真冬の帰り道

 ディミータはひとりで街を歩いていた。
 クリスマスが近付いた12月の半ば。街はどこもかしこも浮かれきっていて、騒がしい。街中をイルミネーションが彩り、クリスマスソングが流れている。
 人間達の繁華街にあたるこの付近一帯は特ににぎやかだ。
 えー。あたし、コレがいいー。
 という、随分のんびりした声とともに貴金属の沢山列んだウィンドウを指した人間の女を見た瞬間、ディミータはげっそりとした気分になった。
 次の瞬間に、すっかりふぬけた表情をした連れの男を引っ張って店内に入っていくのを見たら、言葉もない。
 ――……浮かれてる。本当に浮かれてるわ。
 溜め息をついて方向を変え、ディミータはさらに深い溜め息をつくはめになった。
 気付けば周りはいわゆるバカップルばかりだ。視線を上げて見渡せば、見せつけるかのように(というより、周りのことなんざ欠片も気にしていないのだろう)腕を組んで街を歩く人間の男女で舗道が埋めつくされている。
 ひくりと頬の筋肉が引きつるのを感じながら、ディミータは繁華街を後にした。自分達しか目に入っていないバカップルに踏みつぶされないように気をつけながら。

 「でねでねっ、カカオスポンジにして生クリームとシュガーパウダーとアラザンで雪山っぽくするの!」
 公園を通りかかると、やけに元気な声が耳に飛び込んできた。
 「じゃあ、マジパンのサンタとジンジャーマンクッキーも作らなきゃ」
 「いちご!ねぇ、いちごもいれて!」
 見れば、公園の土管の上でジェミマとランペルティーザ、シラバブがいつものように騒いでいる。
 ディミータに気付いたのか、ジェミマが「ディミ!」と手を振った。
 「楽しそうね、あんたたち」
 「クリスマスケーキの相談なの!」
 毎年、クリスマスケーキはジェニエニドッツと何人かの有志(というより、勇者といったほうがいいかもしれない)によってつくられる。どうやら今年はジェミマ達も手伝うらしい。
 「三段重ねて雪山みたいにしてね、そこにサンタとかいっぱいいるようにしたいの!」
 「クッキーのおうちに、シュークリームのソリとか!」
 「ちっちゃいバームクーヘンのきりかぶ!」
 そう……。と、ディミータは呟いた。
 甘いものは嫌いではない。嫌いではないが、聞いているだけで胸焼けをおこしそうだった。完成品を想像すれば歯が痛くなってくる。
 「今年はブッシュ・ド・ノエルにはしないの?」
 クリスマスケーキの定番はブッシュ・ド・ノエルだ。チョコレートの薪のケーキはちびっこたちの永遠のアイドルだったはずだ。
 「ううん、もちろんノエルも作るよ!」
 「?」
 別に作ってメインのケーキに使うのだろうか?
 それとも、もう一つ別に大きいのを作るのだろうか。
 人数が人数なので、ケーキが一つで平和にすむとは考えられない。どちらにしろ、数があって困るものでもないだろう。
 ディミータはそう考えていたが、続いた言葉は全く予想外の――ある意味、至極当然なものだった。
 「だって、ノエルはイブに食べるんだもん!2日続けて食べたら飽きちゃうじゃない!」

