってきた自分よりも頭一つ(もしかしたら一つ半くらいかもしれない)小さな客人を前に、万年苦労性のリーダーは憂鬱そうに口を開いた。
 「――で、何しにきたんだ?」
 「匿ってよ」
 ランペルティーザはマンカストラップにいった。
 マンカストラップは溜め息をつくと、さも痛そうにこめかみを押さえる。
 「ランプ……痴話喧嘩は早めに仲直りした方がいいぞ」
 「イヤ。今度という今度はぜーったいにゆるさないんだから」
 ランペルティーザは嫌嫌をするかのように首を左右にふる。
 「だって、いくらなんでもアレはマンゴが酷すぎるのよ!」
 力一杯そういうランペルティーザにマンカストラップは訊いてみた。
 「一体何が?」
 「……小さいって」
 「は?」
 「他人の胸触っておいて“小さい”っていったのよ、信じられない!!男の人ってみんなそうなの!?」
 「ランプ…………俺も男なんだが」
 「マンクは別」
 「………………そうか」
 “最低”なラインに入っていないことを素直に喜ぶべきか、男としてみてもらえていないことを悲しむべきか……。
とりあえず喜んでおこう。
 とマンカストラップは思ったが、どこか背中が寂しげだった。
 「――で、それがケンカの原因か?」
 「そんなわけないでしょう!流石にそこまで阿呆じゃないわよ!!」
 「じゃぁ、一体何なんだ!?」
 勘弁してくれ、と思う。ここは人生相談所じゃないんだ。
 そう思ったことを言ってみると、「でも、マンクは話をきいてくれてるわ」とランペルティーザは返してきた。
 マンカストラップはこれに弱いのだ。
 頼まれると嫌とは言えない。
 自分に寄せられる好意というものに物凄く弱い。
 「……何があったんだ?」
 結局、こうなるんだな……。
 マンカストラップは溜息混じりに苦笑した。

 *   *   *

 「名前は?」
 目が覚めて、一番始めにそう訊かれた。
 だが、彼女は彼の問いには答えず、くるりとシーツにくるまり、寝返りをうち、そっぽを向く。
 「――どこか、痛いところは?」
 構わず彼は訊いてくる。だが、何を聞かれても答える気にはなれなかった。
 諦めたかのように彼は溜め息をつく。
 「隣の部屋にいるから、何かあったら呼びなさい」
 短く告げると、彼は部屋を出ていった。
 独りきりになると、彼女はシーツを頭まで被り、丸くなる。
 そんなモノ、もってないもん。
 拗ねた子供のようにむくれる。
 飼い主が呼んでいてくれた名も、もう忘れてしまった。
 ゆっくりと、瞼をおろす。
 このまま眠ってしまおう。何も考えず、このまま。
 多分、それが一番良いのだ。

 *   *   *

 「何のつもりだ?」
 「別に」
 別に、だと?ランパスキャットの方眉が撥ね上がる。
 「じゃあ、お前は何となくでアレを拾ってきたのか?!」
 「違う」
 モノみたいに言うな。とマンカストラップはランパスキャットを睨んだ。
 「だって、放っておけないだろう?」
 彼女はまだあんなにも小さいのだ。独りで世に出て、生きていくにはまだ早すぎる。
 「――お前、ひょっとして、それだけの理由で連れてきたのか?」
 小さくマンカストラップは頷いた。
 ランパスキャットは深い溜め息をつき、痛そうにこめかみを押さえる。
 「……そんなんだと、その内、街中の捨て猫を拾って歩くことになるぞ」 

 *   *   *

 翌朝、カーテンの隙間から差し込む陽の光で目が覚めた。
 「おはよう」
 また、だ……。
 彼は昨日で懲りていないのだろうか。相変わらず、優しい笑顔を向けてくれる。
 「お腹空いただろう?今、朝食を持ってくるから……」
 意図が、よめない。
 ただの親切か、それとも……。
 「食べたら、少し外へと出よう。街の皆にも合わせたいし、何より、まずは長老に御挨拶に伺わないと……」
 部屋の中を忙しく片付けながら、彼は何かを言っていたが、その内容の半分も彼女の頭には入ってこなかった。
 「     」
 「ん、何か言ったか?」
 別に。と彼女は首を左右に振る。
 「そうか……それじゃぁ……」
 しっかり食べて、体力をつけないと。と彼は言う。
確かに、彼女の身体はがりがりに痩せていて、同年代の女の子たちよりも、格段に発育が悪かった。
 「――……いらない」
 消え入りそうな声で彼女は言った。
 「え?」
 「……いらない。――たべたくない」
 彼は何かを言おうと口を開きかけたが、結局、「そうか」とだけ言い、寂しそうに微笑んだ。
 「……じゃぁ、枕元に後で水を置いておく――何か、食べたくなったら、いつでも言ってくれてかまわないから」
 彼のその表情を見た瞬間、流石に彼女の良心も少しだけ痛んだ。
 けれど、彼が扉から消えるのを見届けると、ふるふると首を左右に振り、その考えを追い出す。
 確かに、悪いことをしたかもしれない。けれど、常識的に考えてみて、名前も知らない相手の差し出したものを食べ られるだろうか。初めて会った相手の行為を無条件にどこまで信じられるだろうか。
 だったら、あたしは捨てられたりしなかった。
 冷たいダンボール箱の感触も、悪戯につついてくる馬鹿たちのことも忘れられない。

