failure

 エメラルドの宮殿内をグリンダは早足で歩いていた。
 普段、周りが心配するくらいのんびりしている彼女からは考えられない早足だ。傍に控えている供の者がついていけなくなりそうなくらい、早い。
 グリンダはその外見に似合わない大股で歩きながら、身に着けた装身具を外して、傍らを歩く侍女と侍従に次々と渡していった。
 「あぁ、まったく、もう」
 と、ピアスを外し、
 「信じらんない」
 と、首飾りを外す。
 「やってられないわ!」
 髪飾りを外そうとして、グリンダはその手を止めた。今日の髪は彼女専属のスタイリストが普段の倍近い時間かけて結い上げてくれた傑作だ。下手に弄ると、せっかくの作品(スタイリストは仕上がりをそう評していた)が台無しになる。結い上げてくれた相手に申し訳ない。それに、仮に髪が崩れたとしても結い直してもらう時間はなさそうだ。
 グリンダは忌々しげに小さく舌打ちをすると、代わりに指輪を外した。
 「グリンダ様、この後のご予定を申し上げます」
 「はいはい。どうぞ」
 本当は今すぐ靴も脱ぎ捨ててしまいたかったが、流石にそれはできない。
 今日のためにおろした靴は、あまり足に馴染んでくれなかった。大きなバックルのついた、ミントグリーンのローヒールパンプス。とても気に入ったデザインだったのに。
 「この後はまず二度目の式典挨拶、それからギリキンからの使節との面会、その後にオズの魔法使いさま、モリブル報道官との御会食です」
 「はいはい」
 身軽になったグリンダは、今度は別の侍女や侍従から先程外したものとは別の装身具を受け取り、身に着けていく。
 「それから、カドリングからグリンダ様宛てにお祝いの品が届いております。いかがなさいますか?」
 「厨房へ運んでちょうだい」
 グリンダはピアスをつけ、
 「もし食べ物以外があったら私の部屋へお願い」
 首飾りをつける。
 「僭越ですが、一言申し上げます。故郷との結び付きは大切にした方が何かとよろしいと思います」
 指輪をはめるとグリンダは秘書官を一瞥した。
 「“燻製肉の詰め合わせ”“キノコ5種類”“蝶鮫の卵”“塩”後は“ガラス細工”――お祝いの品ってそんなものでしょう?」
秘書官が何も言わないところをみると、どうやら当たらずとも遠からずといったところか。どれもカドリングの特産品ではあるが、特別に 希少性の高いものではない。
 「いいのよ。事実だもの。ド田舎なの。期待してないわ」
 もとから、故郷に対してそれほど思い入れはなかったけれど、最近は、むしろ嫌悪しているのではないかという気になってくる。
 故郷の純朴さは愚鈍に、豊さは肥太ったようにしか見えなかった。
 そして、それがあたかも自分のことをさしているような気がしてならない。だから、故郷を象徴する品はできれば見たくなかった。
 唯一、ガラス細工は確かに綺麗で繊細だけれど、これはカドリングのものではない。カドリングが隣国に発注して造らせたものだ。
 「では、ガラス細工のみグリンダ様のお部屋に運ぶように手配いたします」
 「ありがとう。お願いね」
 グリンダがそう言うのとほぼ同じくらいに、廊下の端から誰かが歩いてきた。カッカッと軍靴を響かせて、こちらへとやってくる。
 その相手の姿を認めると、グリンダはすっと片手を横に上げた。それを合図にするかのように、護衛兵1人を除いて、供の者は皆静かに一礼して先へいった。
 「フィエロ」
 と、名前を呼ぶ。
 「どういうつもりなんだ、グリンダ」
 グリンダの呼びかけには応えず、彼は会話ができるほど近くにくると、責めるようにそういった。
 「勝手に婚約発表をするなんて」
 「怒った?」
 「あたりまえだ」
 眉根を寄せ、不機嫌さを隠そうともせずに続ける。
 「彼女が大変な時期にこんなことはするべきじゃない」
 彼女。
 彼の口からその存在が語られたことに、グリンダは不快感を覚えた。
 「婚約するのは私よ。彼女じゃない」
 「そういう問題じゃない。わかるだろう?」
 「いいえ、わからない。どうして?私が婚約するのに彼女の都合を考えなきゃならないの?私が婚約するには彼女の許可でもいるわけ?」
 「グリンダ」
 咎めるように名前を呼ぶ。
 「違うんだ――そうじゃない」
 「……えぇ。わかってる――わかってるわ。ごめんなさい」
 そう。本当はわかっている。
 どうして、彼女の名前が出てくるのか。
 どうして、彼が怒っているのか。
 「いや、いいんだ」
 彼は、安堵したかのように続ける。
 「わかっているなら、それでいいんだ――……今、こんなことをするのは得策じゃない。第一、僕達は本当に婚約なんてしていないんだから……国民を煽るにしても、嘘は良くない」
 「――……そう」
 「今すべきなのは、早く彼女を見つけて話し合うことだと思う。そうすれば、彼女もこんな無茶はやめるだろう。なぁ、グリンダ。君、本当に彼女がどこにいるか知らないのか?」
 「知らないわよ!」
 ヒステリックにそう言い捨てると、グリンダはフィエロに背を向けて歩き出した。
 背後からは彼が何事かを呼びかけてくるのが聞こえたが、それを無視して歩みを進める。
 しばらくして、彼の声が聞こえなくなると、グリンダは横を歩く護衛兵に話しかけた。
 「今のは聞かなかったことにして」
 「は?ですが、」
 「お願い」
 「……わかりました」
 ありがとう。と、グリンダは応え、ふと思いついたことを訊いてみた。
 「あなたは結婚しているのかしら?」
 「は。自分には妻と子供が一人います」
 「そう……」
 グリンダは瞳を伏せる。
 何故だか、世界中で自分だけが独りぼっちで取り残されているような気がした。
 合わない靴。
 好きになれない故郷。
 相手のいない婚約。
 ――欲しいものは、いつだって手に入らない。






あとがき