「いいですか、物事には何事も順序とゆーものがあるんです」
 と、エンジェルは言った。
 「ひらたくいえばお約束です」
 「大事だぞぉ、お約束は」
 「まぁ、いきすぎるとベタとかいわれますけどねぇ」
 「いやいやそのベタなのがいいんだって」
 彼が不審そうな表情をすると、エンジェルは「たしかに」と続ける。
 「こてこてでベタベタだと芸がないといわれるかもしれません。いいでしょう、時には意表をつく展開も必要です」
 「意外性は恋愛のスパイスですからねー」
 「やっぱり、何事もオリジナリティがないとな」
 「二番煎じじゃ物足らねぇですよ」
 「でも!やっぱりお約束はお約束なんです。王道ほど浪漫のあるものはありません!」
 ダンっ!
 と、エンジェルは事務机を叩いた。その拍子に書類の山が若干崩れたが、それは、まぁ、ご愛嬌。
 相変わらず不審そうな――というよりも、最早呆れて言葉もないのだろう、彼に向かって、早口で熱くまくしたてる。
 「夜の遊園地の次は夕方の海って決まってるんです!じゃなかったら、夕陽の見える丘と公園!!」
 「定番は横浜中華街で赤レンガ倉庫で山下公園で〆ですねー」
 「外国人墓地も捨てられねぇ!」
 「バカップルで埋まる前にとんずらするのが利口ですぜ!」
 「とにかく!」
 すぅ。と、エンジェルはそこで呼吸をする。そして、
 「それがお約束ってもんでしょう!!どうして金持ちの豪邸に潜入してドンパチやってるんですか!?」
 腹の底から、使える限りの肺活量でもって、力一杯怒鳴った。
 「――……あー、大きなお世話な気がするんだけど、とりあえず『ありがとう』?」
 「『ありがとう』じゃないです!他人の話きいてるんですか!?」
 「嫌でも聞こえるとも」
 彼は若干不快そうに眉根を寄せると、不満そうに続けた。
 「別に私がドンパチしたわけでも、させたわけでもないし、あの子が巻き込まれたんでもない」
 「そんなことを言ってるんじゃありません!」
 エンジェルの言葉を合図にするかのように、三人が彼を押さえこんだ。逃げられないようにしっかりとホールドをかける。
 「いいですか、大体……!」
 「はい、そこまで」
 パンっ!
 という小気味良い音がロビーに響き、喚くエンジェルの言葉を遮った。音のした方向を見やれば、ロビー入口付近にデビルがいた。どうやら、今の音は手にしたファイルでどこかを叩いたもののようだ。
 エンジェルは滅多に見せない険しい目つきでデビルを睨む。
 「いくらあなたでもこればかりは譲れませんよ」
 「譲らなくてもいいけど――向こうでガキ供がお呼びよ」
 デビルは無造作に扉の向こうをさした。それだけでエンジェルは怯む。
 「あんた、ガキ供と何か約束してたんじゃないの?」
 エンジェルは悔しそうに低く呻くと、三人に向かって「後はお願いします!」と勢いよく頭を下げて、そのまま急いでロビーを出て行ってしまった。どんなときでも約束は約束である。
 残された三人はというと、互いに顔を見合わせた。相手が相手だ。お願いされても何とかできる自信がない。何せ、彼:エンジェル+三人=1:1というなかなか情けない方程式なのだから。エンジェルが抜けた状態で彼に勝てるとは思えない。
 さて、どうしたものか。
 という焦りにも似た空気が三人の間に流れる。
 「あんた達も、さっさと仕事に戻りなさい」
 「でも」
 「今すぐそこの地獄のゲート開けて欲しい?」
 デビルがゲートを開くためのキーに指を置くと、三人は彼からパッと手を話した。そして、
 「覚えてろよ!」
 「この借りはでかいからな!」
 「倍にして返してやらぁ!」
 と、口々に捨て台詞を吐いて、足早にロビーから出て行く。
 三人の姿がロビーから消えると、彼は小さく「……えらい目にあった」と呟いた。
 「これはお礼をいうべきかな?」
 「別に。言っておくけど、アタシも怒ってないわけじゃないから」
 「その割には随分寛大だね」
 「自分以上にキレてるヤツら見たら萎えただけ」
 不機嫌さを隠そうともせずにデビルはこたえる。
 「――あんたがロリコンだとは思わなかった」
 「物凄く語弊があるというか、誤解を招くような言い方は止めてくれないかな」
 「だったら、否定してもらえるような行動しなさい。今のままいくとそのうち、『早く孫の顔みせろ!』って言い出すわよ、あいつら」
 「あー、寧ろ、私が見たいくらいだよ。孫。何年先かねぇ……」
 「馬鹿言ってんじゃないの」
 彼は肩を竦めると、愛用ねステッキで床を叩いた。
 「それにしても心外だ。何故私があんなに非難されなくてはならないのだろう」
 「あんたがそれをいう?」
 「私が、あの子を危険な目に合わせるわけないに決まってるだろう」
 「……あんたのその自信はどこからくるのよ?」
 トンっと、ファイルを所定の位置に戻す音がやけに響いた。事務椅子に座ったまま、彼を見上げると、デビルは「それで?元気なの?」と、訊いた。
 「元気すぎるくらいに」
 「そう。なら、かまわない」
 手持ち無沙汰になった手の指を組み、机に肘をつくとその上に顎をのせる。
 「――……心配してるのよ、皆。何だかんだで」
 「――」
 「此処ではそれ以外にすることがないんでね」
 と、低く哂った。
 「あの子が落ち込んでても手をさしのべることはできないし、あの子が泣いてても傍でなぐさめることもできない」
 だから、とデビルは続ける。
 「あんたがしっかりしてくれないと困るのよ」
 「――前向きに善処しよう」
 「善処?」
 「いや、頑張ります。最善の努力を尽くします」
 「よろしい」
 彼は苦笑する。
 「これでは近況報告しにきたのか、怒られにきたのかわからないな」
 「近況報告して、怒られてるんでしょ」
 もっともだ。と、彼は更に苦笑する。
 「怒られついでに――一つ言わせてもらえば」
 「まだ何か?」
 「アレ、ベタベタ過ぎて流行んないから」
 アレ、とは。
 「お約束だなんだっていうけど、ひたすら歩き回ってるだけじゃない。ひねりが無さ過ぎ。体張ってまで笑い取りたいなら止めないけど。野郎の浪漫と女の子の感性なんてかけ離れてるんだから、その辺にいる女子職員でも捕まえてきちんと研究しなさい」
 はぁ。と、彼は曖昧に返事をした。別に横浜に行くなんて誰も言っていないのだが、今ここでそれを言ったら瞬殺されそうだった。
 こういう場合は、これ以上話がややこしくなる前にとっとと逃げ出すに限る。それが一番身のためだ。そうでもしないと後が怖い。
 彼はステッキの柄を握りなおすと、相手が一瞬視線を伏せた瞬間を狙って、文字通りその場から消え去った。
 「大体、」
 と、デビルが再び視線を上げたときには、彼の姿は既にそこにはない。
 デビルは小さく舌打ちをした。
 いつものパターンではあったが、こうも露骨にやられると、自然と悪態をつきたくなるのが常というものだ。
 「――……出入りくらいドアからしなさいよ」
 その呟きが彼に届くわけはないのだけれど。







あとがき