3出梅 「ほんっとうに暑いわね」 ボンバルリーナは木陰で溜息混じりに呟いた。 もっとも、「ついてくるな!」と散々ディミータにいわれたにもかかわらず、自分でついてきたのだから自業自得である。 ぱたぱたと手で扇いでみるが、あまり効果はないようだ。 雨雲が過ぎ去り、久しぶりに顔を出した太陽はさんさんと照りつけ容赦がない。ちびっ子たちが暑さで倒れなければいいけれど……と柄にもなく心配をしてみるが、そんな気持ちはものの三秒で吹っ飛んだ。 水辺で元気に遊ぶちびっ子たちをみていると、自分のほうが先に暑さで参りそうになってくる。 「だから、来るだけ無駄なエネルギーだといっただろうが」 「やぁよ。あんなに面白いものが見られるんだもの。見なきゃ絶対に損じゃない」 その言葉にランパスキャットは肩をすくめた。ちなみに、彼は彼で無理矢理ジェミマに引っ張ってこられている。 引っ張ってきた割には当のジェミマはランパスキャットのことなぞすでに眼中にないようで、コリコパットやランペルティーザと水辺で遊んでいる(というよりも、厳密にはジェミマとランペルティーザがコリコパットで遊んでいるのだが)。 「お前、その悪趣味を何とかしたらどうだ?」 「あら、あなたにだけは言われたくないわ」 二人して木陰に寝転んでいると、ハタからみれば大層見目麗しい(かどうかは片方は謎であるが)、お似合いのカップルが仲睦まじくのんびりすごしているようにしか見えないのだが、実態は激しく違う。 「こんな平和ボケした世の中で楽しみなんてこれくらいしかないじゃない」 「――違いない」 ランパスキャットは諦めたかのように苦笑した。 二人の視線の先にいるのは、お互いの存在――というわけではなく。彼女たちの視線は水辺でちびっ子たちのお守りをしている苦労性のリーダーとオレンジ色の彼女の相棒、そしてエセ紳士の三人に注がれていた。 ちびっ子たちのあしらい方は実際はどうみてもカーバケッティのほうがマンカストラップよりも格段に巧いのだが、何故かマンカストラップが仕切っているように見える。いわゆるおいしいところ取りだ。 カーバケッティが何かするたびに、マンカストラップの株が上がっていく。ハタからみていると哀れで仕方がない。 「――私、カーバのほうがマンカスよりも先に胃に穴が開くと思うの」 「いや。あいつは禿げるタイプだ」 どっちもどっちだ。と、ボンバルリーナは思った。 胃痛持ち不健康のエセ紳士と、禿げで能天気なエセ紳士と、どちらがマシかを考えたくなくて、ボンバルリーナは話題を変えた。 「……もうちょっと経ったら楽しみが増えると思うんだけどねぇ」 ちらりと視線をちびっ子たちに移す。 もう2、3年も経てば、あの子達も騒ぎ出すに違いない。 そう遠くない未来の彼らの恋の鞘当てを想像して、ボンバルリーナは笑いを漏らした。 「お互い、本命には振られたわね?」 「何の話だ」 「なんでもない」 そう遠くない未来――時間は進み続ける。彼も、彼女も変わりつづける。どう転ぶかなんて、誰にもわからない。それが、良いことか、悪いことか、さえも。 それでも、この空間が変わることのないよう。すれ違って、傷つけあっても、かえってくることができるよう。 ボンバルリーナがゆっくりと瞳を閉じると、どこかでさわやかな水の音が聞こえた。 * * * ヴィクトリアは小さく欠伸をした。 夏日が続いて、慢性的に暑くなっている窓際には近寄らないようにして、クッションの上で丸くなる。 空調の効いているこの部屋は気持ちよい。そよそよと冷たい風がヴィウクトリアの頬を撫でていく。天然の風でないのが残念だ。心地よさと引き換えに、空調の風には長く当たると体調を崩すという欠点がある。 まどろみかけた瞬間に微かな物音がした気がして、目を開けた。 視線をめぐらすと、窓ガラスを叩く見知った猫がいる。 「こんにちは、ヴィクトリア」 窓を開けてやると、彼は笑顔で入ってきた。 「ここ、涼しいね」 「涼みにきたの?」 「まぁね」 と、彼は曖昧に笑った。 彼との会話は楽でいい。余計なことは必要ない。 「お姫様が退屈してるといけないから、ご機嫌伺いに」 「その喋り方、エセ魔術師みたいよ」 「じゃぁ、『君に会いたかったから』とでもいえばいいのかな?」 「ストレートすぎるのも不気味だわ」 でも。 「悪い気はしないわね」 「それはよかった」 彼はそういうと、ヴィクトリアの隣に腰を下ろした。 「しばらく見なかったけど?」 梅雨の間中、彼を見かけることはなかった。 彼がこの一月近く、どこで、なにをしていたのか、ヴィクトリアは知らない。 もっとも、ヴィクトリア自身が滅多に出かけることもなかったからかもしれない。 「ちょっとね。自分を探す旅に出てたんだ」 あぁ、これ以上は訊いてはいけないんだ。