 *   *   *

 毎年、クリスマスには教会に全員が集まって盛大に騒ぐ。クリスマスは舞踏会とはまた違った意味で年に一度のお祭りだ。その代わりといってはなんだけれども、クリスマスイブは各自それぞれ粛々に(とはいっても、各々やっぱり騒ぐだけなのだが、規模が違う)過ごす。というのが、暗黙のルールというやつだった。
 が。
 いつの間にか、「クリスマスイブは好きなひととすごすもの」という(一部の)人間の習慣が定着している。
 さらに、クリスマスイブの方がクリスマスよりもメインな扱いになっている。
 だから、
 「ノエルはイブに食べるんだもん!」
 で。
 「2日続けて食べたら飽きちゃうじゃない!」
 となる。
 考えているといえば、ある意味とてもよく考えた末の行動パターンである。
 寒空の下、ディミータはそっと溜め息をついた。
 ジェミマ達のお喋りに付き合って、日が暮れてきたのでそれぞれを自宅まで送り届けてきた帰り道。
 冬の夕暮れは早く、油断をしたら直ぐに真っ暗になる。最も、各家々に灯った明かりで視界には不自由しなかったが。
 何とはなしに先ほどの公園まで戻って来て、積み上げてある土管の上に腰掛ける。そこからは家々の灯りがよく見えた。
 家というものは残酷だ。
 こうして外側から眺めていると、嫌でも自分がそこに入れないことを思い知らされる。例え、招かれて入っても、あくまで“お客さま”なのだ。部外者であることを余計突きつけられるだけだ。
 もっとも、家主には悪気なんて欠片もないのだろうけど。
 だから、きっと、シラバブを教会まで送り届けた際に「良かったら、上がっていかないか」と言ったマンカストラップの言葉も心からの善意で出たものに違いない。何せ、我らがリーダーは愛すべき激鈍で、善意とお節介の塊のような男なのだから。
 おまけに、彼はディミータが彼をどう思っているのかなんて、知らない。想いを寄せられているだなんて、小指の爪の先ほども思っていないだろう。
 腹を立てたり、恨めしく思ったりするのは筋違いだ。
 それでも、せっかくマンカストラップがかけてくれた言葉は、今のディミータにはやんわりとした拒絶にしかとれなかった。普段ならば、一も二もなく喜べるはずなのに。
 「タイミング最悪……」
 間が悪い。
 それ以外にいいようがなかった。
 多分、自分でも思った以上に、ディミータは焦っている。
 あの朴念仁を相手にした時点である程度の覚悟はしていたけれど、物事には何でも限度というものがある。
 それに何より、あの灯りの中に見えた茶色の尻尾と、黒の尻尾。その二人と自分を天秤にかけたときに、マンカストラップがどちらをとるかは決まっている。シラバブは勘定にいれないとしても、彼の一番はどう考えても自分ではないのだ。
 はぁ。と、もう一度溜め息をつく。吐く息はいつの間にか真っ白になっていた。
 「――……嫌いよ、クリスマスなんて」
 そうでなければ、こんな気分にならなくてすんだのに。
 それは完全な独り言のはずだったので、応えが返ってきたことにひどく驚いた。
 「その点に関しては俺もわりかし同意見なんだけど、理由をきかせてもらえないかな?」
 「!」
 慌てて見渡せば、茶色に黒の独特のブチを持った猫が、真下の土管から顔を出している。
 「……あんた、そんなところで何してるの?」
 「昼寝。昼間のここって保温性いいんだよ」
 「ウソ!」
 「うん、ウソ。こんな日当たりの悪いところが暖かいわけがない」
 「あんたねぇ……っ!」
 ブチ猫は土管から這い出ると、ちゃっかりとディミータの隣に並んで腰を下ろした。
 「まぁ、いいじゃん。別に。俺がここで何してたかなんて、大した問題じゃないよ」
 今、一番の大問題は――
 と、ブチ猫紳士は続けた。
 「なんだかよくわからないけど、俺を殴る余裕もないくらい、君は落ちこんでいるということかな」
 言われ、気付き、ディミータは拳を振り上げた。

