My funny lady


 「――二人だけで話がしたいの」
 と彼女がいうと、彼は肩をすくめて、すんなりと扉へと向かう。出て行く瞬間に呼び止めると、こちらをふりむきもしないで、手を振り、そのまま扉の向こうへと消えていった。
 「……『二人だけで話がしたいの』、ねぇ……」
 呆れたように呟く。
 「迷惑?」
 「いや」
 迷惑といわれればある意味ではとても迷惑なのだが(何せ後が怖くて仕方がない)、そんなことはおくびも出さず。
 「できれば、もうちょっと違った状況で言われてみたい台詞だね」
 と、いいながら、カーバケッティは彼女のいる寝台へ腰を下ろした。

 *  *  *

 ノックもなしに慌しく扉が開いて、赤毛の彼女が飛び込んできたのは、午後のお茶の時間も終わって、そろそろ日が傾きかけてきたころだった。
 「ちょっと、二人とも」
 粗雑な動作に反して、彼女の物言いは実に静かだ。
 「やぁ、ディミータ。ご機嫌いかが?」
 と、扉の前でディミータを出迎える。いや、彼女と扉の前に無理やり立ちはだかって、といったほうが正確か。何せ、後ろでは今さっきまで散らかり放題だったものをランパスキャットが片付けている。そんなところを彼女に目撃させるわけにはいかなかった。
 「これであたしの機嫌がよさそうにみえるんだったら、あんたは一回眼科に行ったほうがいいと思うけど?」
 「まさか。今の君の機嫌がどうしようもないくらいに最悪だってことくらいはわかるよ」
 「じゃあ、その機嫌をさらに悪化させるようなことはしないで欲しいわ」
 「俺は君の笑顔が一番好きだけれど、その次くらいに君の怒った顔が好きだったりするんだ」
 「あ、そ」
 ランパス、いる――?と、ディミータはカーバケッティの脇をすり抜けて中へと入っていってしまった。
どうやら、メインは自分ではなくて、くそ愛想の悪い変身ヒーローのほうだったらしい。珍しいこともあるものだ。もっとも、彼女がカーバケッティの住処を訪ねてくること自体が珍しかったりするのだが。
 苦笑し、扉を閉めようとすると、外に突っ立っている相手と目があった。
 「――……そんなところで何してるのさ?」
 「いや……何か、入りにくくて」
 まぁ、無理もない。彼が自分を苦手としていることくらい、とっくの昔に気付いている。
 「ディミータの付き添い?」
 だったら真剣に萎えてくる。
 「いや。そういうわけじゃない」
 「ランパスに用事?」
 「――カーバ、にも」
 こちらもとても珍しい。
 ふぅん。とうなずくと、カーバケッティは彼を中へと招きいれた。
 「まぁ、立ち話もなんだし、あがれば?お茶くらい出すよ――……マンカストラップ」

