05:ちかちかと瞬く |
その日、霊界空港は朝から騒がしかった。 厳密な意味で霊界に昼夜があるのかといえば限りなく疑わしいが、とりあえず、此処では照明を落とすなどして昼夜を切り替えている。 そうしないと、働いているものの身がもたないからだ。というのが一応の理由だが、そも、この習慣は数年前に着任した役人が始めたもので、実のところあまり意味はないといえる。新しい役人は若干“人間かぶれ”なきらいがあるから、もしかしたらただの趣味かもしれない。別段実害がないので誰も何もいわないが(というより、やはり昼夜のある生活のほうが皆嬉しいのだろう)。 この分だとフレックスタイム制や育児休暇が導入される日も遠くないかもしれない。 「白いパスポートを持っている方はこちらへ!」 張りのある声が発着ロビーに響き渡る。 拡声器を使わなくても通る、良い声だ。 「ロビーの方大変混み合っておりますので、押さないで、一列になってお並び下さい!あ、最後尾の方はこれ持って掲げてください」 というと、彼は“707便最後尾コチラ”と書かれた大きめのプラカードを渡した。列は直ぐに延びていき、プラカードは、見る間に後続へと押し流されて行く。2列か3列に整列させなおした方がいいかもしれない。 「ああもう、どうして今日だけこんなに忙しいんでしょーかねぇ」 今日。 今日は年に一度光の国行き707便が発着する日だ。 例年、この日の忙しさは尋常ではない。 「どうせ毎日暇なんですから、もうちょっとこの修羅場が分散してきてくれたらいいのに」 エンジェルはぼやく。 もっとも、どうやっても707便が年に一度しか発着しないということは変わらないので、そうしたところでどうにもならないというのはわかりきっているけれども。 それでも、数をこなせば少しは慣れてくるもので、今年は例年よりも若干スムーズに全てが進行している気がする。 「お役人さん!」 「はい、なんでしょう?」 「この子迷子です!」 「迷子……」 「あ、エンジェルさん!あっちで気分が悪いっていってるひとが!」 「あの、パスポート落としちゃったみたいなんですけど……」 「すみません、御手洗いはどこですか?」 集中力の切れた頭には相談も苦情も雑談も全て同じだ。 ただの音の集合――戯れ言として、何もかもが入ってくる。ひっちゃかめっちゃかもいいところだ。正直、何を言われたのかもよくわからない。 「ヤクザさん!」 と、エンジェルは比較的近くにいた古参の者を呼ぶ。 「何だかえらく沢山僕のところにクレームが殺到してる気がします」 「あぁ、そうみたいっすねー」 応えるヤクザは小さな女の子(やはり迷子なのだろう)の手を引いている。 「でも、他もみんなそんなかんじっすから」 言われ、周りを見渡せば、確かにどこも似たような状況だった。 職員達は言わずもがな。暴走族や部長達までトラブルの処理に追われている。 これだけの人数が集まっているのだから迷子や急病人は良い方で、中にはこれから一戦交えそうな雰囲気のところもある。 「ほら、ね?」 「……デビルはどうしたんです?」 目の前の惨状(?)にくらくらしながらも、エンジェルは一応訊いた。 走り回る職員達の中に相方の姿はない。 今更、一人くらい増えたところで焼け石に水な気もするが、いないよりはマシだろう。 というのは建前で、自分達が修羅場の真っ只中にいるのに一人だけ抜けている者がいたら許せない、というのが本音である。 みんながしあわせになるためには、負担はみんなで平等に背負っていくべきだ。 「あぁ、あのひとなら、どさくさに紛れて並んでたグレーパスポートの連中をしょっぴいてましたよ」 「そう……」 ようは、本当にどこも似たようなものなのだ。 はぁ。と、エンジェルは珍しく溜息をつく。 「――とりあえず、迷子はこっちに集まって……」 そして再び事の処理にあたりはじめた。 「――――つかれた」 そう初めに口にしたのがどちらからだったのかはわからない。 色々あったが、結局、なんだかんだで今年も無事に707便を送り出すことができた。 送り出してしまうと、やはり、少しの間は寂しい。 あれだけ騒がしかったのが嘘のように、空港内は静まり返っている。直に慣れることだし、慣れたと思ったら、またすぐに新しいひとがやってきて賑やかになるのだけれど。 搭乗口からロビーへと続く通路を歩いているのは、今は役人二人だけだ。他の職員達は一足先に職務を終えて帰っている。 通路を歩く足音がやけに響く。 「疲れましたね……」 「本当に」 意識しないとそれ以外の単語が出てきそうにない。 「でも、これでやっと一応、一年間の総決算とゆーか、〆ができた感じですね」 「そうね。