2008年5月24日
プッという電子音と共に、それまで聞こえていた話し声も止んだ。 どうやら電話が終わったらしいと、タイミングを見計らうと、麻衣は淹れたての紅茶をもって給湯室から出てきた。 「真砂子なんだって?」 「三十分くらいでつくそうですよ」 ふうん。と返事を返しながら、麻衣は心の中で「相変わらず現金なやつだ」と苦笑した。 しかし、麻衣が逆の立場でも概ね似たような行動をとりそうなので、あまりひとのことは笑えない。 それはそうと。と、麻衣は切り出した。 「ごめんね、こっちから取りに行かなきゃいけないのに。ナルって遠慮とゆー単語知らないから」 興味のある絶版文献がジョンの教会にあると知ったら、ナルは一言「次くるときに持ってきてくれ」ときたもんだ。そこで「取りに行きます」の言葉がでないところが流石は我らが所長サマである。もっとも、仮に「取りに行きます」と言ったところで、その後に「麻衣(もしくはリン)が」とつくのだろう。 「いいえ……本一冊ですから」 「ダメダメ。甘やかすとつけあがるんだから」 と、いいつつも、やっぱり麻衣も「取りに行きます」の一言がでないのだが。 別に取りに行くのは構わないのだが、真砂子のことを考えると一人で行くのは気が引ける。だからといって、たかだかナルの欲しい本一冊のためだけに、多忙な真砂子を誘うのはもっと悪いような気がする。 と、ぐだぐだ考えているうちに今にいたる。 ジョンには面倒をかけたかもしれないが、これでよかったのかもしれない。 「あぁ」と、ジョンは何かを思い出したように口を開く。 「麻衣さんは次の日曜日はあいてますか?」 「あいて……る、けど?」 あいてはいる。 あいてはいるが安易に返事はできない。 「ちょっと大きな礼拝があるんです。礼拝とゆうよりも、コンサートに近いんですけど」 「――」 …………これか。 と、麻衣は内心で溜息をついた。 「ボクの会派が主催なんですけど、ある学校の教会を借りてやる関係で、人数がいないと困るらしくて……」 それはいわゆるサクラというのでは? と思ったが、ジョンが真剣に困っていそうな表情をしたので、あえて突っ込むのは止めておいた。 「あの、よろしければ、原さんや渋谷さんと一緒に」 きっと、本人に悪気は欠片もないのだろう。 しかし、それが一番タチが悪い。 「あのさぁ……」 麻衣は言難そうに訊く。 「前に、真砂子にも、似たようなこといわなかった?」 ジョンは「よくご存知ですね」と、少し驚いたように目を見張る。 「前回のときに原さんに声をおかけしました。直前だったのに、ご都合つけてくださって。ありがたいかぎりでした」 そりゃあ、あんたの頼みだからだよ……。 と、言いたいのをこらえ、麻衣は「わかった」と短くいう。 「いく。ナルとちゃんといくから。だから、真砂子にはジョンから声かけてあげて」 「は?」 「いいから、ジョンが誘うの!」 ついでに、そのときにあたしの名前出しちゃダメだよ。 と、麻衣は念をおした。 『麻衣が期待するようなおはなしは何一つございませんことよ』 本当に、真砂子のいう通りなのだろう。 年頃の男女に期待するようなことは何一つなく。 それ以前に男性に期待できるようなことは何一つなく。 もしかしたら、眼中にあるのかすらも危うい。 それなのに、たまたま事務所で会えたときだとか、何かの用事で一緒に出かけたりだとか。 そういうことが真砂子にはたまらなくしあわせなのだろう。 麻衣は、最早本日(というよりも、ジョンが来てからの何十分かで)何度目かわからない溜息をひっそりとついた。 このぶんでは、ちゅーはおろか、抱きついたこともなければ、手をつないだこともないに違いない。 と、そこまで考えて、ハタとあることを思いつく。 ジョン。 と名前を呼んで手招きをして、そこでふいにぎゅっと抱き寄せる。 「あの、麻衣さん?」 考えてみれば、さっきまで真砂子に抱きついてたんだ。 こんなことでは代替にもならないけれど。 「理由はきかないこと。ついでに誰にも言わないこと」 「はぁ」 よし。と呟くと麻衣はぽんぽんと、ジョンの背を叩いた。 事務所の扉が開いて霊媒少女がやってきたために、麻衣の行動がすべて裏目にでるのは、もう十数秒後のこと――。 |
