空梅雨

  入梅

 「きょーおーのごはんはなんだろなー。たっくさん、たっくさんたべたいなー」
 ていっ。
 と、コリコパットは川底を行く魚めがけて手を振り下ろした。
 不運な魚は跳ね上がり、川面にきらきらと銀の雫をおとす。それを見事にキャッチしたのはランペルティーザで、魚が川へと落下する寸前にバケツでしっかりと受け止めた。バケツの中には、同じようにして捕まえた魚がすでに何匹も悠々と泳いでいる。もう何時間かで「今日の晩御飯」となってしまうことを知らない魚は呑気なものである。
 「ナイスキャッチ、ランペル」
 「あたりまえでしょ」
 ふふん。とランペルティーザは笑った。
 だって、マンゴといつもやってるもの。
 とは、口には出さない乙女心。その代わりに、「コリコはいつも左にとばしすぎ」
 と、ちょっとだけそれっぽいことを得意げにいってみせる。
 「左?」
 「そう。くると思ってた位置よりも絶対に左にずれるの」
 ふーん。
 と、コリコパットはうなずくと、もう一度、てぃっと、水面を叩いた。
 「きゃぁっ!」
 水飛沫はそばにいたジェミマにもろにかかり、跳ねた魚はランペルティーザが突然すぎて対応できなかった所為で、幸運にも水の底へと帰っていった。
 「突然なにすんのよ!?」
 「どうしてくれるのよ!」
 「どのへんが左なんだよ!?」
 「冷たいじゃない!!」
 「魚逃げちゃったでしょ!!」
 「どうやったらフツーになるんだよ!?」
 三人が一度にわめきだしたのだから、何がなにやら。ぎゃあぎゃあと騒々しい声が河川敷に響き渡った。

 *  *  *

 カーバケッティは少し離れた川原の土手から下の騒ぎを眺めていた。
 「失敗だったかもなぁ……」
 「何が?」
 「おや、お目覚めですか。お姫さま」
 ヴィクトリアは応えるように小さな欠伸をすると、「えぇ、すごくすっきりした気分」と答えた。
 彼らがいるところは、ちょうど大きな木の陰になっていて、一足早くがんばっているお日さまの力もほんのわずかに及ばない。
 そんなところで気持ちよさそうに半刻も熟睡すれば、誰でもすっきりするだろう。
 もっとも、水に入れないヴィクトリアにとっては、昼寝くらいしかすることがないのだから、仕方がないといえば仕方がないが。
 「で?何が失敗なの?」
 問われ、カーバケッティは無言で川のほうを示した。
 「水遊びしたいっていうからつれてきてやったのはいいけどさぁ……」
 カーバケッティはぼやく。
 ここのところ、ぐずついた天気が続いた反動か、今日はやけに暑い。もしかしたら、夏日といっても差支えがないかもしれない。
 「ちょおぉぉぉぉぉっとはしゃぎすぎだよね、あのチビどもは」
 視線の先では、コリコパットを挟んでジェミマとランペルティーザが対峙している。
 対峙しているだけならともかく、二人は物凄い勢いでコリコパットに水をばしゃばしゃとかけている。このままでは、二人がコリコパットを水の中に引き倒すのも時間の問題だ。
 と思ったら、ランペルティーザがコリコパットをど突き倒した。そしてジェミマは川底に倒れたコリコパットを足蹴にしている。
 ここからはよく聞こえないが、きっと今頃二人で高笑っているに違いない。
 「ね、はしゃぎすぎでしょ?」
 「…………」
 ヴィクトリアは、なんと応えていいのか迷っているようで、いつもの無表情がほんの少しだけひきつっている。
 突然、ふとカーバケッティの鼻がひくりと動いた。
 「カーバ?」
 「んー」
 カーバケッティはペロリと利き腕の人差し指を舐め、その指を立てると、すっと手をかざした。
 しばらくそのままにし、かざしたときと同じようにすっと手を下げる。
 ―――間違いない。
 風に、ほんの少しだけ雨の匂いが混じった。
 独特の湿り気と埃っぽさを含んだ……でも、どこかで甘い匂いだ。
 その証拠に、現に風の向きが先ほどからほんのわずかであるが変わっていた。
 ついさっきまでは西からの乾いた風が吹いていたのに、今、風は南から吹いている。湿った重たい空気を運んできているのだ。
 そろそろ引き返したほうがいいかもしれない。
 元来猫は水に弱い。雨でも降り出したら最悪だ。
 それに、どちらにしろ、今日のこの後の予定を考えたらちびっ子たちのお守りもそろそろ切り上げたいところである。
 さて。どうしたものだろう。
 「おい」
 考え込んでいると(実際に考えていた時間はほんのわずかだが)、後ろから声をかけられた。
 嫌というほど聞きなれた特徴のある低音。白地に黒ぶちの大柄な猫がそこに立っていた。
 「こんなところで何をしてる?」
 「これぞ天の助け!!」
 ジーザス!神様ありがとう!!
 カーバケッティは笑顔でランパスキャットの手をとって、ぶんぶんと振った。
 「バトンタッチだ、ランパス」
 「何のことだ?」
 ランパスキャットは、何がなんだかわからない、という顔をして聞き返してきた。
 「ちびっ子たちのお守り。下でコリコとランペルとジェミマが遊んでる。あと、ヴィクトリアも」
 ヴィクトリアがちょこんと頭を下げた。
 「死なない程度に遊ばせて、雨が降る前におうちまで送り届けてね」
 「は?」
 「さすがにそこまで馬鹿じゃないとは思うけど、コリコあたりが溺れないようにちゃんと見ててね。あ、女の子がケガしないようにもね」
 「ちょっと……」
 「日射病になりそうだったら、倒れる前に日陰にはいらせてね」
 「―――――……で?お前は俺にガキどものお守りを押し付けてどうするんだ?」
 カーバケッティは驚いたかのように一度瞬きをすると、「決まってるじゃないか」と胸をはった。
 「デートだよ、デ・エ・ト!」
 厳密には少し違う。二人でどこかに出かけるのではなく、カーバケッティが彼女の家へと招かれたのだから。
 ランパスキャットは「訊きたくないが……」といった。
 「相手は誰だ?」
 「よくぞ訊いてくれた。相手はもちろん俺のクィーンだ」
 俺のクィーン=ディミータである。
 「――――正気か?」
 「俺はいつだって正気だ」
 「お前じゃない。ディミだ」
 「彼女だっていつだって正気だろうともさ」
 ふふん。とカーバケッティは笑った。
 「とゆーわけで、僕はこれから出かけてくる。あぁ、神様ってステキ!――――後は任せたよ」
 カーバケッティは半ば凍結しているランパスキャットを無視して、その場から軽やかに立ち去った。
 13歩ほどいったところで、ふと足を止め、振り返る。
 「横着して教会にまとめて送っておこうっていうのは反則だからね!!」
 紳士はどこまで行っても紳士だった。