これが終わらないと一年終わった気がしないから」 一年間の終わりは12月で、一年度の終わりは3月だけれども。 やはり無事に707便を送り出さないことには一年を終えた気がしない。悲しい役人の性なのか、それとも此処での初仕事がそうだったからなのか、それはわからないが。 「疲れた疲れたいってる割には楽しそうでしたけど?」 「そりゃあ、机にかじりついてるよりは、ね」 「仕事虫」 「あんたが仕事しなさすぎるの!」 エンジェルは今の言葉などきこえていないとでもいうように続ける。 「今日はよく寝られそうです」 「寝られるうちに寝貯めでもしておきなさい。明日から地獄の報告書が待ってるから」 なんだかんだで、この相方は仕事が好きだ――もしかしたら、忙しくないと、自分のペースを保てないのかもしれない。 他愛もない会話をしているうちに、ロビーへと着いた。 扉を開ける瞬間、一緒だけエンジェルは躊躇する。 人気のないロビーは、先程の騒がしさと相俟って余計にがらんとしていそうな気がしたからだ。 それでも、扉を開けないわけにはいかない。 内心で溜息をつきながら、エンジェルは扉を開ける。 そこには先客がいた。 「やぁ、久しぶり」 開いた先にいたのは、嫌というほど見慣れた――彼、だ。 「誰もいなかったから、勝手にお邪魔して、借りてるよ」 彼は気さくに片手をあげ、笑う。 さて、どうしようか――と、エンジェルが考えているうちに、背後から怒声がきこえてきた。 「あん、た……!一体何しにきた!」 「ん?調べもの。『借りてるよ』っていったじゃないか」 と、彼はスーパーコンピューターを指す。確かに、ここを出て行くときに電源を落としたはずのスーパーコンピューターは起動していて、スクリーンに何かの情報を映し出していた。 「勝手にいじるな!機密情報だって入ってるんだから!」 「だから、『誰もいなかったから、勝手に借りてるよ』っていったじゃないか」 「そういう問題じゃない!」 「デビル、落ち着いて」 我ながら無理な提案だ。と、思いながら、エンジェルはひとまず間に割って入った。 「ええと、お久しぶりです――どうして、急に?調べものと仰いましたが?」 「あぁ。君は話が早くて助かるよ」 彼はまだ何事かを喚くデビルを無視してエンジェルに話しかける。 「ちょっと、気になることがあったから調べたいんだ。手伝ってくれないかな?」 「生憎、職務以外のことでスーパーコンピューターを使うことはできないので」 「あの子が絡んでいるといっても?」 『!』 あの子。 それが誰を意味するのかは明白だった。 「――相変わらず、タチの悪い」 エンジェルは呟いた。隣では相方が吐き捨てるように「汚い」という。 「あんたって本当に嫌な奴」 「誉め言葉はいらないよ。間に合ってるから」 「ああ、そう。じゃあ、もっといってあげる。インケン、根暗、むっつり詐欺師!!」 「何とでもどうぞ」 「いざというときに無能!!」 「――……」 彼はその言葉に一瞬渋い表情をしたが、すぐにいつものように底知れぬ微笑をうかべる。 「まぁ、何とでもいえばいいさ。それで私の価値が変わるわけでもない」 「ヘンタイ」 「……」 ぼそり、と彼が呟いた単語をエンジェルは聞き逃さなかった。 そういうことを平然というから変態扱いされるのでは? とエンジェルは思ったが、あえて何もいわなかった。いったらエラい目にあうことはわかりきっている。因みに、彼が何と言ったのかは、彼の名誉のために伏せておこう。 「大体、そんなに嫌がる話でもないだろう?君たちの職務と全く無関係なことでもないし。どうせ毎日暇にしてるんだろうし。むしろ、いい話なんじゃないかな?君たちだって、あの子のことは気になるだろう?」 その言葉にさすがのデビルも黙り込んだ。 そういわれると、何もいえない。 あのときから此処にいる者で、あの子のことが気にならないものなんていないのだから。 「それに、好きだろう?こういうの」 と、彼はこれ以上ないというくらいにっこりと笑う。 口が裂けても『嫌いです。イヤです』なんぞとはいえない。いったら、問答無用で彼の手にあるステッキが飛んできそうだ。 「……えぇ、そうね」 と、デビルは力無くこたえた。 「嬉しいだろう?」 「嬉しくて嬉しくて卒倒しそうだわぁ、アタシ」 エンジェルはそっと瞳を閉じる。瞼の裏では、ちかちかと光が瞬いている――疲れている証拠だ。 どんなに疲れていたとしても、もうしばらく安眠できそうになかった。 |
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