2008年5月18日
「まーさーこ」 と、妙な節をつけて名前を呼びながら、麻衣は手にしていた雑誌から視線を上げた。 「最近どぉ?」 真砂子は怪訝な表情をすると「目的語をおっしゃいなさい」という。 「んー。ちょっとは出かけたり色々してるのかなぁって」 「出かける?家から?ひとを引きこもりみたいにいわないでくださいません?今だって出かけてるから事務所にいるんでしょう」 「うあ、それ本気でいってる?」 天然?と思ったが、麻衣は口には出さなかった。そのほうが身のためだからだ。 「あたしがいいたいのはそうじゃなくて。ちょっとは進展があったのかなーってこと。みなまで言わなくてもわかるでしょ?」 そこでようやく思いついたのか、真砂子はむくれたようにそっぽをむいた。 「詮索は悪趣味ですわよ」 「悪趣味で結構」 ふふん。と麻衣が胸をはり、「で?」とさらに追い討ちをかけるように訊くと、真砂子は渋々とこたえる。 「――舞台にご一緒したのはお話しましたでしょう?」 「うん」 「そうしたら、お礼にって、礼拝に招待されました」 「ふぅん………………え、れいはいぃ?」 厳密にいうと、礼拝とパイプオルガンの演奏会やら賛美歌の合唱やらが含まれたもので、一般のひとにも開放されて行われるような一種のチャリティコンサートにちかいものらしいのだが。 「えぇと……それって、」 「麻衣が期待するようなおはなしは何一つございませんことよ」 「だよねぇ」 ただでさえ浮いた話の期待できない相手なのに。場所が教会とあらばなおさらだ。 「大体、なんで急にそんなことを訊くんです?」 「いや、まぁ、ねぇ……」 はは。と乾いた笑いを漏らしながら、麻衣はさりげなく雑誌を閉じた。 それを見た真砂子は、なにを思ったのかその雑誌を手に取り、麻衣が目を落としていたページを開く。 『今月の獅子座のアナタの運勢 小さなことにくよくよしないで長い目で物事をみると吉。 恋愛運は絶好調。片思いのアナタには劇的な変化がおとずれるかも。』 「『アプローチは積極的に。ラッキーアイテムはピンクの小物。ラッキーな場所は夜の遊園地……」 心なしか、雑誌をもつ真砂子の手が小刻みに震えている。ついでに文章を読み上げる声も震えていた。 「あ、あは、は……」 笑うしかない状況というのはまさにこれだろう。 「――アナタの恋がうまくいくことを祈ってます。』」 一通り読むと真砂子はパタンと雑誌を閉じた。一度、深く呼吸をすると荷物をまとめて無言で席をたつ。 「ああぁっ!真砂子!!」 「えぇい、おはなし!」 「かえらないで!」 「あなた、そんなこといえた義理ですか!?」 抱きつく麻衣を振り払うと、真砂子は肩で大きく息をする。 「そんな、三流雑誌の非科学的な星占いコラムなんて……」 キッと麻衣を睨みつけると、ぴしゃりと言い放つ。 「絶対に信じませんから……!!」 と、捨て台詞のようなものを残すと、真砂子は荒々しく扉を閉めて出て行ってしまった。 「――……このあと、ジョンがくるよって、言おうとしたのに……」 まぁ、ジョンが着たら、彼に真砂子の携帯電話に電話の一本でもしてもらえばすぐに戻ってくるだろうけど。 それにしても、『絶対に信じない』とかいってしまうあたり、十分気にしてしまっている証拠である。 文字通り、三流雑誌の非科学的星占いなのに。 「まったく……だから“かわいい”っていわれちゃうんだよ」 麻衣は苦笑すると、雑誌を机の引き出しにしまった。 『今月の獅子座のアナタの運勢 小さなことにくよくよしないで長い目で物事をみると吉。 恋愛運は絶好調。片思いのアナタには劇的な変化がおとずれるかも。』 アプローチは積極的に。ラッキーアイテムはピンクの小物。ラッキーな場所は夜の遊園地。 ただし、やりすぎは厳禁。ワガママで軽い女の子だと思われてしまいます。 相手のことを考えることをいつもわすれないで。 そうすればチャンスは味方してくれます。 ――アナタの恋がうまくいくことを祈ってます。』 |