 あたしは、なにもわるいことなんかしていない――。

 彼女は自分自身にそう言い聞かせた。

 *   *   *

 「駄目だっただろう?」
 「あぁ」
 素っ気なくマンカストラップは返す。
 “どうだった?”ではなく“駄目だっただろう?”とランパスキャットは聞いてきた。そのことが、何故だか無性にマンカストラップの癪に障った。
 「放っておけ。足手まといが増えるだけだ」
 「……気分が悪かっただけかもしれない」
 「今がどんな状況かわかってるのか」
 「わかってる」
 「お荷物は少ないほうがいい」
 「しってる」
 「なら何故構う?」
 「何度も言わせるな。あんなに小さな子を放っておけるか」
 マンカストラップがそういうと、ランパスキャットは黙り込む。
 「――生きる意志のない奴に構っている余裕などはないはずだ」
 「ランパス!!」
 咎めるようにマンカストラップは言い、ランパスキャットを睨みつける。
 「取り消せ」
 「嫌だといったら?」
 「……とりけせ」
 マンカストラップは引かない。ランパスキャットの瞳を見据えたままだ。
 ランパスキャットは諦めたかのように深く溜息をつき、切り出した。
 「俺は、嫌だぞ」
 「?」
 「俺は、あんな子供一人にお前が壊されるのは嫌だ」
 「――ランパス」
 マンカストラップは言った。
 「過保護」 

 何も変わらないまま何日かが過ぎた。
 彼は相変わらずやってきては話しかけ、何かと気遣ってくれた。
 彼女も少しずつ元気を取り戻し――やはり極々少量ではあったが――食事も取るようになった。
 それでも、彼女から彼に話しかけることは滅多になかったし、彼女から何かを感じることはできなかった。
 「だからあれほどいったんだ」
 ランパスキャットは「ほれみたことか」といわんばかりだ。
 「うるさい」
 「もう情が移ったか」
 「違う」
 「違わない」
 マンカストラップは言う。
 「“もう”じゃない。最初からだ」