と、ヴィクトリアは彼の言葉からそう感じ、 「なぁに、それ?」 と、笑って誤魔化した。 「そういえば、ここに来るときに、川でコリコたちが遊んでいたけど?」 「……そう」 「君はいかないの?」 「――いけないの」 泳げないの。 と、付け足す。泳げない、というよりも、水が恐い。 特に深い理由なんてないけれど。嫌いなものは嫌いだし、恐いものは恐い。 飼い主がするシャンプーだって、本当は嫌なのだ。いつも死ぬ気で挑んでいる。 「……ありがとう」 あからさまに「しまった」という顔つきをしている彼に言った。 本当は、いつもくっついていくのが苦痛だった。 だからといって、家でひとりでいるのも決して楽だったわけではない。 「会いにきてくれて、ありがとう」 * * * 「……おい」 久しぶりに教会に寄ったラム・タム・タガーは、礼拝堂の片隅で丸くなっている黒猫に声をかけた。 黒猫はそんな彼を無視して丸くなり続けている。もちろん、それはフェイクだということくらい解りきっている。 「ミスト――エセ魔法使い。ペテン師」 もう一度呼びかけてみるが、反応はない。 「――もやしっこ」 「うるさい色ボケ」 その一言が気に障ったのか、いつもよりも数倍厳しい声が返ってくる。どうやら機嫌が悪いらしい。 タガーはそんなことは気にせず、先を続けた。 「珍しいな。留守番かよ」 「てゆーか、付いていく気がしなかっただけ」 クソ暑すぎてつきあってられない。と、ミストフェリーズは毒づいた。 空調の効いた室内は涼しく、外の暑さなど嘘みたいだが、一歩外へと出ればうだるような暑さが待っている。 「他のやつらはどこいったんだよ?」 「炎天下の中川で水遊び――保護者内訳は本命マンカス、対抗カーバ。噂のディミータと、後はデバガメが約2名」 ミストフェリーズの目が据わっている。 本格的に暑さで頭がやられたのではなかろうか。とタガーは思った。 「それだけそろってて、よく行かなかったな」 「だから、本当に暑くて嫌だったんだって。デバガメするためだけに行ったリーナとランパスが信じられない」 それ以前にチビどものお守りをしてやれよ。と、タガーは内心でつっこんだ。 きっと、今日の気温があと5、6度低かったらデバガメの人数は3人になっていたに違いない。 「そろそろ帰ってくるんじゃない?ちなみに、僕は大穴ボンバルリーナって線を押すんだけど、どう?」 「何の話だよ……」 「だって、気になるじゃない」 まぁ、いいや。とミストフェリーズはいうと、立ち上がって、窓から外へと出た。 日が暮れ始めると、流石に少しは涼しくなってくる。風は生暖かいままだったが、それでも昼の炎天下に比べれば、十分だ。 「で?」 ミストフェリーズは短く、それだけ訊いてきた。 タガーも短く要点だけをいう。 「結論だけいえば、クロ」 「ふうん――結論以外は?」 「グレー」 シロ。と言い切れないところが悔しくて仕方がない。 「じゃぁ、僕のほうも結論だけいうよ。クロだ……ということは、君がグレーだといった部分もこれでクロになる――……うわ、やだね、考えたくないけど、何から何まで真っ黒だよ。これじゃぁ」 ランパスキャットが「『何か』がいる」といったときから――雨の降っている間、タガーは街の入り口をずっとひそかに見張っていた。誰か、余所者が出入りすればすぐにわかるように。 ミストフェリーズは逆に、何か外から物理法則以外の干渉が(彼はそれを魔術とよんだが、タガーにはいまひとつ理解しえないものだった)ないかをずっと監視していたという。 「いうの?」 その二つが、どちらともないということは――『何か』は自分たちの内輪の中にいたということになる。 それも、ずっと、まえから。 「……いえねぇよ」 「だよねぇ」 何から何まで真っ黒。 考えたくないけれど、そうしないと進まない。 「八方手詰まり」 「俺は賞味期限切れの生卵を投げつけられた気分だ」 「リアルな想像するからやめて」 耳を澄ませば、遠くから、遊んでも遊び足りないのか、さわがしく帰ってくるチビどもの声が聞こえる。 「まぁ、ちびっこたちが除外できてるってだけでも救いでしょ」 「そうだな」 あの声を、笑い声を、疑うようになったならば。それこそおしまいだ。 「この話、ひとまず保留ね」 「あぁ」 空調の効いた部屋から出たとき特有のだるさが、今頃になって襲ってきた。 夕暮れ特有の生暖かい風が吹く。何もかも連れて行ってくれれば楽なのに。 不安も、不信も、すべて。 にぎやかな笑顔に手を振って、迎えながら、静かにそう思った。 |
end リハビリがてらに深く考えずざかざかと。 もっとこう、アホな話になるかと思ったんですが、意外となりませんでした。 中身があるようでさっぱりありません。ぎゃふん。 |