「――……遅いですねぇ」
 と、エンジェルは呟いた。
 この半刻ちょっとの間に何度この単語を言ったのかはもうわからない。
 光の国行き707便が出るまでは後半時間もないというのに、未だに待ち人である少女と、それを迎えに行った少年は戻ってこない。
 その場から離れるに離れられず、手持ち無沙汰なまま全員ロビーに残って、ただ時間を消費していた。
 「遅いっすねぇ」
 どこから誰が持ってきたのか、いつの間にかロビーの中央に置かれていた時計を見やると、ヤクザが同意した。
 それにしても、悪趣味だ。
 刻、一刻と時を刻むデジタル時計を見ていると、何故だか監視されているような――時限爆弾を持たされているような気分で落ち着かない。
 「はぁ、本当に遅いですねぇ」
 「マジにおっせぇ。ありえねえくらいにおせぇよ」
 部長が追従し、暴走族はさらに毒付いた。
 「さっきから何回目よ、あんたたち」
 苛立たしげに書類にペンを走らせながら、デビルはこちらを見ようともせずに言った。
 「『遅い、遅い』って言ったところでこっちにはどうしようもないでしょうが。少しは落ち着いて待てないの?」
 「そう言ってたら、何か早く来てくれそうな気がしませんか?」
 「しない」
 「つか、あんたが落ち着きすぎなんだよ。色々心配じゃねぇのかよ?」
 ボキっ、とも、バキっともつかない嫌な音を立ててペンが折れた。
 「心配?」
 デビルがゆっくりと視線をむける。
 「してるわよ。少なくとも、あんたたちと同じくらいにね」
 にっこり。
 としか表現しようのない笑顔だが、瞳が欠片も笑っていない。これが劇画か何かなら背景には縄処理が施されているだろう。絶対零度の微笑みなんぞという生易しいレベルではない。氷点下だ。
 「このあほチン!」
 「あ、あほちん!?」
 「君にはあのブリザードがみえないのか!?」
 「謝れ!悪いことは言わないから、とりあえず謝っておいた方が身のためだ!」
 「結構。中身のない謝罪してどうすんのよ」
 「あぁぁぁぁぁ!すみません、すみません!!この子に代わって謝ります!」
 「あほの子ですみません!!」
 「それはともかく」
 エンジェルは代えのボールペンをデビルに渡しながら訊いた。
 「さっきから何を書いているんですか?」
 「――……あんたがそれを訊く?」
 ぺらり、とデビルはエンジェルに向かって紙を一枚見せた。
 「……何ですか、コレ?」
 「始末書」
 “うんざり”という単語を絵に描いたように、書類の山を叩く。
 「こっちがパスポートの再発行手続きの書類。これは上に出す申請書で、そっちは報告書。その辺は保管庫に入れる原本――今からでもやり始めないと期間内に終わらないわよ、絶対」
 それは机の上にちょっとした山を形成していた。処理した書類は既に数センチの厚さをもっていたが、それでも全体からみれば一パーセントにも満たないだろう。
 飛んできたペンの残骸を見ると、つい先程おろしたばかりの事務用ボールペン(黒)のインクはすでにその残量を半分程にしている。全て終わらせるころには何本ボールペンを消費するかと考えたならば、新しいボールペンをその都度あけるよりも替え芯を使った方が経済的だろう。
 「はぁ……がんばってください」
 「あんたもね」
 といえば、エンジェルはこれでもかというくらいの笑顔で、「いえ。一応責任はあなたがとるとゆーことで総括されてるんで」と言った。
 「ちょっと!?」
 「さっき御自分で言ってたじゃないですか」
 「――……勘弁して」
 『じゃあ、責任はあなたがとってくれるんですね!』
 と、先程言ったエンジェルは、どうやら真剣に責任を取る気はないらしい。おそらく、欠片も。小指の爪の先程も。
 デビルは溜め息をついて、痛み始めたこめかみを押さえた。
 ヤクザ達は揃って顔を見合わせる――何だか色々と可哀想になってきた。
 「これであの子達が遅刻してロケットの運航に支障が出たりしようもんなら、簡単にこれの5、6倍の始末書の山ができますねぇ」
 などと、エンジェルは言う。まるで他人事だ。
 「冗談――……」
 「冗談じゃないです。本当です。マジです。男に二言はないんです」
 「…………アタシ、本当に男やめたい」
 もとがもとなだけにやけに現実味のある言葉だ。
 うぁ。と暴走族はうめいて、自分の豊かな想像力を呪った。心にマイナス50のダメージだ。当分、修正できそうにない。
 ヤクザは日本酒だと思って飲んだら甘酒だったときのような、不気味なものを飲むこむ表情をし、部長は何ともいえない眼で遠くをみる。
 そして、誰からともなく呟いた。
 「――……本当に、遅いなぁ」
 彼らの心の平穏のためにも、早く戻ってきて欲しかった。







あとがき