 *   *   *

 ――眠れない。
 彼女はシーツの中で寝返りを打った。
 此処に来てそろそろ一週間になる。
 此処に来てからあったひとは、そう多くない。
 いつも来てくれている彼と、何度か身体の調子を見に来てくれた――ジェニエニドッツ。それと、白地に黒ぶちのおっかないひと――彼は“ランパス”と呼んでいた。彼女は本能的に“ランパス”に「嫌われている」と感じた。
 でも、肝心の彼の名前を彼女は未だに知らなかった。
 今更聞くのも憚られたし、第一、他人に名前を名乗る時はまず自分からというが、彼女は自分が名乗れる名前を持っていなかった。
 どうしよう……。
 そう思ったところでどうにもできはしないのだが。
 ――そういえば
 一番初めに会った“彼”。燃えるような赤毛の“彼”の名前は何なのだろう。
 『ようこそ、ジャンク・ヤードへ』
 あれ以来、彼を見ていない。
 一体、あれはどんな意味だったのだろう。
 確かに、此処はいいところかもしれない。
 でも……。
 何かが違う気がする。
 「――あいたいな」
 「オレに?」
 「――!?」
 一瞬、心臓が飛び出るかとおもった。
 「な、なっ――!!」
 こんばんはー。と言いながら、彼は窓から部屋の中へとすっと入ってくる。
 彼女は彼を指差し、口を開いてはいるが、喉から声が出てきてはいない。
 「あんまり口開いてると埃食べちまうぞー」
 「あ、あんたのせいでしょっ!!」
 どうして、彼はこんなところにいるのだろう。それ以前に、まず、どうやって入ってきたのだろう。此処は二階――正しくは、中二階だ。高さとしては三階分ほどある。窓の近くには背の高い木もない。文字通り落ちたらまっさかさまの高さだ。
 「あんまり大きい声出さないでくれる?見つかるとちょーっとマズイんだよねぇ」
 「……どうやってはいってきたのよ!?」
 「愛の力で」
 「うそ!?」
 「うん」
 あっさり肯定されたことに呆けていると、彼は「最近の若い子にはジョークも通じないんだねぇ」と一人感慨にふけっている。
 「まぁ、それはともかく」
 「何が、だ?」
 「――!?」
 うあ。と彼は振り向きもせずに、嫌そうに呟く。
 「ご機嫌如何、リーダー?」
 「最悪だな、マンゴジェリー」
 「へぇ」
 「こんな夜更けに何をしにきた?」
 「可愛い彼女に愛の言葉を囁きに」
 「馬鹿げたことを言うのは何枚目の舌だ?」
 「舌は一枚しかないに決まってるじゃん」
 「……生憎だが、窓からの訪問は受け付けないようにしている。即刻お引取り願おうか」
 「おや、オレはちゃんと玄関から入りましたよ」
 「馬鹿げたことを」
 「それはこっちの台詞だね。寝惚けてんじゃないの?何なら特別にオレがココまできたルートを話してやらなくてもないけど」
 「……参考までに聞こう」
 「玄関を入った後、猛ダッシュで屋根裏まで駆け上ってそのまま屋上へ。そんでもってその後、ココまで外壁伝いにやってきたのさ」
 猫ならではの身体能力を活かした荒業だ。
 「因みに、この部屋の位置は前もってリサーチ済みだし、中に入る時は教会のおっさんが前に取り付けてくれた猫用の入り口を使用」
 「――お前、正真正銘の阿呆だろう」
 「なんとでも」
 さて、と。とマンゴジェリーは呟くと、彼女の手を掴み、引き寄せ、窓へと走りだす。
 「待て!!」
 「といわれて待つ馬鹿はいない!」
 彼女を軽々と横抱きにすると、そのまま窓の外へと勢いよく飛び出した。
 おちる――!?
 ぎゅっと目を瞑り、来るべき衝撃に備えたが、意外な事にそれはなかった。
 「木の上……?」
 「そういうこと」
 ちなみに。とマンゴジェリーはすっと明後日の方向を指す。
 「お前がいたのはあそこな」
 木の葉の隙間から一つの窓が見える。そこから大柄な猫が一匹身を乗り出している。
 「見つかるとまた厄介だからねぇ……」
 歩ける?とマンゴジェリーは訊いてきた。彼女は無言で頷く。
 「どこか、いくの?」
 「“口うるさいお目付け役”から“お嬢様”を攫ったとすればやることは“逃避行”しかないでしょ?」 

 *   *   *

 あそこが広場、であっちがゴミ捨て場。
 そんでもって、向こうに見える賑やかな明かりが駅。
 二時の方角に進むと川と裏山。
 ねぇ、あっちは?
 “赤線”……つってもわかんねーよなぁ……。
 ?
 そのうちわかるさ。

 何もかもが初めてだった。
 こんな風に屋根の上を散策するのも初めてだったし、こんな夜遅くに出歩くのも初めてだった。
 そして、何より、誰かと一緒に歩くということが初めてだった。
 「キレイだろ?」
 街から遠ざかり、灯りも疎らな場所まで来ると、マンゴジェリーは逆に街を指して言った。
「アイツら、普段からあんなところで生活してるから、自分達が住んでるところがどれだけキレイか気付かないんだ ぜ」
 街のネオンが、家の灯りが、暗い夜の街を照らし出す。
 それは、人間の造りだした人口の星々。
 享楽の都の美しい宝石。
 「……きれい」
 「だろ?」
 ねぇ、と彼女は続ける。
 「このあいだもこれをみてたの?」
 「――――…………あぁ」
 マンゴジェリーはやや間を置いてから答える。
 本当のことなど口が裂けても言えない。
 それはともかく。とボロが出ないうちにマンゴジェリーは話題を変えた。
 「なぁ、お前、外嫌いか?」
 彼女はふるふると首を左右に振る。
 「なら、もっと出て来いよ。あんな家の中に一日中閉じこもってばっかりだとモヤシになるぞ」
 「……」
 「もっと周りみろよ。気付いてないだけで楽しいことも沢山あるし、優しいやつも沢山いるんだ」
 黙り込んでしまった彼女を見て、マンゴジェリーはしまった、と内心焦った。
 もしかしなくても地雷だったかもしれない。
 「えっ……と」
 これだから女の子は難しい。
 「そう、名前。お前、何でオレの名前知ってたんだ?」
 さり気なく話題を変えよう。
 全然さり気なくないがマンゴジェリーはとにかく違う方向に話を持っていこうとした。
 「……さっき、そうよばれてたから」
 「ふぅん……」
 しまった。これでは会話が終わってしまうではないか。
 「じゃあさ、お前の名前は?いつまでも“お前”って呼んでるわけにはいかないじゃん」
 「――」
 余計地雷だったかもしれない。と後悔しても後の祭りだ。
 どうしよう。
 真剣に、どうしよう。
 ココで話題が途切れたら最後だ。
 もう自然なネタがない。 
 どう会話を繋げようかマンゴジェリーが考えあぐねていると、消え入りそうな声で彼女が呟いた。
 「――……ランペル……」
 「え?」
 「ランペルティーザ」

