それはとつぜんやってくる

 とある学校から旧校舎にいる霊を祓ってほしいと依頼がきた。
 その学校は彼と何の縁もなく、キリスト教の学校というわけでもなかった。
 断ってしまってもよかったのだが、そこに困っているひとがいるならば信仰とは無関係に力になれるものならなりたいということで、引き受けてしまった。
 一時期は長丁場も覚悟した事件は、とある超自然科学者(とその他若干名)の活躍であっさりと無事に解決した。
 結局、霊とはまったく無関係な事件だったが、金髪の神父はそれでよかったのだと思っている。
 できれば、そのような事件は少ないほうがよい。
 「――それじゃあ、打ち上げにでも行きますか」
 「そうね。せっかくだし」
 坊主と巫女があれやこれやとプランを練り始めるなか、霊媒の少女は「すみませんが、撮影が入っていますので」と静かに言って、「失礼します」とその場をあとにした。
 「おまえは?何か予定は?」
 「いえ、特には……」
 何もない。そう言いかけて、口を噤む。
 立ち去る彼女の後ろ姿は儚げで、どこか寂しそうで。
 なんとなくではあるけれど、今、彼女をひとりにしてはいけない気がした。
 「すんません、後から行きます」と告げ、場所だけ確認すると、彼は急いで彼女の後を追いかけた。

 *  *  *

 「――原さん!」
 十歩ほど先を歩く和装の少女は無反応だ。その呼びかけに足を止めるどころか、むしろ、歩みを速めているふしがある。
 「原さんっ……原さん!」
 「……人違いです」
 彼女は押し殺した声で「どなたかとお間違いでは?」と続ける。
 「え、でも……原さんは原真砂子さんですやろ?ご自分でそうおっしゃってたやないですか……」
 「!?」
 ジョンが言い終わらないうちに、真砂子は彼の手を掴むと、問答無用でその場から駆け出した。
 一体、この細い身体のどこにそんな体力があるのだろうという速さと持久力で暫く走りつづけ、人通りが少なくなると、真砂子はその足をとめた。
 二度、三度と肩で大きく呼吸をし、若干非難の混じった視線をジョンへとむける。
 「――あんなに人の多いところで、名前を連呼しないでください」
 「え?…………あっ!?」
 すっかり忘れていたが、彼女はいわゆる芸能人だ。それも、かなり知名度の高い。一歩外に出れば、『芸能人なんかがその辺にいるわけがない』という世間の思い込みだけが彼女を守っていてくれるのだ。
 名前を呼ばれるなんて、不愉快もいいところだろう。まして、自分が原真砂子であることを認めるなんてもってのほかだ。
 「……すんません」
 「いえ――……それより、何か御用があったのでは?」
 そう問われ、ジョンは困ってしまった。
 正直、直感だけで追いかけてきてしまったため、特に理由も用事もない。
 今日日健全な19歳男児なら、ここで気の利いた台詞の一つや二つ出てくるものだが、出てこないところがジョン=ブラウンがジョン=ブラウンたる所以である。
 「――……用は、ないんですけど」
 「?」
 そして、こんな状況でも嘘をつくことができないところが、彼の美点でもあった。
 真砂子は小さく溜め息をつくと、「歩きません?」といい、ジョンの返事を待たずに駅への道を辿りはじめた。

 *  *  *

 日の傾きかけた街に、影が二つ、長くのびる。
 満開のころをすぎ、散りぎわをむかえた桜並木が西陽に照らされ紅に染まっていた。
 「――……ブラウンさんは、視える方ですか?」
 何が、とは訊くまでもない。
 「原さんのようにはっきりとは……たまに、なんとなく、おるんやなぁってわかるくらいです」
 原さんはすごいですね。というと、真砂子は露骨に眉をひそめた。
 「そうですか」と、気のない返事をし、視線を逸らす。
 「原さん?」
 「――……あたくしは一度もそんなふうに思ったことはありません」
 視えないものが視える
 聴こえないものが聴こえる
 普通のひとにはない能力
 「あたくしは、こんなものを欲しがったことなんて……」
 霊能力を欲した少女。
 彼女があの少女に何を思ったかは想像するに難くない。
 「差し上げられるものならばいくらでも差し上げたいくらいですのに」
 真砂子は吐き捨てるようにそういった。
 その横顔は、髪に隠れてあまりよくみえなかったが、何故だか彼女が泣き出してしまいそうな気がした。
 ジョンは何も言葉をかけることができず、ただ曖昧に「さいですね」とだけ返した。
 それから暫く、二人は共に言葉少なだった。
 考えてみれば、出会って数日もたたないのだから、当然といえば当然かもしれない。
 桜並木が途切れるころ、真砂子はぽつんと「ここで結構です」と言った。
 「心配して追いかけてきてくださったのでしょう?それくらい、あたくしにだってわかります」
 「でも……」
 「あたくしが自棄でも起こして暴れるとでもお思いですか?それとも、世をはかなんで自殺するとでも?」
 「!?」
 「ご心配なく。残念ながらそれほど繊細な神経を持ち合わせておりませんので」
 「原さん!」
 咎めるように名前を呼ぶ。
 「そんなふうにいわんといてください」
 「――」
 「……もっと、自分のことを大切にしてあげてください」
 これでは、彼女自身にあんまりだ。
 「原さんは、原さんです。あのおひとやありません」
 見栄やプライドがないわけではないのだろう。
 でも、ないものねだりをするようなことはきっとない。
 ありのままを受け入れられる、そういう人間だ。
 「原さんにはいらないものかもしれませんが、原さんがその能力をもっていたから、ボクは原さんに会うことができました」
 彼女が霊媒で彼が祓魔師でなければ、きっと出会うことはなかっただろう。
 「その能力も含めて全部が原さんなんです」
 その髪も瞳も声も――能力も、何もかも。
 何か一つでも欠ければ、それはもう原真砂子という人間ではない。
 「だから、ボクは感謝します。原さんに……その能力をもって生まれてきてくださって、ありがとうって」
 彼女がいてくれたことに。
 彼女に出会えたことに。
 「――……ひとつ、忠告してもよろしいですか?」
 真砂子はゆっくりと切り出した。
 「ブラウンさんの故郷のことは存じませんが、日本ではむやみやたらに女性にそういう発言はなさらないほうが身のためです。それでは、女性を口説いているのと同じですよ」
 「っ……!?」
 「もっとも、ブラウンさんがそんなおつもりでおっしゃってくださったのではないというのは、あたくしにはわかりますけど」
 真砂子はそこまで一息にいうと、小さく苦笑する。
 「では、あたくしも感謝すべきですね」
 「何にですか?」
 ジョンの問に真砂子は答えず、ただ微笑みを返した。そして、「――撮影の時間が迫っていますので」と告げる。
 「ブラウンさん」
 真砂子は視線をあげ、静かにジョンの瞳を見据えた。
 「――……ありがとう」
その言葉にジョンはただ柔らかく頷いた。







あとがき。(080311)