 差し出したお茶を一口飲んで、ため息をつくと、ディミータは「驚かないでね」と前置きして、口を開いた。
 「リーナが倒れたわ」
 『は?』
 倒れた――ときくと、いやでも嫌な方向へと思考は進んでいくが……その割にはディミータも、一緒にやってきたマンカストラップも落ち着きすぎやしないだろうか。
 「あ、安心して。倒れたっていってもただの風邪?胃炎?腹痛?えぇと……とにかくそんなかんじのものだから」
 今は寝床で大人しく寝ているときいて、ひとまずは安堵する。
 「少し前からだるいとはいってたんだけど……今朝、急に。まぁ、色々あって……すごく辛そうで。下世話な話だけど、吐き気とかも止まらないらしくて……『誰でもいいから呼んできて』っていわれたから、マンカスを呼びにいったんだけど」
 「顔を出したら、何故か『非常識!!』といわれて追い出されてしまった……」
 あーあ。と隣で相槌を打つランパスキャット。
 「あいつは連想ゲームでもしてるのか?」
 「なにそれ?」
 と訊くディミータに言葉を濁し、ランパスキャットは「ほかには?」と訊いた。
 「ここのところおかしかったのは体調だけか?いつからおかしかった?」
 ディミータは首をかしげ、少し考え込むそぶりをする。
 「……だるい、って言い出したのはいつからだったっけ……リーナって『だるい』が口癖みたいなもんだったから、あまり気にしてなかったのよ」
 人間でいうところの低血圧とでもいうのだろうか。それともはたまた新陳代謝が悪いのか。ボンバルリーナはだるそうにしていることが多かった。もっとも、彼女の場合、それが持ち前の雰囲気ともあいまって奇妙な倦怠感を醸しだし て、一種の魅力となっているのだけれど。
 「あとは……ちょっと味覚が変わってたかも」
 と、いいながら、とんとんとデミータは人差し指で顎を軽くたたく。迷いながら何かを話すときの彼女のクセだ。
 「味覚?」
 「そう。『すっぱいものが食べたい』っていったのよ。あのリーナが!信じられる!?」
 「それは確かに驚きだな」
 ボンバルリーナのすっぱいもの嫌いは有名だ。仲間内では知らないものはない。
 「まぁ、やっぱり、オレンジあげたら『やだ、なにこれ、すごくすっぱいじゃない』っていって、半分くらいでギブアップしてたけど」
 「馬鹿だろう、あの女」
 はぁ。と深い溜息をひとつ。ランパスキャットはがくんと首を落とした。
 「でも、本当、それくらい。後はいつも通りだったのよ」
 それで?とランパスキャットは訊く。
 「何で、そこで俺とコイツが出てくる?」
 「だって、リーナが倒れたのよ!?」
 ディミータは語気を荒げる。きっと、本人は確認したいのだろうが、どこからどうみても喧嘩を吹っかけているようにしか見えない。
 「あんたが行くのが順当でしょうよ!!」
 「だからなぜ!?」
 「この鈍!!」
 ディミータの勢いはとどまるところを知らない。ついでに、それに応えるランパスキャットも加減を知らない。
 火花が散りそうなそれを、マンカストラップははらはらしながら見守っているだけである。
 「……あの」
 と、マンカストラップ。
 「速攻で追い出されたから、いまいち話が見えない……結局、リーナは体調が悪いのか?だったら、なんで悪いのか?それともわざとなのか?」
 「リーナは体調が悪いの。それは本当よ」
 と、ディミータ。
 「でも、どうして体調が悪いのかは、わからない」
 だるさ。
 嘔吐。
 すっぱいもの食べたい。
 …………。
 「――――……つわり?」
 言ってしまってから、しまったと思ってももう遅い。
 カーバケッティめがけてスプーンやらフォークやらクッションやらが四方から飛んできた。
 なんとか、それを回避して――回避し損ねたクッションは顔面に当たってしまったが――落ちつくと、カーバケッティは訊いた。
 「ランパスはともかく、そこにどうやって俺が出てくるわけ?」
 どこまで進んでるのかは知らないが、二人がなかなかどうしてステキにそういう仲であるということは、公然の秘密というヤツだ。
 そういえば、ボンバルリーナと最後に個人的な会話をしたのはいつだったか。
 ランパスキャットをおちょくっているときも、ディミータにちょっかいをかけてるときも(勿論、カーバケッティとしてはちょっかいをかけてるつもりは欠片もない。熱烈なアプローチだと思っている)、ボンバルリーナはいつもやわらかく微笑んでいるだけで、特にこれといって会話をしたことはなかった気がする。
 「それは……」
 ちらり、と横目でディミータはランパスキャットを見、渋い顔をして答えた。
 「リーナが、『カーバに会いたい』っていったから」
 カーバケッティさん、ご指名はいりまーす。
 はーい!
 などという阿呆な会話が脳内で一瞬のうちに繰り広げられる。――……洒落にならない。本当に、洒落にならない。
 凍結した思考回路を元に戻したのは、ランパスキャットの笑い声だった。
 「俺は無実だ!」
 「わかってるって」
 どこまでわかってるんだか、いまいち信用できない。
 「あたしは……カーバなんか呼ぶ必要ないって思ったんだけど……」
 言い方は悪いが、ディミータの言葉が今は救いだった。
 「マンカスが」
 「リーナが会いたいっていってるなら、呼んでくるべきだと思う」
 「っていうから……」
 そう……。と上の空で返事をする。なんだかとてもややこしいことに巻き込まれている気がしてならない。こんな緊迫した(?)状況で会いたいといわれるほど親しくはないはずだ。
 「で?結局何しろって?」
 と、ランパスキャット。
 「いってあげて――お見舞い。傍に、ついていてあげて。なんか、あたしがいるとこじれそうな気がするから」
 「わかった。お前はその間どうしてるんだ?」
 「教会にいようと思う。あそこなら今更ひとりくらい増えても問題ないでしょ?」
 「そうだな」
 「なら、決まり。薬はこの中。まぁ、効くかはわからないけど……後はよろしくね」
 「善処する」
 お茶、ごちそうさま。といって、ふたりが出て行くのを見送ると、カーバケッティもランパスキャットに半ば無理矢理引きずられて、寝床を後にした。

