コンコン、と小さく窓を叩く音がした。
 ピコは手元のノートから視線を上げると、急いで窓へと向かい、鍵を開ける。
 「――女の子の部屋をたずねてくるには、ちょっと遅すぎるんじゃないかしら?」
 窓の外には、嫌というほど見慣れた紳士が濃紺のロングコートを身に纏い、闇夜の中に立っていた。
 「私と君の仲じゃないか」
 目深に被った帽子からはどんな表情をしているのかはよくわからないが、おそらく、いつものように余裕の笑みを浮かべているのだろう。
 「あたし、もうそんなに子供じゃないのよ?」
 「それは失礼」
 と、まったく失礼だと思っていないようにいうと、、彼はピコの部屋の窓辺にふわりと腰掛けた。
 「――で?今日は何の用?」
 自分自身も椅子に座り、彼に向き合うと、ピコは不機嫌そうに訊いた。
 勿論、わざとだ。そうでもしないと、すぐに感情が顔にでるピコのことだから、どれだけ会いにきてくれるのを待っていたのかがすぐに相手に伝わってしまう。
 それを少し恥ずかしいと思うくらいには、ピコは子供ではなくなっていた。
 「いつものように、君を迎えに」
 そういって微笑まれると、もう何もいえない。
 いつもそうだ。
 結局、なんだかんだで彼には弱い。
 彼に勝てたことなど、一度もない。今までも、きっと、これからも。
 「あのね、おじさん」
 頭ではそうわかっているけれど、なんだか悔しかった。
 「あたし、これでも一応、受験生なんだけど。しかも、来週には内申のかかった期末があるよ。推薦取れるかどうかの瀬戸際ってヤツなんだけど」
 「いつも思うんだが、人間とは難儀な生き物なんだねぇ」
 「本当よね、まったく」
 はぁ。とピコは溜息をついた。
 「それはともかく」
 「ともかくって……あのね」
 「そんなに忙しいなら、息抜きにでもいかがかな?」
 いかがかな、といわれても。
 とっくに、ピコの心の天秤は勉強とは反対の方向に傾いている。
 せっかくのお誘いをこんなつまらない理由で断りたくないほどには、彼のことを大切に思っているし、何より、そんなことをしているとおもしろいものを見逃すことになるに決まっている。
 そんな勿体無いことは絶対にできない。
 それだけは避けるべきだ。
 自分でまいた種をどう刈ろうかと迷っていると、彼は現れたときと同じように、ふわりと夜空に待った。
 虚空に立つとこちらを振り返り、手をさしのべる。
 「こんなに星たちが煌く夜に部屋の中にいるのは勿体ない」
 ――さぁ。
 「……ほんっとうに強引なんだから」
 その手を見ながら、ピコは呆れたような声を出した。
 本当は、ちゃんとわかっている。
 彼がどうしてここにくるのか。
 どうして、ここから連れ出して行ってくれるのか。
 「あたし、おじさんのそういうとこ好きよ」
 苦笑し、ピコは躊躇いなく彼の手をとった。






あとがき