Blue Bird

 春先の、まだ風の冷たい日のことだった。
 教会の敷地に入る手前のところで小鳥を拾った。
 正確には、拾ったのはその場に居合わせた彼女であるが、彼女の家は動物の世話には向かないというので(彼女の体質や能力の所為で、彼女と家人の折り合いが良くはないということは彼も知っていた)、ひとまず教会で預かることにした。
 小鳥はどうやら巣から落ちたか、何かにぶつかるかして、あの場にいたらしい。
 上手く飛べないようだったので、町内の獣医に連れて行った。
 幸いなことに然程重傷ではなかったようで、『すぐに飛べるようになりますよ』と、獣医は微笑んだ。
 小さな青い小鳥。
 図鑑で調べてみたが、この小鳥が何という鳥なのかはわからなかった。もっとも、教会に通ってきている子供達が持ってきたものだったから、あまり詳しいものではなかったからかもしれない。
 名前がないと不便なもので、皆その鳥を好き勝手に呼んだ。

 小鳥を拾って以来、彼女が教会に来る回数は増えた。それまで、たまの休日に日曜学校を手伝ってくれる程度だったが、忙しいだろうに仕事や学校が終わってからも時間を見つけてはやってきて、雑事や小鳥の世話をしてくれた。
 拾い主の所為か、小鳥は彼女に一番懐いた。
 しかし、彼女は小鳥に名前をつけなかったようだ。
 一度、そのことについて訊いてみたところ、彼女は困ったように微笑って「『おいで』っていうと来るものですから」とこたえた。
そのせいだからというわけではないが、彼も小鳥を特定の名称で呼ぶことはなかった。
 彼女が名前をつけていないのに、その小鳥を特定の呼び名で呼ぶことは躊躇われた。

 獣医の言ったように、小鳥は順調に回復した。
 小鳥がもう一度飛べるようになる頃には、初夏が近付き、昼日中は汗ばむくらいの陽気が続くようになっていた。
 「バイバイ、神父さま」
 「また来週」
 「さようなら」
 日曜学校が終わって帰っていく子供達を、彼は笑顔で見送った。
 教会の敷地と歩道の境まで出て、子供達が見えなくなるまで手をふる。
 一番後ろを歩いていた子供が角を曲がったのを見届けると、彼は踵をかえした。
 ふと視線を上げると、教会内にある樹々が目に入った。森や林といえるほど大層なものではないが、多少なりともまとまった数の樹が林立していると、東京ではそれなりにみえる。
 新緑が眩しい。
 ふいにどこからかバサバサっと音がした。
 そして、それと同時に緑の木立の中を何かが大空へと横切って行く。
 「!」
 瞬間、胸の奥に生まれたのは漠然とした不安だった。
 それは、段々と確固としたものとなっていき、教会の中へと戻った頃には確信へと変わっていた。
 子供達の帰った礼拝堂はひっそりと静まり返っていて、物音一つない。
 彼女はその中で、まるでそれごと一枚の絵だとでもいうように、窓辺に佇んでいた。
 堅い床を歩く彼の足音が冷たく響く。
 「――逃がしてしまわれたんですね」
 彼女はその声に振り返り、「えぇ」と小さくこたえた。
 「どうして……?」
 「あたくしには必要ありませんでしたから」
 「それは、」
 いくら何でも無責任な言い分ではないだろうか。
 もしそうならば、最初に拾った段階でもっときちんと最後まで世話をしてくれるひとを探すべきではなかったのか。
 そう問い詰めると、彼女は微かに瞳を伏せた。
 「えぇ……そうですね」
 「原さん」
 咎めるように名前を呼ぶ。
 彼女は視線を逸らし、再び窓の外を仰いだ。
 「……青い鳥は、しあわせを運んでくるんですってね」
 「え?――えぇ、まぁ」
 一瞬、何の話だろうかと思ったが、即座に童話のことかと思いあたる。
 「では、青い鳥のしあわせは?」
 その問いに答えるべき言葉を、彼は持っていなかった。ただ、黙って立ち尽くすことしかできない。
 それを見越していたのか、彼が何も言わなくても彼女は特に気に止めてないようだった。
 相変わらず、静かに空を見つめ続ける。
 「――もう、見えなくなってしまいましたね」
 青空と同じ色をした羽の小鳥は、空に溶けてもうみえない。
 小鳥の名前は最後までわからないままだった。







たわごと。