 *   *   *

 目覚めたのは、いつもと同じ部屋でだった。
 「……」
 何時この部屋に戻ってきたのか、それ以前に、何時眠ったのかも覚えていない。
 夢、だったのだろうか……。
 「おはよう」
 いつも通り扉が開き、彼が入ってくる。
 「昨日はマンゴの馬鹿が悪いことをした。すまん」
 ということは、やはり夢ではないのだ。
 「二度とあんなことをしないよう、ちゃんと注意しておくから……」
 “もっと周り見ろよ”
 「だから、今回は許してやってくれ」
 “気付いてないだけで楽しいことも沢山あるし、優しいやつも沢山いるんだ”
 うん。と上の空でランペルティーザは返事をする。
 「あの……」
 言ってしまってからランペルティーザは瞬時に口を噤む。
 怪訝そうな表情で彼は此方を見てくる。
 反射的に口を開いてしまったが、その実、何も考えていなかったのだ。
 「何か?」
 あの、とランペルティーザはもう一度言う。
 「ありがとう」

 *   *   *

 「ランプ……確かにマンゴは救いようのないくらいの阿呆ではある。それは俺も認める。けれど、愚かではないよ、絶対に」
 少し、きっと、言葉が足りないだけだ。
 とマンカストラップはいう。
 「もう一度、よく話してごらん」
 「――あたし、マンゴに“最低”っていっちゃった」
 「いい加減胸の話から離れなさい」
 ランペルティーザは顔をあげ、マンカストラップの瞳を見る。
 「……あのね、マンク」
 「ん?」
 「――だいすき」
 くしゃり、とマンカストラップはランペルティーザの頭を撫でる。
 「そういう科白は、きちんとそういう相手に言いなさい」
 だって、好きだもん。とランペルティーザは少し拗ねたかのようにいう。
 「まぁ、いいわ。あたし、帰ってマンゴともう一回話してみる」
 たったと、ランペルティーザは戸口へと駆け出す。
 ドアを開く瞬間、此方を振り返ると、「ねぇ、たまにはバブだけじゃなくてあたしもちゃんと構ってよね」といい、悪戯っ 子のように笑った。
 「あたしだって、マンクを昔みたいに独り占めしたいって思うときがあるんだよ」
 「――考えておく」
 「イジワル!!」
 笑い声と共に扉はやはり威勢良く閉まった。
 一人きりになった部屋でマンカストラップは本日何度目かの溜息をつく。
 それにしても――。
 ランペルティーザが知ったらどんな表情をするだろう。
 あの日、何故、マンゴジェリーがあんな真似をしたのか。
 逃げ切ろうと思えば容易く逃げ切れたのに、何故、わざわざ見つかるようなことをしたのか。
 ……多分、嫌そうな顔をするんだろうな……。
 そして、「子供だと思って!」とまたマンゴジェリーに突っかかるのだ。
 けれど、それは必ずしもその通りの意の行動ではなく……。
 悔しいから、教えてやらない。
 「手のかかる子が減ると、こっちも寂しいんだよ」
 誰に言うでもなく、マンカストラップは呟いた。


end









マンゴ、光源氏計画(大爆笑)。



猫頁がまだ別館として存在していたころ(のしかも初期)に一度書き上げたものなのですが、どうも気に入らず、アップ後一週間くらいで下げてしまったものなのです……。
一年以上も経つと自分の昔の文章なんか恥ずかしくて到底見れたものじゃないのですが、三周年ネタマンペルを書きあげるには、これが避けて通れなかったので、思い切って。
肝心の三周年ネタはもう少々かかりそうですが。
修正しようにも酷すぎて手が加えられなかったというのは当然のヒミツです。

アップ当初のモノから知ってる方がいらしたら(いないって)是非感想をお聞きしたいものであります。




当時の勝手設定で、この年冷夏で食糧難っていうメモが残ってたのですが、冷夏で米が無くて困るのは人間だということに今気付きました。ぎゃふん。