ことだまろん

 カタカタカタ、と軽快にキーを叩く音が室内に響く。
 「物騒な世の中になったもんですねぇ」
 ポンっと、〆のように一つキーを叩くと、エンジェルは手を止め、机の上に置いてあったコーヒーに口をつけた。
 「何がですかい、旦那?」
 「コレですよ、コレ」
眺めていたモニタを指すと、ハタキを手にしたヤクザがそれを覗き込んだ。
 「はぁ……ねっととらぶる続出で小・中学生のけーたいでんわ規制、ですか」
 ヤクザがそう読み上げると、部長と暴走族もやってきた。
 揃ってモニタを覗き込み、その内容に次々と溜め息を漏らす。
 そこには、地上の報道番組が映し出されていた。ヤクザが読み上げたものの他にもいくつか項目挙がっているが、どれをとっても良いニュースはなさそうだ。
 暴走族は「よっ」と声をかけると、掃除機を構えなおした。
 「俺が青春してた頃なんて、ケータイなんざ極々一部の連中しか持ってなかったけどな。塾行くとか、バイトで帰りが遅くなるってヤツらが親に渡されてたっけ」
 「お前が青春してたのはそんなに昔じゃないだろうよ?」
 「最近の世の中って進み具合が異常に早いんだよ。数年前の話なんざ、もう一昔前のこと、みたいな。俺の頃のケータイじゃ、メールもインターネットもできなかったし」
 「そうですねー。私が仕事してた頃は、黒くて一抱えくらいありそうな箱が携帯電話でしたよ」
 「それいったら、俺が生きてた頃にはけーたいでんわなんてのはなかったな」
 はははははははははは。
 顔を見合わせて笑っていると、どこからともなく殺気が飛んできた。
 「あんた達……ちったぁ、仕事しなさいよ」
 気の弱い相手だったら卒倒しそうな声音だが、彼等にとっては馴れたものだ。そも、こういうときにこのひとが意外と怒っているわけではないということも、最近段々わかってきた。
 それでも、怖いものは怖い。
 「あ、そろそろ職員さん達の手伝いしに行かないと」
 「あぁ、倉庫の蛍光灯の取り替えしないと。そういえば」
 「物置の整理頼まれてたんだっけなぁ」
 蜘蛛の子を散らすように、彼等は思い思いの方向へと向かっていった。
 彼等の姿が部屋から消えると、デビルはこれみよがしに溜め息をついた。
 「まったく……黙ってたらすぐサボるんだから」
 「おつかれさまです」
 「あんたも。遊んでないで仕事する」
 「すみません」
 よろしい。と、デビルは頷く。
 「――……で?」
 「は?」
 「あいつらは何を見てたのよ?」
 エンジェルは一度ゆっくりと瞬きをし、今の言葉を反芻した。
 そして、苦笑すると、モニタをくるんと回してデビルの方へと向ける。
 「コレですよ」
 エンジェルはモニタの該当箇所を指す。
 言われるままにモニタの内容に一通り目を通すと、デビルは「ふぅん」と、大して面白くもなさそうに呟いた。
 「物騒な世の中になったもんね」
 「えぇ、本当に」
 それだけいうと、デビルは自分の席に戻り、何事もなかったかのように机上の整理を始める。
 「……それだけですか?」
 「それだけって?」
 「や……何か、もう少しこう、感想的なもんはないんでしょーか?」
 「『どいつもこいつも馬鹿じゃないの。結局、てめぇのことばっかし考えてるから世の中ちっとも平和になんないのよ』―――とか、言ってほしいわけ?」
 「いえ、そういうわけではないんですが……そうといえばそうというか……まぁ、毒がないと拍子抜けするというか」
 エンジェルが口ごもるとデビルはそれをわらい、パタンと、手にしていたファイルを閉じた。
 「残念でした。生憎、そこまでやさしくないもんで」
 それは嘘だ。と、エンジェルは思ったが、敢えてそれ以上訊くことはしなかった。訊いても、どうせこたえてはくれないことはわかっている。
 「はぁ……じゃあ、他には何か?」
 「処置ナシ。馬鹿につける薬はないもの」
 「あぁ、また身も蓋もないことをサラッと……」
 「事実でしょう」
 エンジェルは曖昧に頷きながらコンピューターを操作して、モニタの電源を落とした。
 「――……あんたこそ、今日は随分大人しいわね」
 「そうですか?」
 「そうよ。言わないの?『みんながしあわせになれたらいいなぁ!』って」
 「はぁ、ボクも最近空気をよむというスキルをゲットしようかと思いまして」
 「あーそー」
 デビルは投げやり気味にいった。
 「と、思ったんですけど。やっぱり言わないとすっきりしないんで言っておきます。『みんながしあわせになれたらいいなぁ!』」
 「勝手にして」
 口に出して言うことに意味があるんですよ。と、エンジェルは続ける。
 「何それ?精神論?」
 「まぁ、似たようなもんです。初めから駄目だと思ったら絶対に駄目ですけど。もしかしたら、なんとかなるかもって思ってると、案外なんとかなるもんですから。だから、そう言い続ければ、いつかは本当にそうなると思いませんか」
 その言葉に、デビルは呆れたように本日何度目かの溜め息をついた。
 「――……あんたの脳みその中ってどうなってるのか一回みてみたいわ」
 「痛そうなんで勘弁してください」
 「馬鹿」
 もう一度、さらに大きな溜め息を一つ。
 「まぁ、いいんじゃないの、それで。空気よめるあんたなんて不気味だし」
 さり気なくヒドいことを言われたような気もしたが、それはひとまず聞かなかったことにして。
 滅多にない相方の肯定の言葉に、エンジェルは素直に「ありがとうございます」と応えた。
 「……それにしても」
 と、エンジェルは呟く。
 「この『小・中学生の携帯電話規制』ってどうなるんでしょうね」
 「知らないわよ。人間じゃないんだから。詳しく知りたいなら調べればいいじゃない」
 「それもそうですね」
 エンジェルは頷き、再びコンピューターを操作し始める。
 「何か気になることでも?」
 「気になるというか……これで、小・中学生の携帯電話所持が全面禁止になったら嫌だなぁって」
 「はぁ?」
 「あれ、言ってませんでしたっけ?ボク、ピコと電子郵便通信してるんですよ。だから、そうなったら寂しくなっちゃうじゃないですか」
 「ちょっと!」
 バンっ!と、デビルは机の上のファイルを叩きつけた。
 霊界と地上とではシステムや電波そのものに互換性がないため、通信はできないというのが常識だ。
 「どうやって!?」
 「電波の世界は偉大なんです」
 エンジェルはさも当然と言わんばかりにそう答えると、早速メールの確認をし始める。
 「あ、来てますね、今日」
 嬉々としてメールを読み始めるエンジェルに、デビルは諦めたような視線を送った。
 「あんた……それ、後できちんと皆に知らせておきなさいよ……」
 じゃないと、皆泣くから。
 そう呟いたデビルの言葉が、エンジェルに届いているかは、甚だ疑わしいものだった。







あとがき