04:昨日見た夢

 コンコン、と窓を叩く音がした。
 ピコは手元のノートから顔をあげると、大急ぎで窓へと向かう。
 「――まってたわよ」
 夏に入ったばかりのこの時分、日付が変わる頃になると、幾分涼しくなってくる。風の通り道となるように窓は半分ほど開け放ってあったが、それを全開にし、虚空を睨む。
 そこには、彼がいた。
 彼は、夏だというのに夜空と同じ色のロングコートを身に纏っている。それなのに汗一つかいていない。相変わらず不思議だ。
 以前は、鍵がかかっていなければ無断で(かかっていてもどうにかして――それは魔法以外のなんでもないとピコは思うのだが、どうやら違うらしい)入ってきたのだが、近頃、彼はこのように合図をするようになった。散々、「ノックくらいして!」と言い続けたからかもしれない。もっとも、緊急のときはやはり突然何の予告もなしに現れるのだけれども。
 彼は「それはそれは」と愉しそうに笑うと、ふわりと窓辺に腰掛けた。
 「君みたいな可愛い子に待たれるのは悪い気はしないな」
 「茶化さないで!冗談でいってるんじゃないの!――まったく……肝心なときにいつもいないんだから!」
 いつもいつも頻繁にやってきてはピコにちょっかいを出していくくせに、大事なときに限って彼は現れない。わざとやっているのではないかと疑いたくなるくらいに、ものの見事に。
 「――何か、あったのかな?」
 「あったの!あったなんてもんじゃないの!大アリよ!!」
 今回だってそうだ。
 本当ならすぐにでも彼に話したかったのに、彼はなかなか現れなかった。そうこうしているうちに、あれから一週間近く経ってしまっている。
 「おかげで、夏本番前なのにもう小麦色になっちゃったじゃない!」
 「よくわからないけれど、よかったね?」
 「よくない!」
 「まぁまぁ、ほら、落ち着いて。とりあえず君も座りなさい」
 何故自分の部屋なのに他人に椅子を勧められなくてはならないのだろうか。
 そう思いながらも、ピコはひとまず机の方からキャスター付の椅子を引っ張ってきて、腰をおろした。
 「さぁ、何があったのか話してごらん?」
 ――結局、また彼のペースだ。
 こればかりは当分――もしかしたらずっと――変わりそうにない。
 「……あのね、おじさん」
 諦めたように溜息をつくと、ピコは先日のことを話しはじめた。