 「とりあえず、これで問題は解決したと思うんだけど」
 「あの、勝手に解決させないで欲しいんですけど……」
 「『今、一番の大問題は、あんたを殴る余裕もないくらい、私が落ちこんでいるということ』だっていったのは、一体誰かしらね?」
 「ごめんなさい」
 「結構」
 加減をしたから、大したものではないのだけれど。さすがに今の対応はまずかっただろうかと、ちらりと隣を盗み見る。すると、図っていたかのように、カーバケッティと視線があった。
 カーバケッティはにっこりと笑って、
 「これくらいで君に元気が戻るなら安いもんだ」
 と言い出すからタチが悪い。
 「じゃあ、今度から腹が立つことがあったら真っ先に殴りにいってあげるわよ」
 「あ、何、頼ってくれるんだ。嬉しいなぁ」
 ……この分だと放っておいたら「愛の鞭だから!」とか言い出しそうで恐ろしい。前々から思っていたが、どうやらカーバケッティの脳みそには“懲りる”という単語はないらしい。
 ディミータはうんざりしたように「冗談よ」と、この会話を切り上げた。
 その後しばらく、ディミータは口を閉ざしていた。
 特に会話をする必要性も感じなかったし、そうしていればカーバケッティがその内いなくなるだろうと思っていたからかもしれない。正直、彼は苦手だ。カーバケッティが向けてくれる気持ちは彼女には重すぎる。何度無視しようが、実力行使でのそうが変わらない。はっきりいってしまえば、迷惑だ。ディミータには、それに応えることができないのだから。
 もっとも、迷惑だから苦手なのか、苦手だから迷惑なのかはわからなかったが、敢えてそれを区別する必要はないだろう。
 だから、今もいなくなって欲しかった。こんなときにカーバケッティといるなんて。どうしても、嫌なことを思い出してしまう。
 「……あのさ、カーバ」
 それでも、このままひとりでいたくはなくて――もしかしたら、どこかで彼ならば此処に居てくれるだろと期待していたのかもしれない。ディミータは言葉を選んで話しだした。
 「クリスマスってなに?」
 「人間の新興宗教のボスの誕生日」
 「ごめん、あんたに訊いたあたしが間違ってたわ……そもそも新興宗教って何よ?」
 「いや、地球が46億年前にできて、5000年前くらいにエジプト文明でピラミッドで十戒で、4000年前に中国に仙人がいたなら、2000年前の宗教なんてまだまだできたてほやほやじゃないかなと」
 「あ・そ」
 投げやりなディミータの返事に何か思うところがあったのか、カーバケッティは「あぁ、なるほど」と得心がいったというように呟いた。
 「よーわ、クリスマス前の浮かれきってる世の中を見て、実際のクリスマスの意味を考えてなんとなく面白くないわけだ」
 「……ありていにいえばそうよ。顔も知らない人間の誕生日なんて祝って何が楽しいんだか」
 「なんだ。そんなの、いってくれれば人間の新興宗教のボスの誕生日よりも100倍くらい盛大に君の誕生日のお祝いしてあげるのに」
 「頼んでない」
 ディミータは本日何度目かわからない溜め息をついた。やはり、この男はどこかずれている。
 「あたしは、目的を見失ったイベントに意味があるのかっていいたいの」
 我ながら言い訳じみていると思ったが、仕方がない。
 カーバケッティは「なら、そういうことにしておいてもいいけど」というと、「まぁ、独り身には辛いイベントだよね」と笑った。
 「あたしは、」
 「別に、君が独り身で辛そうだなんていってないよ」
 「…………」
 「25日には全員集るわけだから、少なくとも、その日は一緒に過ごせるよね。24日はひとりだっていったって、そのために何もしてなきゃひとりに決まってる。でもさぁ、今ひとりでも来年もひとりでいなきゃいけないわけはないじゃないか。先々を考えたら、俺は機会は何でも利用すべきだと思うね。ダメモトで声かけてみるとか。そう考えれば、そんなに悲観するもんでもないだろう?」
 「――それが人間の新興宗教のボスの誕生日でも?」
 「人間の新興宗教のボスの誕生日でも」
 反射的にディミータはその言葉に頷きかけ、はたと気付く。
 「でも、あんた、さっき『その点に関しては俺も同意見』だっていってたじゃない?――なのに、」
 「あぁ。そうだね。だって、俺は別に顔も知らない人間の誕生日祝う義理ないもん。だから、世の中の浮かれきってる連中みると腹立ってくるね」
 「だったら」
 「でも、理由は何であれ、滅多に揃わない皆が全員集合するのは嫌いじゃないし。やっぱり周りが楽しそうだと俺も嬉しいんだ」
 「――……」
 「それに。世の中の女の子が皆幸せそうにしてるのに、君だけ辛気くさい表情してなきゃいけないなんて嘘だろう?」
 ね?
 と、カーバケッティは笑う。
 ディミータは眉間に思い切り皺をよせると、カーバケッティを睨みつけた。
 「……あたし、本格的にあんたのこと嫌いみたいだわ」
 「嫌よ嫌よも好きのうちって単語知ってる?君に嫌われるなんて光栄だね。とゆーわけで、24日にかまってくれると非常に嬉しいんだけど?」
 問答無用でもう一度、ディミータは拳を振り上げた。

