ヒトリ

 とてとてとて、とクリームがかかった小さい仔猫が歩いてくる。
 「バブ?」
 ぎゅっと、シラバブは彼の背に抱きつき――否、しがみ付き、離れようとしない。
 もう一度、名前をよんで、どうかしたのかと訊いてみても、首を左右に振るだけだ。
 「お腹すいたのか?」
 ふるふるともう一度首を振る。
 「コリコと喧嘩でもしたか?」
 どうやら、これも違うらしい。
 「じゃあ――」
 「あのね」
 シラバブはたどたどしく口を開く。
 「あのね、お兄ちゃん」
 「ん?」
 「バブ、今日からひとりでねる」
 さて、時間は少しだけ遡り――

 *   *   *

 でねっ。とジェミマが言った。
 「昨日の夜の夢ったらすごく怖かったんだから」
 どんなの?とヴィクトリアが訊く。
 「蟻よ」
 「へ?」
 次に反応したのはランペルティーザだ。
 「だから、蟻だってば、アリよ、蟻んこ。黒くて小さくてうじゃうじゃいるアレ、あの節足ドーブツ!」
 「ジェミマ、蟻は節足動物じゃないと思うわ……」
 「――まぁ、とにかく」
 ジェミマはヴィクトリアのツッコミをとりあえずなかったことにした。
 「その蟻が教会に大量発生する夢だったの。丁度私が一人で留守番してる時で……マンカスもミストも――勿論バブもいなかったし、何でかデュトさまもいらっしゃらない時でさ。ドア閉めても隙間から入ってくるし、下手に動くと踏み潰すしで……物凄く怖かったの」
 ジェミマの言葉に彼女たちは「そう……」と返す。
 怖い、というよりも、空恐ろしい。
 夢であっても遭遇したくない光景だ。
 「でも、そういえば私も怖い夢見たわ。三日くらい前。私の光り物狙ってカラスが飛来してくるの」
 「それ、洒落にならないわ」
 ランペルティーザにもヴィクトリアは冷静にいう。彼女は誰に対してもそうだ。
 ここまで一言も発言せず、黙って大人しく、彼女たちの話を楽しそうに聞き入ってる仔猫がいる。シラバブ、だ。
 「バブは?」
 とヴィクトリアがシラバブに話題を振る。
 「最近どんな夢を見たのかしら?」
 シラバブは少し考え込む素振りをみせると「……おんなのひと?」といった。
 「女のひと?」
 ランペルティーザが聞き返す。
 「あったかくて、やさしい、おんなのひとの夢、だとおもう」
 「それは知ってるひと?」
 「しらないひと」
 シラバブは言う。
 「しらないけど、しっててるひと。で、そのひとに抱っこされてる夢」
 なんというホラーな……。とジェミマは呟いた。
 この仔猫は可愛い顔して時たま突拍子もないことをよく仕出かしてくれる。
 「夏だしねー」
 「そうね、夏と怪談はお約束ね」
 「肝試しでもする?」
 笑いあうランペルティーザとヴィクトリアをみて、ジェミマはぽつんと「いいなぁ」といった。
 「起きたときに誰かがいてくれるって」
 何気なく洩らした呟きだが、ランペルティーザもヴィクトリアも何も言えなった。
 ランペルティーザはいつも傍にいてくれるマンゴジェリーがいたし、ヴィクトリアにいたっては飼い猫だ。“ひとり”ということはまずない。
 けれど、
 「……ジェミマ」
 彼女は、ひとりきりだ。
 「私も早くかっこいいコイビトが欲しい」
 「…………」
 だって。とジェミマは続ける。
 「実際問題そろそろそういうお相手がいないと寂しいじゃない」
 「――ごめん、心配した私達が馬鹿だった」
 「彼氏持ちに言われたくないわ」
 とジェミマはわざと拗ねたようにいう。
 ヴィクトリアにはミストフェリーズが。ランペルティーザにマンゴジェリー。きちんとそういうお相手がいるのだ。
 この街で若い雌の独り者といったらもしかしなくともジェミマくらいではなかろうか。
 「ジェリーにリーナ、ディミだって決まった相手はいないじゃない」
 「あそこは別」
 ジェミマは諦めたかのように手を振る。
 「“いない”んじゃなくて“つくらない”んだもん」
 そこには天と地ほどの差がある。
 「あそこは黙っててもヤローの一人や二人やってくるけど、こっちは絶対に無理だわ。胸も括れもない女なんか男は愛がない限り相手にしてくれないもの」
 「ジェミマ、お下品」
 バブはいいわよねー。とジェミマはいう。
 「まだ、こんなくだらないことでいちいち悩まなくてもいいんだもん」
 「?」
 確かにねー。とランペルティーザも同意する。
 「?どういうこと?」
 いいのよ、わからなくて。とヴィクトリアはシラバブに言う。
 「そう?きちんと教えておいた方が良いと思うけど」
 「まだ早いわ」
 「でも、いざとなってからじゃ遅いわよ」
 「必要とあれば、きっとマンカスが判断して教えるわ」
 「マンカスだから信用できないんじゃない」
 「そうよ、マンカスなんかに任せてたんじゃ、このまま純粋培養の世間知らずの山の手のお嬢で一生終わっちゃうわよ」