 *  *  *

 くそガキ――もとい、ちびっこたちをそれぞれの住処へと送り届けたランパスキャットは、夕暮れの家路を白地にオレンジと茶の三毛猫と歩いていた。
 「楽しかったね!」
 「あぁ、そうかい」
 おかげでこっちは真剣に明日の筋肉を心配しなくてはいけない。「カーバケッティめ……」とランパスキャットは内心で舌打ちした。
 結局、あの後ガキどもの水遊び(という名の戦)に小一時間ほど付き合わされたのだ。ガキ相手にマジになるなど喧嘩猫の名が泣きそうであるが、そんじょそこらのガキとはわけが違う。奴らはちょっと人並み外れてやんちゃなお子様なのである。
 「ねぇ、またつれてってよ」
 「あぁ」
 ランパスキャットは曖昧な返事をする。正直、当分は付き合いたくない。
 ふいに、ランパスキャットは立ち止まった。素早く左右へと視線をやり、背後を振り返る。
 だが、そこには何もない。
 今まで歩いてきた、人通りの途絶えた夕暮れの道が続いているだけだ。
 それでも、ランパスキャットは確かに“何か”の気配を感じた。
 背筋を冷たいものがつたう。
 暗闇になる前の曖昧な空間。
 ねっとりとした空気。
 かすかに混じる雨の匂い。
 「ねぇ、ちょっと、ランパスきいてるの――?」
 その声でわれに返り、ジェミマをみれば、幼さの残る薄紅の頬をぷぅっと膨らませている。
 「次はいつつれていってくれるのかってきいてるのよ!」
 ふんっ!とジェミマはそっぽを向いた。
 「……そのうちな」
 「そのうちっていつ?」
 「そのうちはそのうちだ」
 「何それ!?答えになってないじゃない!!」
 抱きついてきたのかそれともタックルをしてきたのかよくわからないジェミマを片手で抱きとめ、ランパスキャットは空いているほうの手でその頭を撫でた。
 「ねぇ、そのうちっていつ?」
 ランパスキャットはもう一度周囲を見回す。
 無風の時間の中で、民家の庭先の木がさわさわと鳴った。
 急に、空気が身体にまとわりくいてくるように感じる。
 ――――重い。
 「そうだな」
 雨が降る。
 猫の本質がささやく。
 梅雨が来る――と。
 「夏になったら、だな」
 長い、長い梅雨が明けて、風が南の島の陽気を運んでくるようになったなら。
きっと、この嫌な予感もなくなるだろう。















冒頭のコリコの歌を知っている方は可及的速やかに挙手(笑)。
リハビリがてらに軽い気持ちで。
そういえば、去年もリハビリ用に書いたやつにはカーバとランパスがいました。