2008年4月19日
きっと、ふとした瞬間に今まで積み上げてきたものなんて簡単に崩れてしまうのだろう。 どれだけ自分が小さな人間で、何もできないかということを嫌でも思い知らされる。 そんなときに縋りたくなるのはほんの些細な接点で。 お互いの日々の生活なんてほとんど知らないから、そこにいけば会えるという保証はないけれど。 それでも、少しでもいいから、可能性にかけてみたくて。 「いらっしゃいませ」 と、出迎えてくれたのはいつものバイト少女ではなく。 「まぁ、ブラウンさん?お久しぶりです」 彼女は受付用の事務机から立ち上がり、彼の前へとくる。 「麻衣は今ちょっと買い物に出ていますの。お茶菓子のストックが切れてしまったので」 携帯電話を片手に洋菓子のチラシを広げ、彼に笑顔で訊いてくる。 「追加を頼みますね。ブラウンさんは何がよろしいですか――……ブラウンさん?」 堪えきれないものを、それでも必死に押し殺すように、彼女の身体を抱き締める。 「あの、ブラウンさん?」 『――……あなたがいてくれてよかった』 「は?」 低く早い英語で呟いたせいか、彼女には聞き取れなかったらしい。 幸いといえば幸いだといわんばかりに、彼は「なんでもありません」と、微笑んでその腕をほどく。 「なんでもないということは、これはいわゆるセクハラというやつですね」 と、彼女はわざとらしく拗ねてみせる。 「えぇと、それはいくらなんでも酷いんやないかと……」 「なら、あたくしが抱きつき返しても文句はなしですわよ」 「……ハイ」 例えば、これが恋とは違っても。 彼女が必要で、彼女が必要としてくれるならば。 きっとそれ以上は何もいらないのだと。 そう思いながら、もう一度彼女を抱き締めた。 |
2008年4月13日
何度目かの挑戦が失敗におわり、真砂子は小さな溜め息をついた。 欲しい本は目の前(というより、厳密には上だが)にあるのに、あと少しのところで手が届かない。 ナルやリンがいつも難なく上のほうの棚から本を取り出すのをみていたので、すっかりサイズのことを失念していた。 一般的にはそんなに巨大な本棚ではないけれど、小柄な真砂子は上のほうには手が届かない。 背伸びして、手をのばせばすぐに届きそうだけれども、あと数センチ足りない。 若干とんだりはねたりしてみるが、結局はなんだか自分がまぬけなようにみえておわりだ。 せっかく、あのナルを説き伏せて資料室を解放してもらったのに(もっとも、「必要な資料をとったらすぐに出てください」といわれたが)。これでは何のために無理を言ったのかわからない。 ――仕方ありませんわね。 一度応接室に戻って踏み台になるようなものをもってこよう。 と、もう一度溜め息をつくと、ふいに視界が陰った。 「?」 どうしたんだろう、と思う間もなく後ろから細い腕がのびてきて、真砂子がとろうとしていた本を音もなく引き抜いた。 「探し物はこれですか?」 「……えぇ」 はい、どうぞ。と、彼は笑顔で真砂子に本を渡す。 「あんまり遅いんで、麻衣さんが心配してますよ」 「すみません」 真砂子は目の前の金髪の青年を見上げる。 ジョンは真砂子の欲していた本を見て、微笑んだ。 「ボクもそんなに背の高いほうやないですけど。このくらいだったら届きますんで。次から呼んでくださいね?」 「はい……」 ほんの少し前までは自分と然程変わらない身長で、20歳をすぎているようにはとても見えない可愛らしい顔立ちだったけれど。 ――あたりまえですわよね。 出会ってからもう一年半近くなる。 背だって伸びるし、顔立ちだって大人っぽくなるに決まっている。 