13:ページを捲る音だけが |
ジジッ……とコンピューターのカリキュレーションノイズが響いた。 「タイムリープ」 「ありえない」 「ミッシングリンク」 「意味が違う」 「ドッペルゲンガー」 「馬鹿馬鹿しい」 「――……ゾンビ、ヴァンパイア、起き上がり」 「ふざけるのもいい加減にして」 「リトルグレイにさらわれた!」 「…………正気?」 「ボクはいつだって正気です」 はぁ。と、デビルはこれみよがしに溜息をつく。 「あんたといると自分がおかしくなったような気がするわ」 「大丈夫です。もとからおかしいですから」 「――もう一回同じこという勇気ある?」 「ありません。ごめんなさい」 そんなこと、百も承知だ。 自分のことは自分が一番よくわかっている。 「それにしても」 と、エンジェルは言った。 「改めて探すとなると結構量がありますねぇ」 「誰のせいよ、誰の」 「ええと、ここは仲良く連帯責任ということで」 「――あんたってそういうヤツよね」 確かに、此処の資料の管理は一応二人の管轄なのだから、エンジェルの言葉は間違ってはいないのだけれども。こう言われると何故だか素直に頷き難かった。 死人の数の把握は仕事の中でも比重が大きい。職務の大半をこれに費やしているといっても間違ってはいないかもしれない。 毎日毎日の死人の数を地域、原因、年齢、性別などで分けて、様々な角度から分析すれば、地球の様子も大体わかる。そうすると、先回りして(本当に嫌なことだが、それ以外に表現のしようがない)此処にやってくる人間がどのようなもので、どれくらいになるのかも察しがつく。その大まかな情報をもとにこちらの対応を決めるのだ。そうでもしないと、とてもではないが追いつかない。 そんなわけだから、死人の――死んで直ぐの人間の情報はしっかりと管理してきた。あの日、前任者が『日本中の“ま”のつく名前の女の子の八割しかコンピューターに入力していない状態で引き継ぎ』なんぞという中途半端なことをしてくれたおかげでえらい目にあったことも、教訓になっている。同じ轍は二度と踏みたくない。 だが、とうに死んだ人間の――光の国へと行った人間の情報は意外なことにおざなりだった。というより、そこまで手が回らなかったといったほうがいい。次から次へとやってくる人間の情報を整理するのだけで手一杯なのだ。既に此処から去った人間の情報の整理が後回しになるのは仕方がないだろう。 未整理の情報がどれくらいあるのか。 それはあまり考えたくない。 ここ数年――しかも、日本国内で、死亡当時が受験生という絞りがあるとはいえ、その中から一人の人間の情報を探すというのはかなりの労力が必要だった。 「――ないんじゃないかなぁ」 「いわないで」 『メソの情報がほしい』 彼がそういってきたのは、ちょうどあの時と同じ、707便が発着した日だった。 『メソはマモのパスポートを拾ったことにして707便に乗ったね。ではメソのパスポートは?あれはどうなった?』 どうなったもくそも。 どうもした記憶が役人二人にはなかった。 大変なのはそこからだ。 パスポートがあれがその持ち主の情報はそこから簡単に引き出せる。しかし、それがないとスーパーコンピューターの中から地道に検索しなくてはならなかった。 彼がやってきて以来、何度となくスーパーコンピューター内の情報に全検索をかけている。条件や方法を変えて色々試してみてはいるが、一向に目当ての情報が見つかる気配はない。 一応、本部にも問い合わせたが、こちらの返事はまだない。まぁ、これに関してはいい返事は期待できそうにないだろう。 そうすると、残りはスーパーコンピューターに未入力の紙媒体に情報が記載されていることになる。 なんとも古典的で、かつ、面倒くさいことだ――今迄のツケといわれてしまえばそれまでだが。 積み上げたファイルの山を見て、デビルは本日何度目かの溜息をついた。 本名さえわかればそんなに苦労はしなかったのかもしれない。 だが、生憎、役人二人とも“メソ”という通称以外、あの子のことを何も知らなかった。古参の三人に訊ければよいのだが、何分、彼から『内密に』と念を押されているため、それもできない。 