 じゅんすいばいよう?やまのて?おじょう?
 シラバブの頭の中でわけの分からない単語と?マークが飛び交う。
 「マンカスのことだもの、必要がない限り……ううん、多分、絶対にバブにセーキョーイクなんかしないわ」
 ヴィクトリアもここまでくるとフォローの仕様がなかった。
 それは、きっと紛れもない事実だ。
 「でも……」
 とりあえず、何かをいってみようかと口を開いたが、先に続かない。
 「大体よ、私達はどうやって知った?」
 「……」
 それはそれ、これはこれ。というかなんというか。
 まぁ、少なくともマンカストラップから訊いたのではないということだけは確かだが。
 ねぇ、ヴィクおねぇちゃん。とシラバブがヴィクトリアの服の裾を引っ張る。
 「“せーきょーいく”って何?」
 一瞬、ぴたりと動きを止めた三人だったが、暫くすると、誰からともなくついた溜息で一気に現実へと引き戻される。
 「そうよね、まだこの次元だものね」
 「だから、まだ早いっていったのよ」
 「まさか、ココまでだとはね……」
 「きっと、このぶんじゃセックスの意味も知らないわ」
 「赤ちゃんはコウノトリが運んでくるって思い込んでるわよ、きっと」
 顔を見合わせると、彼女たちは再び同時に溜息をつく。
 「焦っても仕方ないしねぇ」
 「その内自然と分かるようになるわよ」
 「案外、私達の誰よりも素敵な恋人を見つけたりして」
 「は、タガー?!」
 「何でそこでタガーが出てくるの?」
 「“イイオトコ”の代名詞はタガーでしょう?」
 「いや!そんなの許さないわよ、バブ!!」
 「ジェミマ、暴走しないで冷静に年の差を考えて」
 はぁはぁと肩で荒く呼吸をするジェミマをランペルティーザとヴィクトリアが必死に宥める。元から多少ミーハーなところのあるジェミマだったが、ことタガーが絡むと見境がなくなる。
 まぁ、いいわ。とジェミマは深呼吸をするとシラバブに言う。
 「ねぇ、バブ。バブはすきなひといるー?」
 いるわきゃないだろう。とジェミマの言葉に後ろからランペルティーザとヴィクトリアは同時に言葉に出さずに突っ込んだ。
 「うん、いるよ」
 『うそ!?』
 誰、誰!?と口々に彼女たちは訊いた。
 「お兄ちゃん」
 『…………』
 一瞬でも、何かを期待した自分達が馬鹿だった……。
 「いけないこと?」
 溜息をつき落胆している――というより、ただ単に呆れているだけなのだが――三人をみて、シラバブは心配そうに首を傾げる。
 「ううん、全然。いいのよ、バブ」
 ただ……といったヴィクトリアの言葉をランペルティーザが継ぐ。
 「予想通りすぎて気が抜けただけ」
 ジェミマはランペルティーザの言葉にしきりに頷いていた。
 「バブは、本当に『お兄ちゃん』が大好きね」
 「うん、大好き」
 シラバブの満面の笑みをみて、ヴィクトリアもつられて微笑む。
 この小さな天使にここまで思われている彼も幸せ者だろう。
 「……なんだかなぁ」
 「ジェミマ?」
 「――家帰って寝よ」
 「…………」
 独り者はさみしーわ。と――冷やかし半分に――呟きながらジェミマは立ち上がった。
 「……先の事は分からないわよ。もしかしたら私達が将来的に破局してあなたの方が彼と幸せにやってるかも」
 「――それも怖いからやめて」
 真剣な面持ちでいうヴィクトリアにジェミマは返した。
 ヴィクトリアが彼と別れたら……この辺り一帯は荒野と化すのではないだろうか。
 「まぁ、いいわ」
 バブもひとりだもんねー。と、シラバブに妙な同意を求める。シラバブは意味が分からないながらも、ノリで取り敢えず頷いていた。
 「何のことだか全然わかってないみたいよ」
 「寝るとき独りぼっちは寂しいよねー」
 ランペルティーザに言われ、ジェミマは即座に言い直した。
 シラバブは相変わらずきょとんと此方を見返してくる。
 「バブ、ひとりじゃないよ」
 『へ?』
 先程以上に強い衝撃が彼女たちの間を駆け抜ける。
 「お兄ちゃん、いるもん」
 ある意味予想通りのシラバブの答えに彼女たちは安堵の溜息をもらす。
 どんなに大人ぶってもまだまだ思春期に入ったばかりの女の子達だ。どうしてもそのテの話題には過剰反応してしまう。
 「そうよねー、そうだと思った」
 「というか、私達が馬鹿なだけ……」
 「ねー」
 「でもさぁ……」
 何気なく、ジェミマが言う。
 「バブってまだマンカスと一緒に寝てるのねー。かわいー」
 ほんのちょっぴり第一次反抗期シラバブにとってはこの一言の方が問題だったらしい。


next>>






バブの年齢は普段より下げてお楽しみ下さい(オイ)人間でいうところの小学校入りたて。
えー、当社比三割り増しで会話がお下品ですね。まだまだ序の口です。
でも、女子中高生ってこんなモンじゃありません?少なくても、私の周りはそうでしたが。