　一通り測量を終えて会議室へと戻ると、中からは複数の話し声がした。
　まだお昼までには少し時間がある。真砂子が早く到着したのだろうか、と訝りながら扉を開けると、案の定、ＰＣの周りにナル、リンと供に和装の霊媒が佇んでいた。
　「ナル、測量終わったよ――いらっしゃい、真砂子」
　と、声だけかけて、ひとまずパントリーに荷物を置きに行く。落ち着いて戻ってくると、それぞれ事の次第について話し合っているようだった。
　ちらりと真砂子の方を見ると、真砂子はナルと何事かを熱心に話している。途中からなので話が見えないのが悔しい。一体、何の話をしているのだろうかと考えながら、先程のジョンの発言を思い出す。
　『一昨日、原さんとお会いしたんです』
　変化は誰にでもあるものだ。おそらく。真砂子にだって、変化はあるのだろう。それは悪いことではない、きっと。
　友人と上司を見ながら、麻衣は漠然とした思考を繰り返す。そんな麻衣の視線に気付いたのか、ふいに真砂子がこちらを向いた。真砂子はこれでもかというくらいににっこりと微笑い、さりげなくナルとの距離を詰めた。
　“うらやましいでしょう？”
　意訳すると、概ねそんなもんだ。
　――前言撤回。
　真砂子はどこまでいっても真砂子だ。

　「異常ナシ、か」
　測量結果にざっと目を通すとナルは呟いた。案の定、という意味か、露骨に嫌そうな表情をする。
　「一応ね、やっぱりあの廊下は少し温度が低いみたいなんだけど」
　「あぁ。だか、この程度では明らかな異常とはいえないな」
　「だよねぇ……」
　想像通りの反応に、麻衣は「はぁ」と溜息をつく。
　「――リン？」
　「建物自体には歪みもひずみありません。空気中に特定の薬品や揮発性の溶剤を示す値もありませんね。校舎自体に欠陥はないようです」
　リンはそう言うと同時に。トンっと一つのキーを叩いた。すると、ガーッという派手な音を立ててプリンタが動き出す。出力された資料を見ると、ナルは無言で眉をひそめた。
　「ねぇ、綾子と安原さんは？」
　「まだ戻っていない。『自宅療養中の生徒の家にも寄るから、戻るのは夕方くらいになるかもしれない』そうだ」
　「連絡あったの？」
　「さっき。詳しくは戻ってきてから話すといっていた」
　ということは、何かしら収穫があったのかもしれない。そういえば、ナルの方は何か進展があったのだろうか。
　「えぇと……ナルの方はどうだったの？鈴木先生とか、警備員さんから話聴いたんでしょ？」
　おそるおそる訊いてみると、ナルが資料から顔を上げてこちらを見る。その視線が怖い。
　「鈴木先生からは、発見者の生徒の氏名とクラスを聞いた。ついでに、被害者の交友関係だな。そこの紙にまとめてある。今日投稿している生徒に関しては、この後、昼休みと放課後に会議室に話をしにくるようにしてくれているそうだ。欠席者と登校していない3年生には必要なら電話で呼び出してくれると。警備員の方はまだだな。ローテーション表によると当直に当たるのは今日の午後かららしいから、それまで待たないと」
　「昨日のデータは？」
　「リンともう一度洗いなおしたが、やはり異常ナシ。気温、湿度、映像、雑音、すべて正常値内だ。3号館以外の校舎については不明。警備員室のカメラの映像を見せてもらったが、こちらの映像にも異常はなかった。まぁ、コレに関しては情報が3号館以上にないし、“普通の”カメラの映像だから何ともいえないが」
　もっとも、今のところ事の中心は全て3号館3階の廊下なので、他を考慮する必要は少ないだろうけれど。
　そうこうしているうちに4時限目終了を告げるチャイムが鳴った。途端に、学校中がざわつき始める。このまま昼休みに突入すれば、今以上に騒がしくなるだろう。関係生徒達もやってくるようだし、しばらくは作業もできそうにない。
　「原さん」と、ナルはふいに真砂子を呼んだ。
　「何かありましたか？」
　「正門からここまでは特に何も……他は来たばかりですから、何ともいえません。でも、“普通”の学校に視えます」
　「普通？真砂子の普通ってどの程度よ？」
　「特筆すべき点はないというくらいですわ。そうですね、強いていうなら、起きているときの麻衣くらいかしら？」
　「ヒドい！あたしにだって特筆すべき点の一つや二つ……」
　「そうですね。麻衣は人並み外れて元気で、頭になんとかがつくくらい正直ですものね。失礼しました」
　「ちょっと！誉めてんの！？けなしてんの！？」
　「まぁ、そんなの決まっているじゃありません」
　どう考えても誉められた気がしないので、恨めしそうにじーっと真砂子を見つめる。真砂子は、それに対して気付かないふりをしてふいっと視線をそらした。
　真砂子のいう“普通”ということは、霊が全くいないという意味ではない。霊媒の真砂子にとって、霊がいないということはありえない。いないということの方が余程異常なのだ。だから、彼女が“普通”ということの意味は一つ。
　霊はいる。
　しかし、特別害意や悪意をもった霊はいない。
　そういうことだ。
　「原さん、現場を視て下さい。ついでに校内も――不審なところがないか、一通り。お願いします」
　「えぇ、わかりました」
　真砂子が答えるのとほぼ同時に、会議室の扉がノックされる。こちらが「どうぞ」と応じる間もなく、「しつれいしまーす」という声と供に、数人の生徒達が室内へとなだれこんできた。その中の一人が（おそらく、年長者で即席のリーダーなのだろう）不審そうに首を傾げる。
　「3号館のことで呼ばれてきたんですけど」
　その少女はＳＰＲの面々全員を見回すと、リンの前で視線を止めた。恐らく、外見からしてリンが責任者だと思ったのだろう。ナルや麻衣、真砂子、ジョンでは責任者として若すぎるし、滝川とリンを比べたら、どう考えてもリンの方が“責任者っぽい”のだから（何せ、リン一人だけ律儀にスーツ姿である）、妥当といえば妥当な判断だ。
　ナルは淡々と「では、そこの椅子にかけてください」と告げた。
　横からかかった声に益々不審そうに、彼女たちはナルを見た。
　彼女たちの内心は『何、こいつ？』と『でも顔はいいわね』といったところか。一年半と少し前に、初めてナルを見たときの麻衣自身の心境と似たり寄ったりだろう。当時のことを思い出せば（そうでなくても今までの前例を思えば）、想像するのは容易だった。
　「僕たちは学校側からの依頼で3号館の調査をしに来た者です。いくつか皆さんにお聞きしたいことがありますので、わかる範囲で答えてください」
　こうして、なし崩し的に生徒達への質問が始まった。

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