 *   *   *

 瞬く間にカレンダーの日は進み、あっという間にクリスマスイブも終わった。
 結局、クリスマスイブはいつものように住処でボンバルリーナと過ごした。正直、この同居人が出掛けないのは意外だったが、よくよく思い返せば、いつも彼女はこの日には外出しなかったかもしれない。あまりにも平然と彼女が普段通りに過ごしていたので、クリスマスイブだということを忘れるくらいだった。
 カーバケッティに言われたことをあれ以降考えなかったといえば嘘になる。しかし、何度思考を繰り返しても、「今考えても仕方がない」という結論にしかならなかった。
 ということは、まだ今はそのときではないということだろう。いずれ、きちんと考えられるときがくるはずだ。
 そう思えるようになっただけでもいいかもしれない。不思議なことにいつの間にか、焦りは消えていた。

 開けてクリスマス当日。
 街の猫達は、日が傾き始めた頃からぽつぽつと教会に集まり始め、辺りが暗くなる頃には然程大きくない礼拝堂はすっかり賑やかになっていた。
 日付が変わっても騒ぎは続き、それを避けるようにディミータは礼拝堂をそっと抜け出した。大勢でごった返した楽しい雰囲気は嫌いではないが、少しだけ一息つきたかった。
 なるべく静かな方へと足を向けているうちに、いつの間にか勝手口の近くに出ていた。勝手口は勝手口でジェニエニドッツ達の戦場と化しているので避けようとしたが、そちらの方が思いの外静かだったのでつい足を向けてしまった。近づいてみると、カチャカチャと食器が重なる音や、蛇口からシンクに水が流れる音だけが聞こえてくる。
 不思議に思いながら、勝手口の扉を静かに開くと、そこには一心不乱に台所で闘うマンカストラップの後ろ姿があった。
 特大サイズの片手鍋を自在に操りながら、かつその隙にオーブンの火加減を調節する様はあっぱれとしかいいようがなかった。
 しばらくすると、マンカストラップは視線をそのままに、手も止めず「ジェリー?」と、声をかけた。
 「すまない、今、手が離せないんだ。悪いがそこに出来上がったものがあるから、みんなのところに持っていってくれ。後、ジェニーを見つけたらシラバブがちゃんと寝付いたかを訊いてきてほしい」
 あんたはいつからおさんどんになったんだ!?
 と言いたいのをこらえ、ディミータは苦笑すると(何せ、おさんどん姿が様になりすぎているのだ。これはもう笑うしかないだろう)、「わかったわ」と返事をした。
 そこでマンカストラップはやっとこちらを振り返ると、驚いたように「ディミータ?」と呟いた。
 「ここにあるのを運んで、ジェニーおばさんにバブがどうしたかを訊けばいいんでしょう?」
 「あぁ――悪いな」
 「別に。それより、あんたずっとここにいたわけ?」
 「いや、まぁ……ずっと、ではない、かな」
 ということは、ほぼ“ずっと”この台所を仕切っていたのだろう。道理で見かけないはずだ。
 「少し休めば?どうせ全員酔っ払いなんだから、料理が出てこようが出てこなかろうが、気づかないわよ」
 「そう言われると身も蓋もないんだが――いいんだよ、俺は。何かしていたほうが落ち着くんだ」
 人が良いというのも度を過ぎたら考えものだ。と、ディミータは思った。
 「あんたって本当に損な性格してるわよね」
 「そうか?」
 「そうよ。どうせ昨日はチビ達のお守りして、今日は今日でチビ達と無駄にでかいチビ達のお守りして、ごはん作って、仕切って……ってやってるんでしょ?息つくヒマなんてないじゃない」
 ディミータの言葉にマンカストラップは少し驚いたように目を見張った。
 「そうか。そういわれればそうだな」
 「あんたねぇ……」
 「でも、俺は俺でしたいことをしているだけだから疲れはするけれど嫌なことは何もないし、それに、こうやって気にかけてくれるんだから損をしているとは思わないよ」
 「……」
 よくもまぁ恥ずかしげもなくこんな台詞をいえるものだ。そして、これで無自覚なのだから始末におえない。
 ディミータは内心で溜め息をつくと同時に苦笑した。
 あぁ。本当に、この相手にはかなわない。
 「――……そうね、損じゃあないわよね」
 と、小さく呟く。
 ディミータの言葉にマンカストラップは肯いていたが、彼女の言葉が彼に対する同意とは違ったものだとは彼は気付いていないだろう。
 そのことを是ととるべきか否ととるべきかを悩みながら、ディミータは窓の外を見上げる。
 いつの間にか、夜空からは白い雪が舞い降りてきていた。







あとがき