「てゆーか、いくらなんでもボクたち二人でこの中からたった一人の情報を探すのとか無理ですって」 「機密情報なんだから仕方ないでしょう」 「あのときは人海戦術にしたじゃないですか」 「あのときは非常事態。今はただのツキアイ」 仮に、彼からそういわれていなかったとしても、あの三人にあの子の名前訊くことはなかっただろう。 死人とはいえ、人間は人間だ。 その情報はむやみやたらに他人に開示すべきではない。まして、生きていたときの全てがわかってしまうのだから――それは守られてしかるべきだろう。 訊けば、きっと、なし崩しにあの子の生をあの三人も知ることになる。 それはあのこの望むところではないだろう、きっと。 「ツキアイってギブアンドテイクが成立する場合にいうもんじゃないんですか?これじゃあ、ギブアンドギブです。ギブギブギブっていってもいい」 「――あいつの前でもそれを言えるんなら、アタシはあんたを尊敬する」 彼ほど厄介な相手もそういない、とデビルは認識していた。彼を怒らせることは、ある意味、本部に逆らうよりも恐ろしい。 だが、エンジェルのいうことももっともだ。 二人だけでできることには限度がある。このままでは自分達の身体がもちそうにない。 あの子についての情報を見つけるのが先か、自分達の体力が限界を迎えるのが先か。 この分だと持久戦になりそうだ。 そして、そうなった場合に勝算はない、おそらく。 唐突に、ピロン、と間抜けな音がした。この何日かですっかり聞き慣れた音――検索結果が出たのだ。 「――ないんじゃないかなあ」 と、エンジェルは再びぼやきながらその結果に目を通す。それを横目に見ながら、デビルも再び手元の資料のページを繰る。 処理した資料の方が未処理分よりもかなり多くなってきた。この分だと、本当にこの中にはないのかもしれない。もしそうだとしたら、今度は倉庫の中を当たらなくてはいけなくなる。できれば、それは避けたかった。 倉庫の中は人外魔境だ。 例の三人に掃除と整理を頼んだが、果たしてどうなっているか――悪化していることだけはないと思いたい。 それに―― 「あぁ、やっぱりダメみたいですね」 「そう……」 結果がでない、ということは想像以上に疲れる。 これ以上に体力的に厳しい仕事は何度も経験しているが、そのときのどれよりも疲労の色は濃く出ているだろう。 「これは倉庫までいくかもしれないなぁ」 「――勘弁して」 倉庫には行きたくない。 あそこにあるものは全て過去の遺物だ。 できるならば、見たくはない――そんなものは。 だから、あそこに押し込めたのに。 デビルの思考を破るように、ふいに内線がなった。「はいはいはいはい、今でますよー」と、相手に聞こえるわけでもないのに、そう言いながら、エンジェルは受話器をとる。 「はい、もしもし、こちらロビーです。――えぇ、はい――はい、どうも……ええと、今ちょっと手が離せないんですけど……」 デビルの方をちらりと見ると、エンジェルはそういった。 「え?ちょっと、今何ていいました?もう一度お願いします」 瞬間、エンジェルの表情が変わる。 「ええ、はい……そうですか。じゃあ、そのままにしておいてください。すぐにいきます……あぁ、他は結構です――すみません、ありがとうございます。では」 カタン、と受話器を置いたまま、エンジェルはしばらく静止していた。 「――何か、あったの?」 「えぇ、まぁ、そのようです」 と、エンジェルは応える。 「倉庫からです」 「――」 「どうやら、あっちが大本命だったみたいですよ」 「……そう」 「なんかもう、こういうの何ていうんですかね……噛まれ損?」 ちょっと、いってみてきます。と言って、エンジェルは席を立った。扉のところまで歩いていって、足を止め、こちらを振り返る。 「いかないんですか?」 「――……いい。待ってる」 エンジェルは何か言いたそうだったが、「わかりました」とだけ返してきた。 「すぐに戻ってきます」 と言い残して、エンジェルは扉の向こうへと消える。 パタンと、音を立てて扉が閉まると、デビルはそっと小さく息を吐いた。そして、先程までと同じように資料の処理を再開する。 静かになったロビーには、ページを捲る音だけが響いていた。 |
>>14 |