06:花弁が落ちて

 平日昼下がりの図書館は予想以上に静かだった。
 夏休みに入れば行き場のない子供達のたまり場になるのだろうけれど(何せ、図書館は空調がきいているうえにタダなのだ)、まだそれには何日かある。
 今、図書館にいるのはせいぜい試験期間の学生か、母親に連れられてきている小学校にも上がっていない子供、後は平日昼間に時間のあるよくわからない人種だ。 まぁ、図書館は公共の場だから誰がいてもかまわないのだけれど。
 林立する書架の間を、ピコはメモ用紙を片手に歩いていた。
 図書館だなんて、普段滅多にこない場所なので、なかなか目当ての本をみつけることができない。検索機械を使って書架の位置と本の分類番号を調べたのだが、不慣れな者にとってはさっぱりだ。
 何度か館内を巡り、ようやく目当ての本を見つけ出す。
 その本を書架から引っ張り出すと、ついでにその周りにある本(おそらく似たような内容についての関連書籍だろう)を何冊か抱えて、ピコは閲覧室へと向かった。
 やはりこの時間帯ではここを利用するひとも少ないのだろう。数人、ぽつぽつといるだけで、閲覧席は殆ど空いていた。
 ピコは日当たりのよい場所を選んで、静かに腰を下ろす。
 すぐそばの窓からは中庭にある白い花をつけた樹がよく見えた。
 そこから直接日差しが差し込んでくるが、冷房の効いた室内ではむしろそれは心地よいものだ。
 ピコは早速、持ってきた本を広げ始めた。
 あれから何日か経って、ピコは件の予備校に体験入学をすることにした。
 『君の思ったとおりに』といわれたけれど、他に良い策が思いつかなかったからだ。
 『予備校にはいっても勉強しなければお金の無駄です』
 と、渋る母親を、
 『受験の準備は早くから始めておいて損はない』
 『もう補講にひっかかりたくない』
 と説得をして。
 それでも、最初母親はあまり良い返事をしなかったが、決め手となったのは
 『体験入学はタダだから!』
 の一言だろう。
 子供が勉強することを良く思わない親はあまりいない。ピコの母親だってそうだ。ピコの母親はあまり「勉強しなさい」とうるさくいうことはないが、ピコが「勉強したい」というのを止める程、勉強に何か恨みがあるわけでもない。
 『まぁ体験入学なら……』
 ということで話がついた。
 体験入学の期間は今月一杯。
 その間になんとか彼を見つけて、話をしなくてはならない。
 今月はまだ後半分と少し残っているが、それはあまり容易ではなさそうだった。
 まず、彼の名前を知らない。
 名前どころか、あのとき呼ばれていた通称以外、何も知らない。
 これは彼についてだけでなく、あのとき一緒にいた人達全てにいえることだけれど。あれだけのことをしておいて、お互い名前も知らないとはなんとも間抜けな話だ。
 何にしても、名前を知らなければ、例え予備校の名簿を失敬したとしても、探しようがない。
 そして、学年も違う。
 おそらく、彼は高校3年生だろう。根拠はないが、そんな気がした。自分の勘にはピコはとりあえず従うことにしている。
 彼が高校3年生だとするとピコとは学年に開きがある。そうすると、同じ講座を受けることはない。
 加えて、あれ以来、深夜の来訪者もあらわれない。
 ――結局、あんまり進展してない気がするのよね。
 強いていえば、予備校の自習室を使えるようになったことが進展らしい進展だろうか。
 この自習室は、夏休みの間、午前10時から午後10時まで開いていて、予備校生なら誰でも自由に使えることになっている。
 そこなら、このくそ暑い中、何時間も駅前のロータリーに張り付いている必要はない。高校3年生の講座の時間割を掲示板で確認して、彼がいそうな時間の前後に自習室にいるようにすればいい。
 もっとも、場所が変わっただけであるともいえるが。
 何にしろ、やはり、地道に自分で探すしかないのだ。
 だからこそ、図書館にも足を運んでみた。
 いわゆるそのテの本でも読んでみようと思ったからだ(まあ、それで何かわかるとも思えなかったが)。
 もとから大して期待をしていたわけではないが、問題は別のところにあった。
 ――――……ねむい。
 先程から頁を捲ってはいるものの、その内容は全く頭に入ってこない。
 当然だ。普段、ピコが読む本といったら、大抵が漫画か雑誌だ。よくて、TVなどで紹介される流行りの小説やエッセイ。専門書だなんて、今までまともに読んだ記憶はない。
 活字を目で追ってはいるが、頭では全く別のことを考えている。
 ――おじさんは、『会う方法については、さっき言ったね』って……。
 『世の中には、必然しかないんだ』
 偶然にみえることだって、全て必然の積み重ね――
 だとしたら、やはり理由があるのだ。彼と出会ったことも。
 彼を見かけたらどうなるか。
 そんなの、決まっている。
 ピコが彼を見かけたら、必ずさがしだす。絶対に、何としてでも。
 あの日、彼だと気付かなければ。
 ――ありえない。そんなこと。
 ピコが彼に気付かないということはない。あれほど近距離ですれ違ったならば、尚更。
 ピコが、彼が、あの日偶々あの道を、あの時間に通ったとしても、それには理由があるわけであって。
 そもそも、何故彼に拘るかといえば、彼は友達だったからで。
 どうして友達かというと――
 つまるところ、こうなることは予定されていたのだ、最初から。
 ピコが、彼が、生まれた瞬間から。
 ――おじさんなら、それくらいわかってるはず。
 何でもお見通しな相手のことだ。
 こんな簡単な論理など、当然知っているだろう。
 その割には先日の様子は妙だった。
 歯切れが悪いというか、何かを隠しているというか。
 正体不明で胡散臭い相手だが、嘘をいったり、騙したりするようなひとではないけれど。
 『私が直接見たわけではないからね。なんともいえないな』
 ――おじさんにもわからないことがある?
 それはにわかには考えられないことだけれども。
 そう考えれば、辻褄があうような気がする。
 彼
 名前
 存在
  霊界空港
 予備校
 グレー
 夢
 イジメ
 夜の遊園地
 夏の日
 ――
 そこまで考えて、ピコははっとする。
 ガクンっと自らの首が落ちたからだ。
 ――……あたし、寝てた?
 どうやら、瞳を開けたまま寝ていたらしい。
 その証拠に壁に掛かった時計の時間は随分進んでいるけれど、ピコの中では今の思考はほんの一瞬のことだ。
 ピコは他の人に迷惑にならないように欠伸をする。
 そろそろ家に帰って支度をしなければ。予備校の時間に間に合わない。
 二度、三度と頭を軽くふって眠気を追い払うと、ピコは机の上のものを片付け始めた。読み終わらなかった本は借りて帰るとしよう。
 荷物をまとめると、ピコは立ち上がる。
 窓の外に視線を向けると、名前も知らない白い花の花弁が丁度ひらひらと落ちるところだった。







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