 全て話し終わるのにはどれくらいの時間がかかっただろう。
 大して長い出来事について話したわけではないが、途中でピコの考えも含めて話していたせいか、何だかとても時間がかかってしまった気がする。
 「――要約すると、だ」
 彼はトンっと、手にしたステッキで床を軽く叩いた。
 「君は街中であの子に良く似た少年を見かけた、と。そして、君はその少年があの子に似ている≠フではなくあの子≠烽オくはあの子と同一視できる存在≠セと考えている」
 「そう」
 「それでもって、それを確かめるべく、その少年を見かけた駅付近で張ってた、と……何だか、アイドルの出待ちをしているみたいだねぇ」
 「…………そうよ」
 ピコは悔しそうに呻いて、そっぽを向いた。
 客観的にみれば、自分の行為がいかに常識から外れているか、それはわかっている。わかってはいるが、何もそんな言い方をしなくてもいいではないか。
 それにしても、最近、彼の言葉遣いが俗っぽくなっている気がするのは気のせいだろうか。
 「もうちょっと効率のいいやり方だってあっただろうに。私だったら、まず、その予備校に――何ていうのかな……体験入学?して探りをいれるね。あれってお金もかからないんだろう?確か」
 「――」
 それは全く思いつかなかった。
 「……それはともかく」
 ピコはわざとらしく両手をぱちんとあわせた。
 「ようは、そういうこと――ねぇ、おじさんならわかるでしょう?」
 「何が?」
 「あのひとがそうかどうか」
 「私が直接見たわけじゃないからね。何ともいえないな」
 「じゃあ、うまれかわりとかは?――そういうのって、あるの?」
 「『清らかな魂は天上にのぼり、光になる。それは最高の至福そのもの』――あの子は光になった。そうだろう?」
 「……」
 「君はこたえを知っているね?」
 ピコはゆっくりと、躊躇いがちに頷いた。
 わかっている。
 それは、充分に。
 ただ――
 「でも、ありえないことなんてありえない、から」
 「これはありえないことではないよ。あってはならないことなんだ」
 「でも!」
 「ピコ」
 彼は説くようにピコの名前を呼んだ。
 ピコは気付かれないように唇を噛むと、そっと俯く。
 「この世には、いくつか決まりごとがあるんだ。それに反することはないんだよ」
 わかってはいるが、どうしても諦められない。
 否、これは諦める、諦めないのはなしではなく――彼なら、それをわかってくれると思ったのに。
 「……でも、おじさんはいつも、不思議なことをするじゃない」
 「あれは決まりごとを破っているわけではない。少し――その範囲をねじ曲げているだけだ」
 「――」
 「仮に、君のいうようにその子がそうだったとして――君は、その子に会ってどうするつもりなんだい?」
 「!?」
 ――会わないほうが、
 それは、この何日間か何度も繰り返し考えていたことだった。
 別人なら、何の問題はない。
 あっさりと彼が否定してくれればそれで終わっただろう。
 「昔話でもするのかい?」
 問題は、ピコの勘が正しかったときだ。
 会ったところで、どうしようもない。
 それこそ昔話くらいしかすることはないだろう。
 「それだけの為に彼の今を壊すとでも?」
 向こうの情報が何もない状態では何ともいえないけれど。
 今更「はじまして」から始めるのもなんだか変なかんじだ。
 変なかんじだけならともかく――それに堪えられるかと訊かれれば、正直自信はない。
 でも。
 「……わかんない」
 と、ピコは呟いた。
 「わからないわよ、そんなの……そんなこといわれたって」
 わかったらこんなに悩んだりなんかしないだろう。
 「でも、会いたいもん」
 それだけのことだとしても。
 「会って、考える。だから……おじさん、教えて。違うっていうなら、諦めるから」
 「――君のそういうところが好きだよ、私は」
 彼は困ったように苦笑する。
 「でも、これは教えられない。というよりも、私はその子を見ていないから何ともいえない、というのが正しいね」
 「おじさん!」
 「代わりに、ヒントをあげよう」
 彼は再び、トンっと、ステッキで床を叩いた。
 「世の中には必然しかないんだよ」
 「『偶然にみえることだって、全て必然の積み重ね』?」
 「わかっているじゃないか」
 にやり、と帽子の下で不敵に微笑う。
 「君の思ったとおりにやりなさい。必ず先はみえるから。後は――」
 そして、音もなく立ち上がると、彼はふわりと宙に舞った。
 「『生きる、とはすなわち夢見ることだ』――ということかな」
 近いうちにまた――。
 彼はそういうと、長いコートを翻して夜空に消えていった。
 ピコは急いで窓辺に駆け寄るが、既に彼の姿はどこにもない。
 「……近いうちって、いつよ?」
 1週間どころか、1ヶ月たとうが1年たとうが、彼の基準なら「近いうち」になりそうだ。
 はぁ。と、ピコは溜息をつく。
 ちらりと時計を見やれば、丁度日付を跨ぐところで――即ち、彼がくる前と全く変わっていなかった。
 『人生とは夢のようなものだ』
 あえていうなれば、今さっきまで――もう昨日か――ここにいた彼こそがそれだろう。
 そこに彼がいないとわかっていても、ピコは窓の外を見渡す。
 そして、やはり彼の姿がどこにもないことを確認すると、静かに窓を閉めた。















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