「おはよーございます、おそくなりましたー」 カランカランと鳴子の音を鳴らして、谷山麻衣はバイト先の扉を開いた。 東京都渋谷区某所。渋谷駅から程近い建物の2階にそれはある。 Shibuya Psychic Research 通称SPR。心霊現象を始めとし、ありとあらゆる超常現象を研究し、いわゆる超自然の世界を科学的に解明することを目的としている事務所、というのは半分本当で半分建前で、本来の目的は実は別のところにあった。しかし、それも少し前の夏に解消されている。当初の目的を果たした事務所は、最近所長の道楽半分なのではと もっぱらの噂である。 「おはようございます、谷山さん。珍しいですね、遅刻なんて」 「停止信号で電車が止まっちゃって。遅延証明って10分以上じゃないと発行してくれないんですよね。まいっちゃいますよ、まったく……」 「じゃあ、タイムカードの打刻機の時計遅らせちゃいましょう」 安原修はそういうと、笑顔で打刻機のコンセントを引き抜いた。自他共に認める越後屋は、たまにやることがえげつない。 「ちょっと、安原さんっ!」 「大丈夫。そんな1時間も遅らせようってわけじゃないですよ」 「そういうんじゃなくて!」 「ぼくならできます」 しかし、時計の針は何度戻しても、コンセントを入れた瞬間に自然と正しい時間を示してしまう。 「おかしいなぁ……ちょっと前までできたのに」 これが初犯じゃなかったのか。と、麻衣が呆れていると、PCのモニタから顔を上げた林興徐が声をかけた。 「その打刻機なら、先週ナルが電波時計式のものに買いかえていましたよ」 『…………』 流石我らが所長サマだ。きっと彼は安原のトリックに気付いていたに違いない。 麻衣は呆然と、「あたしの時給……」とつぶやいた。 そうこうしているうちに10分に満たなかった遅刻が20分近くなっている。勤労バイト少女としては1分1秒が惜しいのだ。 「――私は、なにもみていないし、きいていません」 「押し忘れたことにしちゃいましょう」 時間をごまかして自給を偽るよりは、はるかに可愛らしい手クチである。 嬉しいんだか悲しいんだかわからない仲間愛だな。と思いながら、麻衣は身の回りの整理をし、お茶を入れるために給湯室へとむかった。 いつもの定番の茶葉を出し、ポットとティ・カップを温め、と作業をしていると、応接室のほうが少しざわついてきた。滝川あたりが来たのかとも思ったが、それにしては静か過ぎる。滝川が来たのならば、すかさず「麻衣、アイスコーヒー!」と声が飛んでいるはずである。 「谷山さん、お茶の追加をお願いします」 安原が給湯室に入ってきてそう告げた。 「――お仕事です」 * * * お茶を用意して応接室に戻れば、既にナルが所長室から出てきていて、依頼人と思しき人物と相対していた。 「それで、本日はどういったご用件ですか?」 茶器が運ばれてくるなり、ナルはそう切り出した。 「――実は、最近校内で妙な事がおこっておりまして」 一番最初の部分を聞き逃しているため、いま一つ事情が飲み込めないが、どうやら目の前の人物はどこかの学校の先生らしい。 「妙?」 「生徒が、3人ほど倒れて病院に運ばれたのですが、原因が不明で」 「失礼ですが、それはこの事務所の管轄ではありません。病院側と話し合ってください」 「ナル!」 この男はまったく「懲りる」という単語を知らないのだろうか。 いつもいつも依頼人の話は聴かない、神経は逆なでする……これでよく世の中でやっていけるもんだ(もっとも、優秀な右腕のリンの努力というもののおかげかもしれないが)。 「申し訳ありません!ウチの所長、ちょっと、いえかなり口が悪くて!根は悪い人間じゃないんです!」 良い人間でもありませんけど! とは口には出さない。 「あの、ところで、当事務所はどこでお知りになったのですか?」 と、安原が話題を即座にそらす。 「ゆ、湯浅高校の校長先生のご紹介で……」 「湯浅高校!?」 随分となじみのある名前に、麻衣は反射的に聞き返していた。ナルですら驚いたようで、少し目を見はっている。 「湯浅高校ってあの湯浅高校ですか!?」 「どの湯浅高校かは知りませんが、たぶんその湯浅高校です」 滅多にある名前の学校ではないから、おそらく同じ学校だろう。 「わかりました、この依頼お引き受けします!」 「麻衣!」 「世の中信用第一でしょ!お知り合いの紹介ならとりあえずダメもとでも受けておくのが筋ってもんじゃない。何もやらずに追い返すっていうのはね、ウチに対しての信用をそのまま失くすってことだよ?ついでに、今回はウチだけじゃなくて湯浅高校の校長先生の信用まで失くしちゃうんだよ?せっかくウチを信頼して紹介してくれたんだろうにさぁ。それっていくらなんでもひどくない?」 「――……」 「とゆーわけで」 お引き受けします。と、麻衣はペコリと頭を下げた。 ナルはしばらく剣呑な目つきで麻衣を睨んだ後、これでもかというくらいに盛大な溜息をつくと、「明日、用意していただきたいもののリストをお送りします」と、苦々しげに呟いた。 |
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