 *  *  *

 「――……なんで俺までいかなきゃならないんだよ」
 それは独り言のつもりだったけれど、隣を歩くランパスキャットからは即座に返事が返ってきた。
 「美女から直々に御指名もらったんだ。光栄に思えよ」
 それはそうなんだが。そういってしまっては身も蓋もない。
 別に、ボンバルリーナの見舞いにいくのが嫌なわけではないけれど。
 「なんか、納得いかないんだよな……」
 「なにが?」
 「ぜんぶ」
 そも。ボンバナルリーナがマンカストラップを追い出したというところからわけがわからない。
 「らしくないな。女からの誘いなら何でもいいんじゃないのか?」
 「語弊のある言い方はしないでくれ」
 ただ単に、女性が好きなだけだ。
 カーバケッティは常々女性はすばらしいものだと思っている。賞賛に値すべきものだと。何せ、自分よりも格段に細くて小さな身体に赤子を何匹も何匹も抱えるのだ。そんでもって、歩く最終兵器としか思えない赤ちゃんを一から育てるのだ。それだけのパワーと愛がどこから降って湧いてくるのか、不思議でしょうがない。
 だからといって、別段女性になりたいわけではない。念のため。
 「俺は、世の中の女性が困っているならお手伝いすべきだと思ってるだけだよ」
 「かわんねーよ」
 そういえば。とランパスキャットは続けた。
 「お前、意外と寛大なんだな」
 「なにが?」
 「ディミが教会にくるっていったとき何もいわなかっただろう?俺は、てっきりお前が『だったら少しの間ウチにくればいい』くらい言うんだと思ってたが」
 そういえば。そんなこともあったような気がする。
 「好きな女が恋敵――っつても、あいつはなんとも思っちゃいないだろうが――……とにかく、どっかの男のところに転がり込むのを黙認するとはな」
 「……」
 もちろん、カーバケッティにそんなつもりはさらさらない。普段のカーバケッティならば、断固として阻止しただろう。ただ、運が悪いことに、彼女がその話を切り出したときにカーバケッティの意識は半分違う世界に飛んでいた。
 そうだ。もとはといえば、きっとこいつが諸悪の根源だ。
 じーっと睨んでいたのに気付かれたのか、ランパスキャットが「何だよ?」と訊いてくる。
 「――……お前の所為だ」
 「は?」
 「だから俺はあんなに『ちゃんと避妊くらいしろよ』っていったんだ!!」
 切り捨て御免!
 とばかりにつかみかかる。
 「待て!話せばわかる!!」
 「問答無用!」
 わめくな!とか色々ランパスキャットが言っていた気がするが、そんなものは聞かなかったことにして。
 珍しく本気にならないランパスキャットをのして、完封するころには、そもそも何の目的でもって拳で殴り合っていたのか忘れていた。
 「――……ごめん、なんで殴り合ってたんだっけ?」
 「お前、いっぺん地獄見てこい」
 まぁ。わからなくもないけどな。
 といって、ランパスキャットはカーバケッティを押しのけ、立ち上がる。
 「ほら、立て。おいていくぞ」
 カーバケッティもつられて立ち上がる。もっとも、たばかられたような気分は抜けなかったが。