今だって十分綺麗な顔のつくりで中性的な雰囲気ではあるけれど。今の彼をみて、少女のようだというひとはいないだろう。 ――ブラウンさんだって、男性ですものね。 そんな至極当然なことに、何故今まで気付かなかったのだろう。 そう気付いた途端に、なんだかつい先程本を受けとるときに触れた指先が熱い。 「原さん?どうかしましたか?」 「あ、いえ、なんでもありません」 真砂子は無意識に触れた左の指先を右手できつく掴んでいた。 それをほどき、本と一緒に後手にそっと隠す。まるで、大切なものを扱うように。 「戻りましょうか」 「はい」 応え、真砂子はゆっくりと資料室の扉をしめた。 |
2008年4月10日
カランカランと音を立てて、いつものようにジョンはSPRの扉を開いた。 「あ、いらっしゃーい」 いつものように笑顔でバイト少女はジョンを迎え入れる。 「今日はどうしたの?仕事のはなし?」 「いえ、近くまできたんで」 いつものように定位置に腰をおろそうとすれば、いつもとは違い、そこには先客がいた。 「――……原さん?」 もっとも、彼女はソファひとつをまるまる占拠して横になっていたので、この表現は適切ではないかもしれない。 「あぁ、そう。真砂子ね、ソレ」 学校帰りなのだろうか、珍しく和装ではなくブレザーにスカートという格好だ。 「なんかねぇ、さっき来るなり寝ちゃったの」 「――具合でも悪いんですか?」 「んー、ただ眠いだけみたい」 例によって例のごとく、忙しくてあまり眠れていないらしい。と麻衣はいう。 「疲れてるみたいだから、少し寝かしておこうかって。リンさんと話してたんだ」 「さいですか……」 「あたし的にはこの角度だといつかぱんつがみえるんじゃないかってひやひやしてるんだけどさぁ……ねぇ、何色か賭けない?」 「麻衣さん!」 「冗談だよ。てゆーか、真砂子の下着姿なんて調査のときに見慣れてるから今更賭けるほどのもんでもないって」 知りたいなら今度教えてあげようか?と、麻衣はおもしろそうにいう。 「遠慮します……」 と、所長室の扉が開くと、相変わらず不機嫌な顔をした所長サマが顔を出し、「麻衣、お茶」とだけ告げる。所長サマはそれだけいうとやはり相変わらずすぐにひっこんだ。 「はいはい、ただいま!。あ、真砂子のことナルには内緒ね」 「えぇ」 例え真砂子といえど、白昼堂々と応接室で昼寝をしていると知れば、あの所長サマは容赦なく追い出すだろう。 所長室へと消える麻衣を見送ると、ジョンは真砂子を起こさないように静かにソファの端へと腰をおろした。 普段はあまり年齢を意識しないが、寝顔はやはりあどけない。 調査のときにみせる顔は、一流の霊媒そのものだけれど。こうしてみると、まだ普通の女子高生だ。 寝ているうちに乱れたのだろう、額にかかった髪を払い、整えてやる。 ふと彼女の唇が動いた。 瞼がふるえ、長い睫がゆれる。 そして、ゆっくりと瞳を開いた。 「すんません、起こしてしまいましたか」 「――……」 まだ意識が覚醒していないのか、真砂子は焦点の定まらない瞳でぼんやりとジョンをみつめる。 「 」 「はい?――……っ、原さん!?」 寝言だろうか、聞き取れないくらい小さく、早口で何事かを呟くと、真砂子は起き上がり、ジョンへと抱きついてきた。 「原さん……あの、」 どうしたものかと、とりあえずもう一度名前を呼ぶが反応はない。 返ってくるのは規則正しい寝息だけだ。 これだけ熟睡できるのだから、余程疲れていたのだろうけれど。 「渋谷さんに怒られてしまいますよ?」 そう言ったところで返事が返ってくるはずもなく。 仕方ないか。とジョンは苦笑する。 まぁ、こんな日もあるだろう、と。 今度は起こしてしまわないようにと、そっと、ジョンは真砂子の背に手をまわした。 |
全部まとめてあとがき。
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