拝啓―― ピコは悩んでいた。 これでもかというくらい、思いきり眉間に皺をよせて、難しい表情をつくる。 両の手で頬杖をついて、机の上を睨みつけ、そのまま動かない。かれこれ一時間近くそんな調子だった。そこには、カラフルなレターセットが広げてある。淡いブルーのグラデーションの便箋は白紙のままだ。 しばらくすると、付いた両手が痺れてきた。溜め息とともに頬杖をとくと、その代わりに腕組みをする。そのまま天井を見上げてピコはうなった。 「むー……」 さて。どうしたものだろうか。 考えたところで答えが出るはずもない。もしそうならば、遡って最初からここまでの何行かは必要ないだろう。 「――……どうしようかなぁ」 「何がだい?」 何となく呟いた独り言に返ってくるはずのない返事が返ってきた。 最初は驚いたそれも、今やすっかり慣れっこだ。 彼は必ず窓からやってくる。 いつの頃からか、窓を開けていられる季節には窓を開けておくのが習慣になっていた。 キャスター付きの椅子をくるりと回して、ピコは窓の方を向いた。 「ねぇ、おじさん。不法侵入って知ってる?」 「知っているとも」 「じゃあ、おじさんのやってることは何かしら?」 「ん?窓から君の部屋に入ったことかな?」 「それ不法侵入っていわない?」 「いや、だって開いていたから、窓」 「開いてりゃいいってもんじゃないと思うの……」 その理論からすれば、隣家や立ち入り禁止の場所やらどこにでも入っていいことになる。女湯に乱入しても「開いていたから」とか言い出しそうで怖い――さすがにそれはないだろうが。 「君が本当に嫌なら、窓を閉めてしまえばいい――鍵をかけて、カーテンを引いて、眠ってしまうことだってできる。違うかい?」 「――……違わないけど」 無視することはとても簡単。 たった一度でも否定すればそれでおしまいだろう、きっと。 けれども、そうではない。 いいたいことはそんなことではなくて。 「あたしがいいたいのは」 ピコは観念したように溜め息をついた。 「――……ノックくらいしろってことよ」 昨日の続きが今日で、今日の続きが明日。 明日の続きが明後日で、明後日の続きが―― 一日、一日が積み重なって明日になって明後日になって。 でも。 それがある日突然途絶えてしまうことだって――突然、明日がこなくなってしまうことだってある。 「それで?さっきから何をそんなに難しい表情をしているんだい?」 「あたし、そんなに難しい表情してないわよ」 「してる。そんな表情してると、眉間に皺が寄ってしまうよ。まだ若いのに。タテジワピコタンと呼んであげようか」 「やーめーて!」 ピコはそう言いながら、眉間に手をやってその部分の皮膚をのばした。 この歳で眉間に皺があるなんて洒落にならない。 「で?」 再び訊かれ、ピコは渋々「宿題」と答えた。 「学校で宿題がでたの」 「宿題って……君が?宿題で、悩む?――縁起がいいのか悪いのか……それ以前に、君が宿題なんてやるのかい?」 「失礼ね!あたしだって宿題くらいするわよ――……たまには」 たまには。としか答えられないことが悔しい。 もっとも、今まで宿題を忘れて怒られたことはあまりないけれど(そこら辺はクラスメイト達とうまくやるのだ)。 「それで――その宿題はそんなに悩む程のものなのかい?」 「……うん」 ピコは小さく肯いた。 何とはなしに、椅子をくるりと一回転させて、改めて彼に向き直る。 「ねぇ、おじさん」 「ん?」 「――……光って字読めるのかなぁ?」 その問いに彼は微かに眉をひそめた。 「あのね、宿題が出たの。『手紙を書きましょう』って」 ――お手紙を書きましょう。 「今度、学校でタイムカプセルを埋めるんだって。それで――」 ――カプセルの中にお手紙を入れます。カプセルを開けるのは十年後です。皆さんはもう大人になっていますね。 「カプセルを開けたら、中に入れてある手紙を出すの」 ――お手紙を書きましょう。十年後、大人になっても大切なひとに。 「だけど、届かなかったら意味ないじゃない」 どんなに想いを綴っても、伝わらなければ悲しいだけだ。 「別に、返事が欲しいとか、そういうんじゃないのよ」 読んでもらえない手紙程虚しいものはない。 「でも――十年後なんて、わからないじゃない」 一日一日が積み重なって、一年になって、十年になる。 だったら、それが途中で途絶えてしまったら十年後なんてこないに決まっている。 「そう考えたらね、書けなくなっちゃった。手紙」 へへ。と、ピコは寂しそうに笑った。 「十年後がわからないなら、今でいいじゃないか」 窓枠に座っていた彼は、長い脚を組み直した。 「十年後なんてわからない――その通りだよ。だったら、伝えたいことは今伝えなければ意味がないね」 「あのね、宿題は十年後に向けてなのよ。おじさん、ひとの話きいてた?」 「勿論。だから、君が今伝えたいことをそのまま書けばいいじゃないか。今、相手に伝えて、それでもって十年経ってそれを書いた手紙が届けばおわらいだろう?」 「あのね……」 せめて話の種といってほしいところだ。 「今日言えることが明日も言えるとは限らない――そうだろう?」 それはすべて確率の問題で。 ゼロにならない以上、どんなに微かな可能性でも、それはあり得るのだ。 ピコは小さく頷いた。 「じゃあ、書きたいこと、書く」 「それが一番だね」 その言葉に彼はいつものように微笑った。 ピコもつられるように笑う。 「おじさんにも書いてあげよーか?らぶれたー」 「嬉しいけど、私は住所不定だからねぇ」 「無職?」 「………………職業は『夢の配達人』で」 「職業なの、それ?」 住所不定無職。加えて、年齢不詳で、実のところ名前すらも知らない。 でも――それで充分だ、きっと。 「……ねぇ、おじさん」 「ん?」 十年後も、こうしているのだろうか。 そう問おうとして、ピコは口を噤んだ。 十年後なんてわからない。 そう言ったのは自分で、その通りで――十年経っても、彼が傍にいてくれるかはわからない。 それでも、今、ここに居て、話して――それは事実でそれ以上でも以下でもない。 大切にしたい、それを。 「なんでもない」 と、ピコは笑った。 |
あとがき |