 *  *  *

 ノックもせずに住処に押し入るといった点では、先ほどカーバケッティの住処に押し入ってきたディミータと大して差異がなかったかもしれない。
 ただ、自分たちが彼女と違う点は、
 「適当にあがっとけ。ほら」
 ランパスキャットはその辺にかかっていたタオルを放る。
 「何これ?」
 「リナは変なところで潔癖なんだ」
 「つまり、これできちんと足をきれいにしてからあがれと?」
 「土足厳禁というヤツらしいぞ」
 ――ランパスキャットがこの住処のことを一から十まで知り尽くしているということだろう。
 なんだか悲しくなってきた。
 「ねぇ、俺って君の何?」
 「腐れ縁」
 「だよねぇ……」
 そんでもって、片や元ヤンで美人の彼女付きで、片やイイヒトナンバー1の彼女いない暦=自分の歳、というわけだ。
 とっても理不尽な気がしなくもない。
 「それとも何だ?お前は“オトモダチ”なんぞという単語を俺の口から言わせたいのか?」
 「うわ、気持ち悪い。ごめん、俺が悪かった」
 とりとめのない会話をしているうちに、ボンバルリーナの寝床の前に着く。
 どこで線引きをしているのかはわからないが、流石のランパスキャットもここではきちんとノックをした。
 コンコン、と規則正しく二回。
 「――――……ディミ?」
 しばらく待つと、中から弱弱しい声がする。
 ランパスキャットは人差し指を口元に当てて「静かに」と合図をだす。どうしたものかと思って、ことの成り行きを見守っていると、もう一度中から、今度ははっきりと「ディミータ?」と声がした。
それを聞くと、ランパスキャットはカーバケッティを指し、その次に扉を指した。
 意訳すると、
 『お前、何か喋れ』
 である。
 仕方なしに、カーバケッティは、溜息をひとつつくと、扉に向かって「ちがうよ」といった。
 「ちがう――……ディミじゃない」
 不法侵入者でごめんなさい。そんな響きをこめて。
 「――カー……バ?」
 「そう」
 ランパスキャットが隣で親指と人差し指でマルを作る。
 意訳すると、
 『よし。よくやった。そのまま突っ込め』
 である。
 「リーナ……入っても?」
 ランパスキャットは四本の指を握りこんで親指をぐっと立てた。
 意訳すると、
 『オッケー!グッジョブ!!いい仕事したな!』
 というところか。
 どうぞ。と、扉の向こうから返ってくるのには然程時間はかからなかった。
 ランパスキャットはドアノブに手をかけようとするカーバケッティの手を押しとめる。カーバケッティの抗議の視線を無視して、ランパスキャットは扉を豪快に蹴り開けた。

 「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん」
 何が恐ろしいかというと、当の本人がこれでもかというくらいに無表情であるというところだろうか。ついでにいうと、言葉に抑揚もない。棒読みだ。
 ベッドの中からこちらを見ていたボンバルリーナはただ呆然としている。まぁ、無理もない。
 「何とかは風邪ひかないっていうのは嘘だったみたいだな、リナ?」
 「いや、俺は一応止めたのよ?無駄だったけど」
 きっと、この言葉もボンバルリーナには届いていないだろう。
 「あ、あ……あ」
 「何だ?嬉しくて声も出ないのか?」
 そんなわけないって。と、カーバケッティは思うが、声には出さない。
 「あ、……んた、何しに来たのよ!?」
 「見舞いだ」
 ほれ。といって、ディミータから渡された薬のはいったカゴを掲げてみせる。
 「あんたなんか呼んでないっ」
 「安心しろ。俺も呼ばれた記憶はない」
 「……っ!?」
 ばんっ!とボンバルリーナは枕をランパスキャットに投げつけた。
 枕は勢いよく飛んでいき、見事にランパスキャットの顔に当たる。
 怒るかと思ったランパスキャットは意外にも冷静で、視線をボンバルリーナに向けただけだった。落ちたクッションを拾い上げると、埃をはらって、寝台へと戻す。多分、避ける気などなかったのだろう。
 「えっと……俺、お邪魔みたいね」
 痴話喧嘩はカーバケッティの巻き込まれたくないものベスト10の限りなく上位に食い込んでくる。
 ひっそりとそのまま立ち去ろうとするのを、止めたのはボンバルリーナだ。縋るように身を乗り出して手を?もうと伸ばす。
 「――……それだけ元気なら、心配いらないな?」
 ランパスキャットの言葉に、小さく、ボンバルリーナがうなずく。
 「俺は、いないほうがいいな?」
 こくん。とさらに小さく。
 「――二人だけで話がしたいの」
 と彼女がいうと、彼は肩をすくめて、すんなりと扉へと向かう。出て行く瞬間に呼び止めると、こちらをふりむきもしないで、手を振り、そのまま扉の向こうへと消えていった。
 「……『二人だけで話がしたいの』、ねぇ……」
 呆れたように呟く。
 「迷惑?」
 「いや」
 迷惑といわれればある意味ではとても迷惑なのだが(何せ後が怖くて仕方がない)、そんなことはおくびも出さず。
 「できれば、もうちょっと違った状況で言われてみたい台詞だね」
 と、いいながら、カーバケッティは彼女のいる寝台へ腰を下ろした。



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そして、当社費五割増で下品ですみません。